第67話 妹は目がキラキラしている

「えっ、マジでここなのか……?」

「マジマジ。あたし、前にもいっぺん来たことあるし」


「お、お兄ちゃん……私、外で様子見てていいですか?」

「よくねぇよ。気持ちはわかるが、普通に来い」


 12月の日暮れは早い。

 午後六時を過ぎ、あたりはすっかり暗くなっている。


 春太と晶穂、それに雪季の三人はとある寿司屋の前にいた。

 店構えはいかにもな老舗感が漂い、高級感も否めない。


 ビビリな雪季は、春太以上にすっかり怯んでいるようだ。


「高くても安くても、店なんだからな。客なら歓迎してくれるから、そんなビクビクしなくていい」

「お兄ちゃんもちょっと驚いてたじゃないですか……でも、そうですね」


 雪季は頷きつつも、まだビクビクしている。


 春太が、晶穂とその母からの招待だと連絡すると、雪季は特に嫌がる様子もなかったのだが。


 ちなみに、霜月透子は今日は親戚の冬野つららと会って一緒に夕食を食べてくるらしい。

 父親には「友達と飯を食ってくる」と大嘘を連絡しておいた。


 まさか、「あんたの不倫相手の女と隠し子と会ってくる」とは言えない。


「でもまあ、確かにあたしたちだけだと入りにくいかな? お母さん来るのを待つ?」

「いや、予約してあんだろ? こんな寒い中、雪季を外で待たせられるか」

「あたしを外で待たせていいのか、訊きたいトコだね」


 晶穂は、じろっと春太を睨んでから店の戸をがらりと開いた。


「いらっしゃいませ! ご予約の月夜見様ですね!」


 店員は晶穂の顔を覚えていたらしい。

 その店員に案内され、店の奥へと連れて行かれる。


「おいおい、個室なのかよ」

「お母さんと来たときはカウンターだったけどね」


 春太たちが通されたのは、店の奥にある座敷の個室だった。

 四人用の個室らしく、春太と雪季が並んで座り、その向かいに晶穂が座った。


「お兄ちゃん、このお店……鳳凰寿司さんって」

「ん?」


 雪季は、スマホをぽちぽちしてなにやら検索しているようだった。

 どうやら、この寿司屋のことを調べているらしい。


「ウチの近所の大鳥寿司さん、鳳凰寿司さんにのれん分けされたらしいですよ。のれん分けってなんですか?」

「要するに、この店の親方が師匠で、大鳥寿司の親方は弟子ってことだよ」

「なるほど……つまり、大鳥寿司さんよりパワーは上だと」


 桜羽家の近所にある大鳥寿司は老舗で、なかなかお高い。

 その分、味は確かで寿司が大好物の雪季もお気に入りだ。


 晶穂に案内されたこの寿司屋は、さらに高級店らしい。


「おい、晶穂。大丈夫なのか、こんな高そうなお店……」

「ウチの母親、ボロアパートに住んでるけどお金がないわけじゃないんだって」

「そうなんだとしてもなあ……」


 もちろん、晶穂の母親のおごりということだ。

 だが、春太にはそんな高い寿司をおごってもらう理由が見つからない。


「というか、雪季ちゃん。コートくらい脱いだら?」

「あ、すみません。つい、動揺して……」


 雪季は白のコートを脱いで、壁際のハンガーにかけた。


 今日は制服ではなく、上品なカーキ色のワンピースに黒のタイツをはいている。

 ワンピースは膝丈で、自慢の美脚を見せたがる雪季にしてはおとなしい服装だ。


 相手が初対面の大人ということで、慎ましいコーディネートにしたのだろう。


「はー、この子はなにを着ても似合うねえ。若いっていいなあ」

「晶穂と一つ違いだろ。まあ、雪季はなにを着ても似合うのは事実だが」

「そんな……あ、晶穂さんもその服、お似合いです」

「制服だけどね」


 春太と晶穂は学校から来たので、着替えていない。

 雪季は素直すぎるせいか、謙遜もフォローも苦手だ。


 とりあえず、晶穂の母が来るのを待つことにして、三人は熱いお茶をすする。


「お母さん、もう来ると思うんだけどな。先に注文して、容赦なく食べちゃう?」

「それはさすがに悪いだろ」


「わー、わあぁ……」


 春太の横で、雪季がお品書きをキラキラした目で眺めている。

 魚介類大好きな妹には、たまらないのだろう。


「ふわああ……あっ!」

「どうかしたのか、雪季?」

「サ、サーモンがないですよ、お兄ちゃん。高級お寿司屋さんにサーモンがないという噂は本当だったんですね!」

「都市伝説じゃなかったのか……」

「驚きですね……」


「この二人も、やっぱ兄妹だよね……」


 晶穂が、ぼそりとつぶやいている。

 実のところ、なかなかに際どい発言だった。


 今は、この三人は春太と晶穂が兄妹であること、春太と雪季が実の兄妹でないことを知っている。


 それでも、三人でいて、そのことを話題に出したことはない。

 簡単に口に出せるような話ではないからだ。


 春太も、まだ雪季と晶穂と三人の複雑な関係を語る度胸はない。


「雪季ちゃん、サーモン好きなの?」

「一番好きなのはマグロだな」

「なんでハルが答えんの。あたしは、ウニとイクラかなあ」


「あ、そうなんですか。晶穂さん、お兄ちゃんと好物、同じですね」


「…………」

「…………」


 しーん、と春太と晶穂は突然に沈黙してしまう。

 兄妹だから味覚が似るものでもないだろうが、意味深すぎる台詞だった。


「私はマグロ好きですけど、高級店でも種類は同じですね。大トロ、中トロ、赤身、カマトロ……カマトロってなんですか!? 未知のマグロ来ました!」


 雪季は自分の失言に気づいてないようで、すっかりお品書きに夢中だ。


「カマトロは、エラのあたりで少しだけ取れる稀少部位よ。この店では、炙りでも出してくれるから、そちらもオススメ」

「わっ!?」


 ささっ、と春太の後ろに隠れる雪季。


 急に個室の戸が開いたかと思うと、入ってきたのは――

 もちろん晶穂の母、月夜見秋葉だった。


 ファーのついたあたたかそうな黒のコート姿だ。


「どうもはじめまして、雪季さん。私、晶穂の母です」

「お……お初にお目にかかります……桜羽雪季です……」


 雪季は、かろうじて春太の後ろから出てぺこりと頭を下げた。

 苗字が変わったことは、動転して忘れているらしい。


「お初にって、雪季ちゃん。そんなかしこまらなくても」

「い、いえ……かしこまりそうろう……」

「そういや雪季、前にチャンバラゲームにハマッてたっけな」


 春太は、妹の人見知りにあらためて苦笑してしまう。


「ま、挨拶はこれくらいで。ふー、遅れてごめんなさいね」

「いえ、今日はなんというか……ご招待ありがとうございます」


 春太は「あまり招待されたくなかったが」という台詞を呑み込んだ。


 秋葉はコートを脱ぐと、晶穂の隣に座る。

 下はベージュのスーツの上下で、スカート丈はかなり短い。


 こちらも美脚に自信がみなぎっていそうだ。


「一度、春太くんとはきちんと話がしたかったからね。妹さんのほうとも」

「い、妹です……」


 雪季の人見知りはひどいが、大人が相手だと余計に緊張してしまう。

 さっきからわけがわからないことを口走っている。


「ふーん……めちゃくちゃ可愛いわね、妹さん」

「はい」

「……春太くん、君、変わってるわね?」

「いえ」


 そういう春太も、秋葉相手だと緊張せざるをえない。


 相手は、腹違いの妹を生んだ人なのだから。

 しかも、実の母のことを知っている人でもある。


「でも、ウチの晶穂も負けないくらい可愛いし、甲乙付けがたい変わり者よ?」

「後者は別に張り合わなくてもいいのでは……」

「このメスガキ、テスト勉強もせずにジャカジャカギター鳴らしてるからね」

「メスガキって」


 そのメスガキ――ではなく、晶穂はお品書きを見ながら聞き流している。


「アンプ通さなきゃいいってもんじゃないのよ。つーか、勉強してほしいわよね」

「まあ、俺も人のことは言えないので……」

「真太郎さんの息子なら、君も頭はいいでしょう。あの人、ボンヤリして見えるけど、頭キレるから」

「……そうですかね」


 春太は、父親のスペックなどはよく知らない。

 大卒で、勤め先はごく平凡、役職はついているが40歳を過ぎてヒラということもあまりないだろう。


「お母さん、そんな話よりまずはご飯食べたい。雪季ちゃんもお寿司楽しみすぎるみたいだし」

「あ、いえ、お話が先でも私は……」

「そうね、まず注文しちゃいましょうか。握り特上四人前でいいかしら。ああ、雪季さんはカマトロも食べたいんだったわね」

「い、いえっ、カマトロ高いですから、お兄ちゃんが払います!」

「俺!?」


 値段は書いていないが、春太のお小遣い一ヶ月分を超えかねない。

 雪季は動揺のあまり口走ったのだろうが、恐ろしい話だ。


「あはは、気にしなくていいわよ。じゃあ、とりあえずそれで注文して、追加がほしければまたあとで。春太くん、だいぶ食べそうだしね」

「はぁ……」


 確かに、春太には普通の寿司一人前では少し物足りない。

 海鮮丼を追加しても余裕なくらいだ。


「それで、おばさ――秋葉さん」

「なに?」

「いったい、今日は……」

「せっかちね。そんなにがっつかなくても、私の秘密、全部教えてあげるわよ」

「…………」


 晶穂はだんまり、雪季もオロオロするばかりで春太が矢面に立たされている。


「私は、先に食事を済ませることをオススメするわ」

「……なぜですか?」


「聞いたら、私のおごりのご飯なんて食べられなくなるでしょうから」

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