第46話 妹は兄の親友を実はよく知らない

 すっ――と目の前を巨体が驚くような速さで通りすぎていった。

 一瞬のうちに、二度フェイントをかけられ、あっさりと引っかかったのだ。


「ちっ……!」


 春太は慌てて跳び上がったがもう遅い。

 松風の長身が高く舞い、ぽいっと無造作に投げ捨てるようにしてシュートを放っていた。


「くそっ……!」


 ボールの行き先を確認するまでもなかった。

 わずかな距離を放物線を描いて飛んだボールは、シュッと小さな音を立ててネットをくぐった。


「はい、これで俺の勝ち。悪いな、春太郎」

「くっ……おまえ、現役なんだからちょっとは手加減しろよ!」


 春太は松風を睨んでから、地面に座り込んでしまう。


 ここは、春太たちが通う悠凛館高校のグラウンド。

 どういうわけか、グラウンドの隅にバスケットコートが一つある。


 バスケ部はもちろん、他の部も特に使っていない一角だ。

 たまに野球部やサッカー部のボールが飛んでくることを気にしなければ、放課後に軽くバスケを楽しめる。


「はぁ……松風、おまえまた上手くなってんじゃねぇの」

「そりゃそうだろ、伊達に時代遅れの猛練習してるわけじゃないんだ」

「時代遅れだってわかってんのかよ」

「ま、嫌いじゃないからな。努力と根性」


 松風はニヤリと笑って、Vサインなどしてきた。

 この友人は体格に恵まれている上に、練習も欠かさない。


 中学時代に“妹と一緒に帰るため”にバスケ部を辞めた春太が勝負して、勝てるわけがない。


「つーか、今日は部活休みなんだろ。身体休めろってことじゃないのか?」

「春太郎と遊んだだけだ。たいした運動でもねぇよ」

「てめ、この……」


 と言ってはみたものの、10分ほどの1on1で春太が手も足も出なかったのは事実だ。

 松風はシュートを10本決めたが、春太はたったの2本。


「本当は1本も決めさせないつもりだったんだけどな。ほら、俺って勝負だと手を抜けないから」

「全然、遊びでもなんでもないじゃねぇか……」


「春太郎、背ぇ伸びてるもんな。俺、今年は1センチも伸びてないから、追いつかれそうだ」

「……父親と母親が二人とも高校時代は伸び続けたから、俺もそうじゃないかって言われた」

「誰にだよ。でも、確かに春太郎はまだ伸びそうな気がするな」


「全然嬉しくねぇな。スポーツやるわけでもないのに、180以上あってもむしろ不便な気がする」

「贅沢言うな。ウチのバスケ部の連中も、みんな180超えたいんだからな」

「分けられるもんなら分けたいよ」


 春太は、苦笑してしまう。

 最後に身長を測ったときは179センチだったが、おそらくもう180は超えている。

 このあたりで止まってほしいところだ。


「桜羽さんもけっこう伸びてるよなあ。170は超えそうだ」

「雪季も、そろそろ止まってほしいらしいな」


 松風は、雪季を相変わらず“桜羽さん”と呼んでいる。

 今、雪季は桜羽ではなく冬野だが、特に気にしていないらしい。


 雪季が桜羽家に戻ってから、松風とも数回会っていて、“桜羽さん”と呼んでいるが、雪季のほうも自然に受け入れている。


「さすがに、これ以上伸びると可愛くないとか言ってるな」

「桜羽さん、顔はめちゃめちゃ可愛いんだから、いいんじゃないか?」

「大きすぎると可愛くないと本人は思ってるらしいな」


 春太も、雪季が170を超えても全然かまわない。

 妹はまだ幼さも残した美少女だが、あと3年のうちには大人びた美人に成長するだろう。


 もし仮に、兄の背丈を追い越したとしても、可愛い妹であることにも変わりはない。


「桜羽さんは、自分磨きに余念がないよな。ああ、いや、今は春太郎の話だよ」

「ん? なんの話だっけ?」


「おまえもたまには身体を動かして、雑念を払えって話だ」

「……そんな話じゃなかっただろ」


 この親友は、春太にいろいろあってモヤモヤしていることに気づいていたらしい。

 表に出したつもりはなかったが、さすがに長い付き合いの松風には隠し切れなかったようだ。


「桜羽さんも戻ってきたのに、まだなにが――って、まあ言いたくなったら言うよな、春太郎は」

「……松風も、言いたいことあるなら言えよ。バスケ部の先輩をぶっ殺したいとか」


「あはは、中学時代はよく言ってたよな。もうそんなガキっぽいことは言わねーよ。3年が夏に引退して楽になったしな。今は別に悩みなんか――ああ」

「ん? なんかあるのか?」


「うーん」

 松風はタオルで顔の汗をぬぐいながら、唸った。


「この話、していいのかな。まあ、しないよりいいか。ほら、おまえと俺で桜羽さんトコに行っただろ?」

「ああ、俺が原チャで雪季を迎えにいったときの話か」


 大げさではなく、春太にとっては人生の分かれ道だったので、忘れようがない。


「あんとき、桜羽さんに絡んでた女子たち、覚えてるよな?」

「ああ」


 転校してきた雪季が気に入らず、事あるごとに吊るし上げて、盗撮までしていた中学生たちだ。


 雪季がもう忘れることにしているので、春太も一度も彼女たちのことを話題に出したことはない。


「あの女子たちのリーダー格……霜月しもつきって子なんだけど」

「あー……あのポニーテールのヤツか」


 春太は、彼女とは電話番号とLINEを交換している。

 LINEの登録名が“霜月透子とうこ”とフルネームだったので、名前も知っている。


「あの子となんかあったのか? 一緒にバスケやって叩きのめしたんだっけ」

「そうそう、霜月も元バスケ部だったからな。ただ……」


「なんだよ、別に気にしないから言えよ。俺も雪季も、もう水に流してる。少なくとも、雪季はそうしてるから、俺も気にしない」

「そうか」

 松風は、春太の隣に座り込む。


「ちょっと前……2週間くらい前かな。霜月とまた会ったんだよ」

「会った? わざわざ、こっちまで出てきたのか?」


 春太は、軽く驚いた。

 電車で3時間近くかかるし、中学生がホイホイ行き来できる距離でもない。


「春太郎に言うのも、マジでなんなんだけどな。あの子、そこまで悪い子じゃねえよ。ついイキっちゃったというか、桜羽さんが来るまではクラスのっていうか、学校のお姫様みたいなポジションだったらしい」

「突然現れた雪季に、地位も名誉もかっさらわれたってか」


 確かに、思い返してみればポニーテールの霜月は、割と可愛かった。

 アイドルのオーディションなんかも、合格しそうなくらい。


 多少、垢抜けない感じはあったが田舎の中学生だから――というよりは、雪季が垢抜けしすぎてるのだろう。


「やってることはガキだったよな。俺たちより一つ下なだけっつっても、ちょっと子供だなって感じだ」

「だからって――」


 雪季への仕打ちが帳消しになるわけではない。

 そう思うが、水に流している以上、春太は口には出せなかった。


「本人の話を聞いてると、狭い世界でみんなに可愛がられてきたけど、そこに外から急に現れた桜羽さんが自分よりはるかに可愛くて、男子どもがチヤホヤし始めて、ついあんなことした――みたいなことらしい」

「いや、まあそんな感じだろうとはわかってたけど」


「桜羽さんには悪いことをしたって本気で思ってるみたいだぞ」

「そうか……って、待て。こっちに出てきたって、雪季に謝りに来たのか?」


「いやいや、もう桜羽さんに会う気はないって。ただ、春太郎と桜羽さんには合わせる顔がないから、代わりに俺にいろいろぶちまけに来たらしい。ずっとモヤモヤしてたんだとさ」

「ふうん……ずいぶん懐かれたもんだな、松風」


 この友人は長身で、いかにも爽やかなスポーツマンだ。

 しかも、裏表がないことも春太はよく知っている。


 女子にもモテるが、特に年下から好かれやすい。

 松風を狙っている後輩は、氷川以外にも大勢いるだろう。


「土曜に会って、まず話を聞いてからあちこち連れて行ってやったよ。部活サボって」

「おい、いいのか、バスケ部のエース」


「エースじゃねえけど、3時間近くかけて来て、そのまま帰るんじゃ可哀想だろ」

「ずいぶん親切なことだな」


 もっとも、松風らしい話ではある。

 一度お仕置きしたからには、もうすべて忘れて霜月を可愛がってやってるのだろう。


「まあ、最後にはヤっちゃったんだけど。すげー良かったわ、あの子」

「おおいっ!?」


 春太が思っていた以上に、松風はあのポニーテールの霜月を可愛がったらしい。


 爽やかなスポーツマンであることと、女好きは矛盾しない。

 春太は、松風がそこそこ経験豊富であることも知っている。


 中学時代から、松風は春太にだけ女性関係も話してきた。

 無神経なようだが、中高生の男子などそんなものだ。


 春太は、晶穂との関係を具体的には誰にも話していないが、そちらのほうが特殊かもしれない。


 別に、松風が雪季と因縁がある少女となにをしようが勝手ではあるが……。



 グラウンドのバスケットコートに、他の男子たちも乱入してきたので、春太は帰ることにした。

 どうせ、松風には何度やっても勝てない。


 今日は雪季は、氷川と冷泉との勉強会らしいので、早く帰る意味もないのだが。


「しかし、松風も節操がねぇなあ」


 松風は、ほとんどカノジョが途絶えたことがない。

 最初にバスケが最優先だと告げているらしいし、二股をかけることもない。


 それが松風なりの誠意なのだろう。


 一つ下の中学生でも問題はないが、まさか相手があの霜月とは。

 もっとも、一回きりの関係なのかもしれない。


 少なくとも、遠方に住む霜月と頻繁に会うことは不可能だろう。

 本当に一回、身体の関係があったというだけ――


「……人のことは言えないか」


 人から見れば、春太も充分に節操がない。


 晶穂と付き合って、とっくに一線を越えているのに、雪季ともただの兄妹とは言えない関係になっているのだから。


 だが、もう高校生にもなれば恋愛と性的な関係は切っても切れない。


 雪季や霜月はまだ中学生だが、中三で経験済みの女子は珍しくもないだろう。

 いや、正確には雪季は未経験――のはず。


「おーい、サクーサクー」

「あれ?」


 ぼんやり考えつつ歩いていると、のんきそうな声に呼び止められた。


「学校帰りに会うなんて珍しいね」

「どうも、美波みなみさん」


 バイトの先輩、女子大生の陽向美波だった。

 セミロングの赤い髪を後ろで無造作に縛り、黒いジャージの上下にサンダルという格好だ。


「なんすか、その格好は。ヤンキー女子みたいな」

「失礼な。美波はこれでも、真っ当に生きてきて、真面目に女子大生やってるよ?」

「そうかなあ……」


 おまけに、美波は完全にすっぴんだ。


 春太は、もっとも身近な女性いもうとがコンビニに行くときでも部屋着から着替えていくタイプなので、美波のように気が抜けてる女子には驚いてしまう。


 もちろん、気を抜こうが常にオシャレに気を遣おうが、人の勝手だが。


「なにしてるんですか、美波さん」

「コンビニの帰りだよ」


 美波は、小さめサイズのエコバッグを掲げてみせる。

 意外にも、地球環境に優しいらしい。


 そういえば、と春太は今さら気づいた。

 ほとんど無意識に、自宅ではなくショッピングモール、エアルに向かっていたようだ。


 美波のアパートは、エアルのすぐそばにある。


「あ、ちょうどよかった。サク、今日はシフト入ってなかったよね?」

「ええ、帰って久しぶりにCS64をガッツリやりこもうかと」

「じゃ、美波ん家にご招待♡」

「は? あれ、今CS64をやりこむって……」


「これこれ、サク。美人女子大生の部屋に上がり込むチャンスを捨てるなんて、それでも男子高校生かね?」

「だったら、もっと美人女子大生らしい部屋にしてくださいよ」


 美波の部屋は何度か遊びに行っているが、ゲーム機とゲームソフトとゲームグッズで埋め尽くされていた。


 どうやってあの部屋で生活しているのか、不思議なレベルだ。


「まあ、いいから、おいで」

「はぁ……」


 なんだかんだ言っても、春太も元は体育会系だ。

 先輩の命令となると逆らえない。


 2分ほど歩いて、美波のアパートに到着する。

 小さいけれどまだ新しい建物で、住民の多くは学生らしい。


「ただいまー」

「お邪魔します」


 部屋は当然のように、以前と同じ――いや、それ以上のカオスだ。

 部屋には50インチのTVと24インチの液晶モニターが置かれている。


 RPGやアドベンチャーゲームを大型TV、FPSやアクション系ゲームを24インチモニターで遊んでいるらしい。

 もちろん、新旧様々なゲーム機が繋がれている。


「またゲームのお相手ですか? このネット対戦全盛時代にわざわざオフラインで戦わなくても――うわっ」

「ま、くつろいで♪」


 美波はジャージの上を脱いで、その下はぴったりと身体に密着したグレーのタンクトップだけだった。


 しかもジャージの下まで脱いでしまっている。

 タンクトップと、黒のレースのパンツという格好だ。


「な、なんで脱いでるんですか」

「自分の部屋だもん、ズボンなんかはいてるわけないじゃん。こらこら、サクよ。漫画じゃないんだから、女が家でもスカートとかはいて小綺麗にしてると思ってんの?」

「客がいたら、そういう場合も多いんじゃないですかね?」


 美波は「そうかな」と首を傾げて、ベッドの上に飛び乗った。

 ベッドの上にはコントローラーやリモコンが置いてある。

 この先輩は、物だらけの床をあきらめて、このベッドの上で生活しているようだ。


「それに、今日は――サクにリアル対戦をお願いしようと思って」

「な、なにしてんすか」


 美波は、くいっとタンクトップの襟元を引っ張っている。

 よく見ると、ノーブラらしい。


 ブラジャーが見当たらないのと――胸の頂点のあたりで、ぷくっと乳首の形が浮き上がっている。


「年上のお姉さんの部屋に来たんだから、こういうの期待してたんじゃないの?」

「そ、そんなわけないでしょ……」


「大丈夫、大丈夫。君のカノジョと妹の二人には黙っておくから♡」

「な、なにを言って……わっ」


 春太は手首を掴まれ、ベッドに引きずり込まれる。

 体重では圧倒的に春太のほうが上のはずなのに。


 ベッドに寝転がった春太の上に、美波がのしかかってくる。


「油断したね、サク。美波さんは、こう見えて意外と肉食系なんだよ……」

「…………」


 美波が、ぺろりと舌なめずりをした。


 なんなんだ、この急展開は――

 春太は戸惑いながらも、乱れたタンクトップの胸元の谷間から、目が離せない。


 松風と霜月はどんな流れで、くっついてしまったのか。

 不意に、そんなことが気になってしまった――

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