第71話 妹は兄に隠し事をしたい
「はぁ……いつになったら脳みそ直結のVRでFPSが遊べるようになるんでしょう……現実を捨て去ってガチで撃ち合いたい……むしろログアウトボタン廃止でおっけーです」
「現実逃避にもほどがある」
雪季はシャーペンを置くと、ふうっと息をついてから妄言を吐き出した。
だいぶ受験勉強のダメージが大きいらしい。
このゲーマー妹は、“ログアウトできないデスゲーム”をむしろ喜びそうで怖い。
「なあ、霜月。雪季はいつもこんな話をしてんのか?」
「それは、お兄さんのほうがご存じでは」
「……そうだな」
十二月も中旬を過ぎつつある、平日の夕方。
今日は霜月の塾も休みで、春太が雪季と霜月の勉強を見てやっていた。
「だいぶ参ってるみたいだな、雪季は。霜月はどうだ?」
「わ、わたしは大丈夫です。勉強するためにこちらに来たんですし、このくらいで参っていては……」
「そうは言っても、慣れない環境だし、大変だろ」
「……お兄さん、なんだか優しくなってきましたね」
「そんなことないだろ」
と言いつつも、春太にも霜月相手にトゲが取れてきた自覚はある。
なにしろ、霜月は雪季相手にやらかしてくれたので、どうしても厳しい態度を取りがちだった。
だが、霜月が桜羽家に居候するようになり、当の本人の雪季が普通に接しているので、自然とトゲが取れてきたのだろう。
過去の因縁さえなければ、春太は年下女子には優しいほうだ。
「お兄ちゃんが、私の目の前で他の女を口説いてる件につきまして」
「ほ、他の女って! 血が繋がってなくても、わたしはイトコみたいなものですよ!」
「イトコ同士は結婚できるんですよ。透子ちゃん、私の義姉になるつもりですか?」
「際限なく人を疑いますね、雪季さん……」
俺の目の前で、堂々と女同士の戦いが繰り広げられている。
トゲが取れた兄に対して、妹は若干刺々しくなってきた気がする。
別に霜月への憎しみを取り戻したわけではなく。
単なる受験勉強のストレスが積もってきたのだろう。
「ふう……ギリギリでもいいかと思ったが、今のうちに話しとくか」
「え? なんですか、お兄ちゃん」
「実はな――」
美波発案のクリスマスパーティについて、雪季と霜月に説明する。
既に晶穂、氷川と冷泉、松風には連絡済みであることも。
雪季たちへの連絡は、春太に一任されていた。
「ク、クリパですか! えっ、私たちも参加していいんですか!?」
「受験生だからって、勉強だけっていうのも可哀想すぎるだろ」
「そうです、可哀想です!」
「自分で言うなよ」
春太は、つい苦笑してしまう。
予想どおりだが、妹は大喜びしているようだ。
「で、でも、いいんでしょうか。クリスマスといっても、受験生なのに……」
イトコの少女のほうは、ためらいがあるようだ。
「霜月もこんな遠くまで出てきたんだし、少しくらいクリスマスを楽しみたくないか?」
「そういえば、透子ちゃんはクリスマスっていつもどうしてたんです? 家族とケーキとかですか?」
「いえ、ウチは旅館ですから。特に関係なさそうに見えても、クリスマスはほぼ確実に満室になるので、猫の手も借りたい忙しさですね」
「旅館のお手伝いだけだったんですか。だったら、ますます透子ちゃんもパーティに出ないと!」
「そうそう、霜月のほうが勉強できるんだし。できるほうの霜月が出ないのはおかしいだろ」
「……できないほうの雪季ちゃんがいるようなお話ですね、お兄ちゃん」
妹が、じろりと兄を睨んでくる。
この素直な妹にしては皮肉が効いた発言だ。
やはり、メンタルが追い詰められている疑いが濃厚だ。
「お、おっと、電話だ。誰かな」
「お兄ちゃん、まだお話は終わってませんよ?」
最愛の妹からの睨みが利く中、春太は電話を取った。
「なんだ、冷泉か。どうした?」
『いつものことながら素っ気ないっすねえ。今、お家っすか?』
「ああ、雪季と霜月透子もいるよ」
『ああ、ちょうどよかったっす。もう例の件、二人に話しました?』
「それもちょうど話したトコだ。なんだ、冷泉は欠席なのか? 残念だが、しょうがないな。家庭教師としてはおまえには頑張ってもらいたいから、悪い話じゃないが」
『おおっとぉ、早合点しちゃ困るっすよ。先輩がいるのに、ボクが欠席するわけないっすよ。それより、ビデオ通話にしてください』
「いいけど、なんかあるのか?」
『可愛い素子ちゃんの顔を見ながら話したいのはわかってるっすよ』
「……なんか、冷泉がおまえたちにも話があるらしい。ちょっと聞いてやってくれ」
「れーちゃん?」
「冷泉さんって、雪季さんのお友達の……」
春太は手近にあった辞書にスマホを立てかける。
ボブカットに赤いフレームの眼鏡。
なぜか、胸元がざっくり開いたセーター姿の冷泉が画面に現れる。
『おっ、見える見える。どうも、霜月透子さん。フーの親友の冷泉素子っす。同じ“子”がつく名前同士、仲良くしようっす!』
「ど、どうも……霜月透子です。お兄さんにはお世話になっていて……」
『お兄さん? こらこら、桜羽先輩、いくら妹好きでも妹キャラを増殖させるのはいかがなもんすか?』
「好きで増やせてたまるか。いいだろ、親戚なんだから」
『しょうがない、このボクが特別に許しましょう』
「おまえは何者なんだよ……」
ここ数ヶ月、冷泉は少しばかり春太に懐きすぎだ。
さすがの妹も、親友を疑い始めるのではないか。
「あ、れーちゃんもクリパ来るんですよね?」
『あたぼうよ!』
「あたぼー?」
『気にすんな、フー。今ちょっと、ヒカと話してたんだよ。ヒカは用があるみたいだから、代わりにボクが伝えることになって』
「冷泉、なんの話だ?」
『クリパ、まだ会場が決まってないんすよね? RULUを貸してもらえるらしいっす』
「は? RULUを?」
RULUは、雪季の親友、氷川琉瑠の両親が経営するカフェだ。
春太と同級生で若干の因縁がある、氷川涼華がウェイトレスとして働いている。
「話、ちゃんと通じてるか? クリスマスイブだぞ? カフェも、それなりに稼ぎ時なんじゃないか?」
『ところがどっこい』
「おまえ、いくつなんだよ。ホントに中学生か?」
『RULUは今年営業するか迷ってたらしいっす。去年はカップルが別れ話を始めて、男のほうが刃物を抜いたとか』
「そんな話、初耳だわ……」
『血は流れなかったみたいっす。で、一昨年は昼間から酔っ払った大学生グループが大騒ぎ、その前は非モテ男子どもが“クリスマス中止集会”をおっ始めたとか』
「RULUはやべー奴らを吸い寄せるアロマでも焚いてんのか?」
同級生と後輩女子の実家の店で、そんな騒ぎがあったとは。
雪季も初耳らしく、びっくりした顔をしている。
霜月は「都会怖っ……」とつぶやいている。
『三年連続で笑えんトラブル起きたんで、営業するか迷ったわけっす。で、ヒカが思いついて会場として使ってもらったどうかって』
「でも、パーティするなら結局大騒ぎになるぞ?」
『桜羽くんがいるなら大丈夫だろうって』
「なんだ、その俺への信頼は」
春太は、RULUには何度か行っているし、氷川家の両親にも挨拶くらいはしている。
特になにか頼れるところを見せたわけでもないのだが……。
「まあ、松風も来るみたいだし、誰かが暴れても余裕で取り押さえられるか」
というより、春太と松風以外は全員女子だ。
若干の性格破綻者だらけだが、暴れるようなタイプはいない。
「会場はウチでもいいかと思ってたが、カフェを貸し切りにできるならありがたいな。美波さんにも話通しとくよ」
『サンキューっす! 楽しみになってきたっすね! テンション上がってきたー! ああっ、なんか暑いっすねぇ!』
「おいっ!」
冷泉は、一瞬だけざっくり開いたセーターの胸元を引っ張り、意外に大きいふくらみの谷間を見せつけてくる。
ピンクの可愛いブラジャーも、確実に見えていた。
『じゃ、ボクは勉強に戻るっす! フーとトーコちゃんも、またっす!』
言いたいだけ言うと、冷泉はさくっと通話を切ってしまう。
「……れーちゃん、さっきのおっぱいチラ見せはいったい?」
「都会の女子は大胆ですね……」
なぜか、雪季と霜月が春太を睨んでくる。
俺は無実なのに、と思いつつ春太は女子中学生二人から目を逸らす。
「あ、そうだ。もう一つ、決まってることがあるんだった」
こう言う場合は、話も逸らすに限る。
「受験組は、プレゼントの用意は禁止。サプライズも禁止。パーティの二時間だけを夢だと思ってひたすら楽しむように、との主催者の女子大生からのお達しだ」
「サプライズ禁止はガチ神です。私にそんな芸を期待されたら死もやむなしです」
「本当、雪季さんって見た目の陽キャ感を裏切ってきますよね……」
「オシャレと陽キャはイコールではないんですよ、透子ちゃん」
とりあえず、二人ともパーティのルールに文句はないようだ。
美波が決めたルールにしては、真っ当すぎるくらいだから当然だろう。
受験生に余計な時間を使わせるのは、さすがにまずい。
「あ、でも私たちがパーティ以外でお兄ちゃんにプレゼントをあげるのはいいですよね?」
「お互い、高いものは無しだからな? そこは例年通りだ」
「はいっ、わかってます。透子ちゃんも桜羽家のルールに従うみたいですから。ねっ?」
「は、はいっ……」
「…………?」
春太は、首を傾げる。
頷いた霜月が、なぜか顔を赤らめているからだ。
「楽しみにしていてください、お兄ちゃん。今年のプレゼントは、私と透子ちゃん二人からですよ♡」
「……俺からのプレゼントはあまり期待するなよ」
女子を喜ばせるようなセンスは、残念ながら春太にはない。
明らかに雪季はなにか企んでいて、霜月は巻き込まれているようだが――
まあ、それくらいのお楽しみは受験生にあってもいいだろう。
春太はそう思い、納得することにした。
あまりにも多くの事件が起きた今年の、最後のお楽しみだ。
めいっぱい楽しんでもバチは当たらないだろう――
(※更新が滞っている状況で、話が進まなくてすみません! 次回からクリパ編開始!(予定))
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