第70話 妹は水面下の計画を知らない

「お疲れ様です!」

「おつ~、じゃないんだぜ、サクよ」


 ダッシュでゲームショップ“ルシータ”の事務室に飛び込んだ春太に、不機嫌そうな声がかかった。


 事務室のパイプ椅子に、陽向美波がふんぞり返って座っている。


 セミロングの赤い髪に、銀のピアス。

 胸のふくらみを強調するタートルネックセーターに、白のミニスカート。

 いつものことながら、無闇やたらと色っぽい女子大生だった。


「十分も遅刻だよ。たるんどるなあ」

「す、すみません、美波さん!」

「サク、いくら優しくて美人で美人な美波先輩でも、これを見逃しちゃ示しがつかないね」


「陽向さん、君も昨日遅刻した記憶があるんだけど……」


「でも、まずは仕事だよ。ほら、タイムカード押してエプロン着けて。仕事の失敗は仕事で挽回するんだよ」

「僕の話、聞いてないよね。というか、陽向さんもタイムカード押してるのにまだ仕事始めてないね」


 ボソボソと事務室の隅で美波にツッコミを入れているのは店長だ。

 ヒゲ面の中年で、世界一有名な配管工に似ている。


「気にしなくていいからね、桜羽くん。そんなに全速力で駆け込んでこなくてよかったのに。ゆっくり出てくるといいよ」

「は、はい、店長」


 店長はドアを開けて、フロアへと出て行った。

 ふぅ、ふぅ、と春太は息を整える。


「息荒いなあ。これだからインドア派は。ウチのお店、力仕事もあるんだからもっと鍛えないとダメだね」

「美波さんも、めちゃめちゃインドア派でしょ……」


 とはいえ、春太の体力不足は事実だ。

 人より体力はあるつもりだったが、認識をあらためて鍛え直すべきかもしれない。


 春太はタイムカードを押し、ロッカーからエプロンを取り出して着ける。


「ほら、タオルあげる。汗だくでお店出たらお客さんが不愉快でしょ」

「あ、すみません」


 春太は、美波が投げてよこしたタオルを受け取る。

 洗って使っていないタオルらしく、ふわっといい香りがする。


「まあ、ツンデレ先輩ゴッコはともかく……」

「ゴッコだったんですか」


 もっとも、春太も美波が説教するタイプではないとよく知っているので、あまり真に受けていなかった。


「どしたん? 授業が長引いた――なんてことないよね。もう冬休みみたいなもんでしょ?」

「ええ、終業式までほぼ休みですね。今日は、ちょっとぼーっとしてて」

「単純な理由だね。ま、この時期はお布団から出たくないよねえ」


 美波が昨日遅刻した理由が判明したようだ。


 ぼーっとしてしまっただけというのも事実だ。

 この数日、春太は自分がぼんやり考え事をしている自覚がある。


 をされたあとで、普段通りにできるはずもないが――


「まあ、お茶でも飲んでくつろいでからでも遅くはないね。ほら、これさっき買ってきたヤツだけど、あげる」

「ありがとうございます」


 なんだかんだで親切な美波だった。

 ペットボトルのお茶を受け取り、ごくごくと飲む。


「ふぅ……いえ、くつろいでる場合じゃないですね。フロアに出ないと」

「新作の発売日か大量買い取りでもなきゃ、三人も必要ないんだけどね。なんならワンオペ余裕」

「店長は発注とかあるんでしょう。フロアに出てもらっていいんですかね……」


 フロアでレジや陳列、店内のチェックは春太や美波たちバイトの仕事だ。

 店長の本来の仕事は、この事務室での事務作業のはず。


「まあ待ちなって。テンチョーはフロアに出るの好きなんだから。お客さんがゲームを満足げに眺めてるのを見て満足してんだよ」

「……さすが元常連ですね」


「サクも元常連でしょ。君ら兄妹は、テンチョーのお気に入りなんだから。テンチョー、サクの妹さんがワゴンのゲームを嬉しそうに買っていくと、ずーっとご機嫌だったね」

「意外なところで人を笑顔にしてたんですね、ウチの妹」


 店の利益という意味では、春太たちのお買い上げ額など微々たるものだが。

 桜羽家の天使は本人もあずかり知らぬところで、世界に優しさを振りまいていたらしい。


「ああ、美人の妹ちゃんは元気? 受験勉強の調子はどう?」

「大丈夫そうですね。一緒に受験する友達もできたし、先輩に知り合いもできましたし」

「へぇ、ミナジョだっけ。あそこ、偏差値はあんま高くないけど、おとなしい子が多くて雰囲気も良いって聞くなあ」

「よく知ってますね……って、そういえば美波さんも地元こっちなんでしたね」


 美波は一人暮らしなので、ついヨソの出身のように思ってしまう。


「そうそう、ミナジョに行った友達も何人かいるよん」

「そういや、聞いたことなかったですね。美波さんは、どこの高校だったんです?」

「聖リーファ女学院」

「ふざけてます?」

「ふざけてねぇーっ!」


 今の会話には補足が必要だ。

 聖リーファといえば、お嬢様か超優等生が通う女子高で――

 何気に才女の氷川涼華が通っている学校でもある。


 意外に優等生な春太がたとえ女子であったとしても、合格は厳しい難関校だ。


「あのね、これでも高校時代はすげー優等生だったんだよ。ウチの母が厳しくてねー、地元なら聖リーファくらいじゃないと受験料も出してくれない勢いで」

「そりゃ凄いっすね……」


 トップ以外は認めない、と言ってるのも同じだ。


「あれ? でも美波さん、今通ってる大学は二りゅ――普通ですよね?」

「そのとおり、二流だよ。ロリ時代から厳しくされ続けた反動で、美波さんは大学は自分が行きたいところに行くとダダをこねました」

「はぁ、なるほど」


 親をねじ伏せて、自分の希望を押し通したらしい。

 おしとやかな美波など、春太には想像もつかないが、そちらがいかにもこの先輩らしいやり方だ。


「ま、美波なんてまだマシだったよ。女の子だからって親も手加減してくれたからね。ウチの弟なんて――」


 そこまで言って、春太がテーブルに置いていたペットボトルを取り上げてごくごくと飲んだ。

 さすがに女子大生、年下との間接キスごとき一ミリも気にしないらしい。


「どこのご家庭も、親とはいろいろあるもんですね」

「おや? なんか、意味深じゃん?」

「いえ、俺のトコなんてたいしたことは……」


 関係が複雑極まりない上に、どう判断していいかわからないことも多いだけだ。


 つい先日の、晶穂母の告白を思い出す。

 だが、春太は月夜見秋葉にあんな衝撃の告白をされても――自分がどう反応すればいいのか、決めきれずにいる。


 なにも言えなかった春太に、秋葉は残念そうな顔をしていたが――

 もしかすると、あの魔女は春太に責められたかったのかもしれない。


 だが、春太には積極的に晶穂母を責める理由を見つけられなかったのも事実だ。


「まー、美波も人様の家庭にまで踏み込むほど図々しくないからね。聞きはしないけど」

「そうしてもらえると助かりますね」


 春太周辺の血縁関係、春太の母の話――

 この物事に動じない先輩でも、ドン引きすること確実だ。


「だったらさー、サクよー、たまには美波にもかまえよ~」

「それが大学生の台詞ですか?」

「まだ厳しくされた反動があるのさ。メンタルは高校生どころか、中学生みたいなもんだよ」


 まったくそのとおりではあるが。

 そろそろ店に出なくていいのか、春太はそちらが気になる。


「つーか、もうすぐクリスマスじゃん。サクはあのちっこいカノジョとイイコトすんの? 遂にご休憩からお泊まりに?」

「今年は妹の受験があるんで、俺もおおっぴらにははしゃげないですね」


「そんなこと気にすんの? ちょうどいいけど。奇跡的に美人の美波さんもフリーだから、デートしちゃう?」

「堂々と後輩を浮気に誘わないでください。だいたい、店はクリスマスも営業するのでは?」


 クリスマスプレゼントにゲームを買いに来る親も多いのではないか。

 オモチャ屋ほどではなくても、そこそこの稼ぎ時だ。


「大丈夫、大丈夫。クリスマスはテンチョーが働いてくれるから」

「店長、妻も子もいるんでしょ? クリスマスに出勤させるのは可哀想じゃ……」

「そんなこと言ったら、社会人の大半が可哀想になっちゃうよ」

「そりゃそうですね……」


 春太はまだ気楽な学生の身分だが、社会は厳しいようだ。


「あ、じゃあさあ、サクとその愉快な仲間たちと一緒にクリパやろうぜ!」

「俺の愉快な仲間たち!?」


「ちっこいカノジョと、妹さんと――サクが家庭教師してる子とか、いろいろいるんでしょ?」

「ええ、確かにいろいろいますね……」


 周囲の人間のバリエーションが豊富すぎて、困っているくらいだ。


「妹さんとか受験生も、一瞬ぱっとハシャぐくらいはしなくちゃ。2時間くらい遊んだって、受験に支障はないでしょ?」

「そりゃそうですが……」


 少しくらいはOK、で妹を既にかなり甘やかしている気もするが。


「そうと決まれば会場を手配しないと。こいつは忙しくなってきた!」

「店で忙しく働いてください……」


 どうやら、美波を止めることはできそうにない。


 春太の周囲――どこまで範囲内に入るのか、まったく決められない。

 雪季と晶穂、氷川や冷泉、それに松風。

 あとは霜月透子に、もしかすると氷川涼華、あるいは冬野つららまで含めるのかもしれない。


 愉快な仲間たちが、クリスマスに予定があることを祈って止まない春太だった――

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