第68話 妹は黙って聞いていたい

 秋葉にあんなもったいぶった話をされては、食事が喉を通らない。


 ――なんてことはまったくなかった。


「ふわぁ……美味しかったです……カマトロ、生も炙りも最高でした……♡」

「…………」


 春太は、こんなに目をキラキラさせている妹を初めて見たかもしれない。

 田舎から桜羽家に戻ってきたときでも、ここまでの輝きはなかったかも。


 意外に食い意地の張ってる妹だった。


「二人ともいい食べっぷりだったわね。若いっていいわあ」


 月夜見秋葉は、ニコニコとご満悦だ。


 雪季は握り一人前に加えて、マグロをいくつか追加するほど気に入ったようだった。

 美容のために食事量にも気を遣う妹が食べすぎるのは珍しい。


「雪季さん、綺麗に美味しそうに食べてくれたし」

「ご、ごちそうさまでした。本当に美味しかったです」


「春太くんも、あれだけ食べてくれたらおごり甲斐があるわ。握り一人前に海鮮丼、ちらしまで食べちゃうなんて」

「す、すみません。つい、いくらでも入る美味さで……」


 もちろん、春太は最初は遠慮するつもりだったのだが。

 握りだけでは満足してないのを秋葉に見透かされ、上手く唆されて雪季以上に追加注文してしまった。


 中高校生の食欲は、険悪な雰囲気にも軽く勝ってしまうらしい。


 この高級店での馬鹿食いが、いったいどれほどの金額になるのか。

 払えるわけでもないので、考えないことにする。


「いいのよ、子供は値段なんて気にしないで。晶穂も遠慮なく食べてくれたしね」

「おごりのときは遠慮なく行けっていうのが、月夜見家の教えだから」

「そんな浅ましいこと教えたかしら……?」


 晶穂も、容赦なく追加を頼んでいた。

 ただし、椎茸の味噌焼きだのあん肝だの、渋い一品料理ばかり。


「どうも、晶穂は注文内容が可愛くないわね。この子、酒飲みになるんじゃない……?」

「あたしは遵法意識の高いロッカーだから。大人になるまで飲まないよ」


 晶穂は涼しい顔で、熱いお茶をすすっている。


「ジュンポーってなんですか、お兄ちゃん?」

「法律を守るって意味だよ」


 一方、ヒソヒソと話す兄妹。

 晶穂もあれで名門高校に合格しているので、知識も豊富だ。


 法律にこだわるのはロッカーとしてはどうかと思うが、春太としても晶穂には正しく生きてもらいたい。


「でも、そういう秋葉さんは、全然お酒飲んでなかったですね?」

「毎日、仕事絡みで嫌でも飲まなきゃいけないのよ。お酒は好きだったけど、プライベートでは全然飲まなくなっちゃったわ」

「そ、そうなんですか」

「この業界、酒飲み多いからね」


 晶穂母はイベント会社勤めで、音楽関係の仕事らしい。

 酒の席が多そうなイメージだが、実際にそのとおりのようだ。


「おかげですっかり肝臓やられたのよね。毎年人間ドックで、医者にイヤミ言われてるわ」

「お母さんも見た目ほど若くないんだから、身体に気をつけないとね。ハルたちの食欲に付き合ってたら、胃もやられちゃうよ」

「大丈夫よ、春太くんたちとの食事は、これが最初で最後でしょうから」


「…………」


 むろん、春太はさっき秋葉が言ったこと――

 食事が先だったら、秋葉のおごりでものを食べる気になれない。

 その台詞を忘れてはいない。


 何度でも確認しなければならない。

 月夜見秋葉は、父と関係があり、子供まで産んだ女性なのだ。


 晶穂母は被害者なのかもしれない。

 それでも、好意的な感情を持てというのは春太には無理な相談だ。


「ねえ、一杯だけお酒飲んでもいいかしら?」

「え? ええ、俺たちは別に」


 突然、話が変わって春太は戸惑いつつも頷く。


 酒でも入れないと話せないような内容なのかもしれない。


 秋葉が注文すると、すぐに熱燗の日本酒が運ばれてきた。


「……ふぅ、美味しい。春太くんも、ちょっと舐めてみる?」

「俺も、こう見えて真面目なんですよ」

「でしょうね。真太郎さんもそういうタイプだったわ」


 秋葉はにっこり笑うと、くいっと杯を飲み干した。


「私にお酒を教えてくれたのが、翠璃先輩だったのよ」

「え?」

「翠璃って……お兄ちゃんのママですか?」


 雪季がきょとんとして、無邪気に聞き返す。


 妹は、晶穂の母が何者なのかわかっているはずだ。

 晶穂が春太の実の妹だと知っているのだから。


 それでいて、雪季は特に嫌悪を示すでもない。

 まだ、春太と晶穂が兄妹という話が、ピンときてないのだろうか。


「そう、山吹翠璃さん。おとなしそうに見えて、意外に酒飲みだったのよね」

「…………」


 春太は、母を写真で見ただけで生みの親だという実感は持てなかった。

 だが、酒飲みという情報を一つ聞いただけで、急に母の存在がリアルになってくる。


 春太は、ふうっと一度深呼吸して――


「秋葉さん、俺の母親とどういう関係だったんですか……?」

「あの人、生きてたら三十七歳ね。私より二つ上だったから」

「……ええ」


 以前、春太が墓参りしたときに見た墓誌に没年月日とともに享年も書かれていた。

 春太の実の母、山吹翠璃は五年前に亡くなっている。


「若い頃に俺を生んだんですね……」

「私も若かったけどね、これ生んだときは」

「これ言うな、可愛い娘に向かって」


「そうね。でも、こっちもなかなか可愛いでしょ?」


 秋葉はそう言うと、8インチのタブレット端末をテーブルに置いた。

 そこには、制服姿の女子高生二人の写真が表示されている。


 マイクを握って歌っている少女と、キーボードを奏でている少女。


 ボーカルのほうは間違いなく秋葉だ。

 今も娘の晶穂に似ているが、JK時代の秋葉はもう瓜二つと言っていい。


 秋葉は長身で晶穂は小柄ではあるが、写真で見る分には体格の違いはわかりづらいので、余計に似て見える。


 春太の父が、晶穂のライブ映像を一目見てすぐに秋葉の――自分の娘だと気づいたのも頷ける。


「私も可憐だけど、翠璃さんも美人でしょ。この人はロックは別に好きじゃなかったけど、ピアノが得意でね。強引に軽音楽部に引っ張り込まれたらしいわ。人がよくて断れなかったのね」

「軽音楽部……ですか」


「ええ、私と翠璃先輩は、軽音楽部の先輩後輩だったの」

「……その割に、娘の音楽活動に理解がないですね」


「この子がやってるのはロックじゃないわ。可哀想に、本物のロックを知らない世代なのよ」

「ハイハイ、出た出た、懐古厨が」


 バチバチと火花を散らせる晶穂と秋葉。

 どうも、会話が脱線してしまっている。


「ま、そんなわけで、軽音楽部で翠璃先輩と知り合って、大学は別になったけど、それからも付き合いは続いたのよ」

「ウチの父親とは……?」

「翠璃先輩、真太郎さんとはご近所で幼なじみだったらしいわ」

「幼なじみ?」


 春太は、今さらながら気づく。


 母の墓は、電車ですぐに行ける距離だった。

 父はこちらの出身だし、少なくとも同県人だったことは気づいてよさそうなものだった。


 それにしても、また新たな人間関係が生まれてしまっている。


 月夜見秋葉と山吹翠璃が高校の先輩後輩。

 その翠璃は、桜羽真太郎とは幼なじみ。


 どうも、世間というやつはかなり狭いらしい。


「真太郎さんは、翠璃先輩より五つくらい年上だったかしらね。でも、そうね――」

「なんですか?」


 情報はもうこのくらいでいいような気もしたが、春太はつい尋ねてしまう。


「幼なじみで、大人になっても仲が良くて――まるで兄妹みたいだったわ」


「…………」

「…………」

「…………」


 春太だけでなく、黙っていた雪季と晶穂もわずかに反応する。

 兄妹、というワードには反応せざるをえない三人だった。


「翠璃先輩を通して、桜羽真太郎さんとも知り合ったのよ。それから、三人の間になにがあったかは――大人の話ね。たとえ、春太くんと雪季さん、晶穂にも話すようなことでもないわね」

「……ええ、俺も別に聞きたくありません」


 そこが肝心なのかもしれないが、父と母、その浮気相手の話を聞き出したいとは思わなかった。

 少なくとも、雪季には聞かせたくない。


「でも、一つだけ春太くんに話しておきたいことがあるの」

「なんでしょうか……」


 春太は、思わず身構えてしまう。


 ここまでの話だけなら、秋葉に好意を持つには至らなくても、二度と食事もしたくないと思えるほどでもない。


 いや、積極的に会いたいとも思わないが――


「翠璃先輩が、どうして亡くなったか知ってる?」

「え? ああ、はい。交通事故だったって聞いてますけど……」

「真太郎さんも、さすがにそれくらいは話したか。でもね、春太くん」


 秋葉は、じっと春太の目を見つめてから――

 テーブルに頬杖をついた。


「私がね、あなたのお母さんを殺したの」

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