4章

第84話 妹はおねだりをしたい

「あのー、お兄ちゃん」

「なんだ?」


 ある日の夕食後。

 春太が皿洗いを済ませ、リビングのソファでくつろいでいると。


 妹の雪季ふゆがやってきて、ぼすんと隣に座った。


「実は私、一生に一度のお願いがあるんですけど…」

「い、一生に一度の!?」


 春太は、ぼんやり見ていたTVから目を離し、妹のほうに目を向ける。

 モコモコの上着にキャミソール、ショートパンツという格好。


 自室ではさらに毛布を身体に巻きつけていることを、春太は知っている。

 妹は極度の寒がりで、一月上旬の冷えるこの時期、完璧に防寒しているのだ。


「な、なんだ……と、とりあえず言ってみろ」


 春太はそう言いつつも、内心で相当に警戒している。

 彼にはこの数ヶ月で、あまりにも多くの突発的な事態が起きすぎた。


 可愛い妹の話であっても、警戒するのは無理ないことだった。


「実は、その……」

「…………」


「私、高校生になったら、ピアスしても……いいですか?」


 くいっと小首を傾げながら、上目遣いで見てくる雪季。


「は? ピ、ピアス?」

「ええ、ミナジョの校則を調べたらピアスはOKみたいなので」


 ミナジョとは、雪季が来月受験する高校“水流川女子”のことだ。


「な、なんだそんな話か……」

「大事なことです、お兄ちゃん!」

「そ、そうだな」


 雪季は大好きなゲームと同じくらい、オシャレに命を懸けている。

 アクセサリーのたぐいについては、彼女にとっては死活問題なのだ。


「あー……俺の許可はいらないんじゃないか? ああ、俺は全然問題ないと思うが」

「ピアスは男子受けがよくない、みたいな話も聞くので」


「そりゃ、舌ピアスとかへそピアスの話じゃないか?」

「そ、それは自分でもちょっと……痛そうなのでイヤです」

「耳にピアスも痛いらしいぞ。美波さん、自分で空けたらしいが、痛くて片耳だけでやめたんだとさ」


 春太は陽向ひなた美波みなみが左耳にだけピアスを着けているのを、オシャレの一環だと思っていた。

 真実を知ったときは、漫画のようにコケそうになったものだ。


「どうせなら両耳空けたいんですよね……」

「それこそ、雪季の好きにしていいが」


 ピアスを着けるなら片耳でも両耳でも同じことだ。


「自分でピアス穴を空ける機械――ピアッサーっていうんですが、あれなら手軽にできそうですよね」

「ああ、あるなあ」


 ピアッサーはホッチキスのように耳たぶを挟んで、ぐっと押し込んで穴を空ける機械だ。

 春太もTVで見たことがある。


「そんなの使わなくても、病院とかで空けてもらえるんじゃないか?」

「私、病院は苦手ですし……あ、お兄ちゃん、空けてくれますか?」

「え、俺が? う、うーん……そういうのはこっちまで痛そうで苦手だな」

「私も怖いですけど、お兄ちゃんに穴を貫いてもらえるなら……いいですよ?」

「…………」


 エロい台詞に聞こえたのは俺の心が汚れてるせいだろうか。

 春太は、いらんことを考えてしまう。


「ゲーム屋のお姉さん……陽向美波さんのピアス、似合ってましたよね。憧れます」

「見た目に憧れるのはいいんだがな……」


 春太もバイト先の横暴な先輩、陽向美波が美人であることは認めざるをえない。

 だが、あのふざけた性格を見習うのはちょっとばかり困る。


「わー、高校生になったらピアスができます。これはテンション上がりますね!」

「…………」


 雪季はソファから立ち上がり、腕を振って踊っている。

 本当に嬉しそうで、微笑ましい。


 そんなことで妹のモチベが上がるなら、安いもの。

 春太も、元からピアス程度でどうこう言わない。


「実はぁ……」

「ん?」


 雪季はソファに座ったままの春太の顔を、覗き込むようにしている。


「私、ネイルもやってみたいんですよね……」

「それくらい別にいいって。どんどんやれ」

「いいんですか!」


 雪季は、ぱぁっと顔を輝かせて抱きついてくる。

 中三の妹にしては無邪気すぎるが、雪季は昔からこんな感じなので春太も慣れている。

 いや、身長も胸も成長した雪季に抱きつかれて、平常心でいるのはもう難しいが……。


「ネ、ネイルなんて穴を空けるピアスに比べれば可愛いもんだしな」

「さすがお兄ちゃん、理解があって嬉しいです。大好きです」


 おそらく、雪季はネイルも「男受けがよくない」を気にしているのだろう。


 というより、春太が嫌がるのではと危惧しているようだ。


 実のところ、春太はピアスもネイルも別に好きではない。

 ただ、オシャレ好きな妹がやりたいというなら、好きにさせたい。


 雪季は、今も爪の手入れくらいはしているが、本格的なネイルがお望みなのだろう。

 それくらいは、なんの問題もない。


 雪季は、ぎゅううっと春太に強く抱きついてから離れて――


「あ、透子とうこちゃんは旅館の仕事があるからピアスもネイルも禁止らしいです」

「そりゃしょうがねぇな」


 霜月透子は雪季の従姉妹で、今は電車で三時間かかる他県に住んでいる。

 この春からこちらに出てきて、雪季と同じ女子高に通う予定だ。

 受験は来月なので、確定したわけではないが。


 その霜月の実家は、伝統ある老舗旅館だ。

 ピアスはともかく、老舗旅館の若女将ががっつりネイルアートをしていたら、客が驚くだろう。


「でも、こっちの高校にいる間はネイルくらいならできますよね。髪型もポニテだけじゃなくて、いろいろ遊びたいですし」

「……まあ、ほどほどにな」


 妹は、従姉妹を着せ替え人形にして遊ぶ気満々だ。

 春太は霜月のフォローもしようと心に決める。


「実は、つららちゃん先輩に生徒手帳の校則の部分を写真で送ってもらいまして」

「え? あの人に?」

「校則内でどこまでオシャレできるか、悩んで夜も眠れません」

「まだ受験終わってないからな!?」

「わかってますよ」


 雪季は、にっこりと笑う。


「はー、夢が広がります。お小遣いだけじゃ足りませんね。お兄ちゃんのお店でバイトしてみましょうか……」

「うーん、ウチの店は今はバイト募集してないんだよな」

「えー……」


 ゲームショップ“ルシータ”では主力の美波に加えて、春太もそれなりに仕事をこなせている。

 店長は今、バイトを増やすつもりはなさそうだ。


 春太としても、ルシータは居心地がいいので店が続く限りは辞める気はない。


「あ、そういや……」


 美波が雪季にモデルの仕事を紹介したい、というような話をしていた。

 雪季は乗り気だったようだが、忘れているのか、受ける気が無いのか……。


「なんですか、お兄ちゃん?」

「いや、なんでもない。それより、ピアスもネイルも予算が必要なら協力するからな」

「わー、ありがとうございます。でも、問題はパパですね」

「は? 父さんが? なんでだ?」


「ほら、私って中二で髪を染めたじゃないですか」

「ああ」


 雪季は元々黒髪だが、茶色に染めている。

 そこまで派手な色ではないし、彼女の中学では茶髪くらいは黙認されているので問題はない。


「パパはけっこう反対だったみたいです。髪を染めるなら、せめて大学生になってからとか」

「高校生でもダメって?」


 今時、小学生でも髪染めくらいはする。

 多数派ではないにしても、目くじらを立てるほどのことでもない――と、春太は思う。


「ママはほら、厳しい家庭で育てられたみたいですから。その反動で、私が自由にやるのは、むしろ推奨みたいな感じで」

「そういや、母さんが乗り気だったのは覚えてんな」


「結局、改革派のママが押し切ってくれたんです」

「まあ、家の中じゃだいたい母さんが押し切ってたけどな」


 雪季には、まだクリアするべき障害があるようだ。

 ここは春太が援護射撃してやるところだろう。


「んー、二人ともなんの話してんの?」

「あっ、晶穂あきほさん」


 リビングのドアが開いて、入ってきたのは――月夜見つくよみ晶穂だった。


 ピンクのメッシュが入った長い黒髪を後ろで無造作に束ね、大きめのパーカーのみという格好だ。

 いや、パーカーの下にはショートパンツをはいているだろうが、裾が長いのでなにもはいてないように見える。


「すみません、うるさかったですか? お部屋で音楽聴いてたんですよね?」

「あはは、


 晶穂は、どさりと春太の横に座り込む。


ってお願いしたのは、あたしのほうだしね」

「……晶穂、なんか飲むか?」


「いつもどおりじゃないね、ハル。普段、そんな優しくないじゃん」

「…………俺、そこまで意地悪でもないだろ?」

「どうだったかなあ」


 晶穂は、ニヤニヤ笑って春太を見つめてきている。


 彼女は、今はもう普段と様子はたいして変わらない。

 変わらなすぎて、春太は心配になってしまう。

 心配していても、顔に出さないようにはしているが――


 晶穂はまだ、母の葬儀を終えて二週間ほどしか経っていない。

 普段どおりに戻るのは、あまりに早すぎではないだろうか。




※小あとがき

 というわけで大変遅くなって申し訳ありません!

『妹はカノジョにできないのに』4章スタートです!


 書籍版3巻が11月10日発売ですので、ぶっちゃけ宣伝も兼ねてます。

 とはいえ、ちょうど1ヶ月前でキリのいいこの時期に始めないと、いつまでも始めなさそう……ということで!

 まあ正直、ゆったりペースにはなるかと思いますが……楽しんでいただけたら嬉しいです。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る