第47話 妹は親友の行方を知らない

「ぶはははは、サクのあのときの顔!」

「……タチが悪いっすね、美波みなみさん」


「つっても、あそこでサクがその気になってたら、ヤらせてあげたのに」

「まだ続くんですか、その冗談」


「ほら、美波って弟大好きだったけど、さすがに弟とヤれないじゃん? ヤりたいとも思わないし。だから、弟っぽいサクならいいかな~っていうのはマジであるよ?」

「俺は弟じゃなくて、バイトの後輩です」


 美波に弟がいる、というのは本当らしい。

 だが、ただのバイトの後輩を弟扱いされて距離を詰められても困る。


 今、二人はモニターに向かってゲーム中だ。

 ストバスの最新作を、最新ゲーム機で遊んでいる。


「そういや、この前買ってた初代ストバスは遊んでんの?」

「まだですよ。妹のメンタルが追い詰められたときに遊ばせようと思って。普通に遊ばせるのは甘やかしすぎですし」


「君は妹を甘やかすプロでしょ?」

「妹と話したこともない美波さんにまで、そんなガチシスコンみたいに思われてるんですか、俺?」


「いやー、あんな美少女妹がいてシスコンにならない男がおるん?」

「……まあ、妹を褒めてもらったと思っておきますよ」


「でも、背が高いのはサクと一緒だけど、顔とか雰囲気はあんま似てないね。実は血が繋がってなかったりして!」

「……あはは」


 むろん、春太は美波にも雪季が実の妹でないことは話していない。

 今のところ、秘密を知っているのは家族だけだ。


「…………」


 ふと、あの魔女は知っているのだろうかと疑問が湧いた。


 月夜見秋葉は、父の再婚相手のことをよく知らないと言っていた。

 雪季のことも存在くらいしか知らないようだった。


「あっ、クソっ! そこで大技かましてくるかっ! 吹っ飛ばされたーっ!」

「よーし、俺もまだまだイケますね」


「あのさ、サク? 君はまだ高校生だから知らないだろうけど、世の中には接待というものがあってね?」

「ええ、高校生なんで知らないことにしときますよ」

「ちぇっ」


 美波はガチゲーマーなので、たいていのゲームは春太より上手くこなす。

 ただ、レトロゲーマーだからか、主に得意とするのは横スクロールアクションや、縦スクロールシューティングらしい。


「ま、サクもさ」

「はい?」


 ちゅっ、と美波が頬にキスしてくる。


「な、なにしてんすか、美波さん!」

「サクは仕事も真面目だし、ちょっと生意気だけど可愛い後輩だからね。美波さんのお気に入りなんだよ」


「……そういうの、本人に面と向かって言いますか?」

 唇の柔らかさに、春太は驚きながら聞き返す。


「言いたいことは言っておかないとね。いつ言えなくなるかわかんないし」

「……美波さん?」


 美波は、少し寂しそうに笑っている。


「ま、思春期にはモヤモヤすることも多いだろうから。もし、どうにもならなくなったら、美波さんが一回くらいは相手してあげるから」

「……ゲームのですか?」


「セックス」


「そういうことは、言いたくても言わなくていいんじゃないですかね!」

「いや、マジだよ? セックスで解決することってけっこうあるんだから。本来の目的は果たさなくても……あ、本来の目的って子作――」

「それこそ言わなくていいですから!」


「あ、そう? けどさ、セックス――これ以上ないくらい身体くっつけて気持ちいいことしたら、なにかが変わるよ、きっと」

「そうですかね……」


 だが、春太にも覚えがある。

 最愛の妹と母が去って――


 晶穂と付き合って関係を持ったのは、寂しかったから――でもある。

 少なくとも、晶穂と肌を重ねている間は、彼女のことしか考えられなくなっていた。


 雪季のことすら、たぶん忘れていた。

 それは決して悪いことではなかったのだろう。


「ま、美波は大人な女子大生なのにまだ処女なんだけどね。てへっ♡」

「今の話、説得力が全部吹っ飛びましたよ!」


 もしかして俺は、女を信用しないほうがいいんじゃないだろうか。

 春太は、女性不信になりそうな自分が怖くなってきた――



「ふー……」

 春太は、家の門扉を開けながらため息をついた。


 今日の放課後はなにもない予定だったのに、ずいぶん疲れた。


 松風とのバスケに、美波とのゲーム。

 美波は、大学の友達と用事ができたというので、遊びは切り上げてきた。


 今はまだ午後六時すぎ。

 雪季は氷川と冷泉との勉強会だし、父親はまだまだ帰ってこない。

 勉強会は毎回夕食付きなので、雪季の帰りももう少し先だろう。


「っと、確認しとかないと」

 玄関の鍵を開けてから、思い出す。


 ガレージを覗いて、車の横にカバーをかけたレイゼン号がちゃんとあることを確認――


「……って、おい」

「あ、おかー、桜羽先輩」

「おかー、じゃねぇよ、冷泉れいぜん


 レイゼン号のそばに、冷泉が座り込んでいる。

 雪季の親友の一人にして、春太の中学の後輩。


 制服のブレザーにスカート、それに薄手のコートという格好だ。

 寒いのか、コートのポケットに手を入れて身体を丸めるようにしている。


「おまえ、雪季と氷川と一緒に勉強会じゃなかったのか?」

「ボクはちょっと用があるって途中で抜けてきたんす」


「自分の苗字をつけたバイクが、そんな気になるのか?」

「そりゃあ、ボクの名前をつけた我が子のようなバイクですから。毎日、先輩はボクの子にまたがってるんすねえ」


「変な言い方すんな。まったく……なんの用か知らんけど、この寒いのになにしてんだ。ちょっと上がっていけ」

「ほーい」


 さすがに、妹の友達を玄関先で追い返すわけにはいかない。

 もう日も暮れて、外はすっかり冷え込んでいる。

 先輩としても、あたたかい飲み物の一杯くらい振る舞わなければ。


「はー、あったかー。生き返るようっすよ」

「死にかけてまで、なにをやってたんだよ」


 冷泉はエアコンのそばでくるくる回って、まんべんなく温風を浴びている。

 春太はその間に、ティーバッグで紅茶を淹れてやった。

 雪季なら茶葉から淹れるところだが、春太にはそんなスキルはない。


「おまえ、紅茶だったよな? 砂糖あり、ミルク無しだったか」

「おー、ちゃんとボクの好み、覚えててくれたんすねえ」


「家庭教師の日は、いつもそれ飲んでるだろ」

「ま、そうなんすけど、そんな細かいトコまで見ててくれるとはねー」


 冷泉は嬉しそうに言いながら、リビングのソファに座って美味しそうに紅茶をすする。

 春太もその前に立って、紅茶に口をつける。


「それで、なんだ? 勉強会でわからないところでもあったのか?」

「もう11月っすよ。まだわかんないトコがあったらヤバいっす」


「そりゃそうだ。まあ、冷泉はそこそこできてるしな。雪季よりずっと」

「フーもだいぶ頑張ってるっすよ。今日も無駄口叩かずに、ヒカに真面目に教わってたっすから」

「へえ、あの雪季が余計なおしゃべりもしないのか」


 雪季が春太に教わるときは、ちょくちょく雑談が始まったりしている。

 氷川より春太のほうが甘く、雪季も氷川より春太に甘えているからだろう。


「つか、氷川はそんなに人に教えてて――って、全然大丈夫なんだったな。つい、あいつの見た目のせいで頭が良いっていうのが受け入れられねぇ……」

「あっはっは、失礼な先輩っすね。見た目スポーツ少女っすもんねえ、ヒカは」

 冷泉は、けらけらと笑っている。


「大丈夫でしょ、ヒカはもう受かるかどうかよりトップ合格を獲るかどうかっすよ。本人は合格するだけで充分みたいっすけど」

「……動機が不純だからな」


 氷川の目的は、松風と同じ高校に通うことだ。


「いやー、女子中学生としては真っ当でしょ。普通すぎるくらいっすよ」

「そんなもんか。ま、首席なんて狙えるレベルでもなかった俺より、氷川のほうが凄いわけだからな。なんも言えねぇ」


「そういうわけっすから、ヒカも、それにフーもたぶん大丈夫っす」

「ちょっと待て。“大丈夫”から自分を省くなよ?」


 春太は、冷泉の家庭教師をして、きちんとバイト代ももらっている。

 これで彼女が落ちたりしたら、本気でシャレにならない。


「ふーん……先輩、ボクが悠凛館に合格する可能性ってどれくらいと見てるっすか?」

「は? そんなもん、塾で判定を出してくれてるだろ?」


「先輩の見立てを聞きたいんすよ」

「見立てって……俺、塾みたいに細かいデータとか持ってないからな?」


 あまり無責任なことも言いたくないので、春太はあまり数字などは出してこなかった。


 塾ならば、模試で合否判定をランク分けしてくれるし、それを参考にすればいいと思っている。


「知り合って間もない塾の先生の言うことより、長い付き合いの先輩のお話のほうが参考になるんすよ」

「時と場合によると思うが。つーか、おまえが中学に入ってからだから、そんな長い付き合いでもねぇだろ。ただ、うーん……」


 冷泉はいつもふざけているが、一応真剣な話らしい。

 進路のかかった話なのだから、いい加減なことも言えない。


 だが、もちろん春太には教える側として教え子の可能性についても検討している。


「まあ、8割くらいだな。10割はありえねぇんだから、充分だろ」

「おおっ、先輩が言うなら間違いないっすね」

 ぱん、と手を打ち合わせて喜ぶ冷泉。


「でも、ボクはこれでもナイーブな受験生っすから。不安は隠せないんすよね」

「おまえ、情緒不安定か。気持ちはわかるけどな」


「そうっすよね! だから、先輩!」

「な、なんだよ」


 冷泉は立ち上がり、がしっと春太の手を両手で掴んできた。

「ねー、先輩。もしボクが悠凛館に無事に受かったら」


「なんだよ、ご褒美か?」


「ボクと、えっちしてください」


「…………」


 眼鏡の奥の冷泉の目は笑っていない。

 黒髪のボブカット、赤いフレームの眼鏡。


 文学少女っぽい雰囲気を出しながらも、中身はまるで体育会系で、ざっくばらん。

 冷泉――冷泉素子もとこは、冗談を言っているわけではなさそうだ。


「……なに言ってるんだ、おまえは」

「先輩、そのリアクションは面白くないっすよ」


「面白さを期待するなら、おまえももっとわかりやすい前フリをしてくれ」

「おっと、夫婦漫才に持っていこうとしてもそうはいかないっすよ。これはガチの話です」


 ぐぐっ、と冷泉は春太の手を掴んだ両手に力を込めてくる。


「先輩ってえっちしたことあるんすか? ちなみにボクはまっさらな処女です」

「……おまえ、汚いぞ。なにがまっさらだ。先に言われたら、答えるしかないじゃねぇか」


「先輩は、そういう人かなと思って先手を打たせてもらったっす」

「一応……経験はある」


 馬鹿みたいだと思いつつも、春太は正直に答える。


「でしょうね、先輩ってこれで意外とモテますもんね……あー、くそっ、マジか!」

「お、おい」


 後輩が珍しく感情を剥き出しにしている。

 春太は、ちょっと怖いくらいだった。


「いえ、わかってたっすよ。なんか、カノジョっぽいちっこい人もいましたし」

「……ちっこいっておまえな」


「あ、中学んときもなんか怪しい気配があったような」

「……おまえ、マジで俺のこと見てたのかよ」


 中学時代――確かに、春太にはがないでもなかった。

 といっても、それはたいした話でもなかったが。


「いえ、中学の話も今の話も、お相手については詮索しないっすけど」

「だいぶ気になってるようだな……」


 中学時代の思い出はともかく――


 晶穂との付き合いは言いふらしてもいないが、特に隠しているわけでもない。

 雪季や美波も知っているのだから、冷泉も知っていて不思議はない。


「だいたい、経験ないっていうなら、俺なんかじゃなくて――」

「経験ないからこそ、先輩にって話っすよ。わかってるくせに」

「…………」


「大丈夫です、一回だけ。絶対にフーにはバレないようにしますから。自分の親友と兄貴がえっちしてたら、最悪ボクは友達の縁を切られるかもしれないですし。それは、絶対にイヤっす」


「……おまえ、そんな危険を冒してでも……?」

「そんな危険を冒してでも、犯されたいっす」

「犯す言うな」


 ふうーっと春太はため息をつく。


 美波といい、今日はいったいどうなってるのか、と愚痴の一つも言いたかった。

 だが、この後輩の前では口に出せない。


「あのな、冷泉。おまえ、勉強のしすぎで疲れてるんだ。一度帰って、今日はもう勉強しなくていいからぐっすり眠って、俺に言ったことを思い返してみろ」

「気の迷いでこんなこと言うほど、ボクは馬鹿じゃないっす。馬鹿じゃないのは、カテキョの先輩がよく知ってるはずっす」

「…………」


 優しく諭しても効果はないらしい。


「それとも……ボク、可愛くないっすか? そりゃ、おっぱいはフーにはかなわないっすけど、これでもクラスじゃ大きいほうなんすよ?」

「おいっ」


 冷泉は春太から手を離して、制服越しに胸を押しつけてきた。

 確かに――晶穂はもちろん、雪季にも及ばないが、柔らかくてボリュームのある二つのふくらみが感じられる。


「お願いします、先輩! ボク、こう見えてもプレッシャーに弱いんす! でも、ご褒美があるってわかれば――」

「おまえ、めいっぱい受験をダシにしてくるなあ……」


 もう疑う余地は無い。

 少し――ほんの少しだけ思わなくもなかったが、冷泉素子は春太に好意を持っているようだ。


 そうでなければ、ネットカフェのカップルシートで密着などしてこなかった、ということだ。

 あの状況で、可愛い女子中学生に密着されたら、変な気を起こさないほうが珍しい。

 冷泉は春太を信用している――と思っていたが。

 信頼以外にも春太に向けている感情があった、ということらしい。


 冷泉は、あの場でなにかが起きても受け入れる覚悟があった――のかもしれない。


……?」


 いつもとは違う――おそらく、冷泉の素の口調。

 春太は、これを聞いたのは初めてだ。


 冷泉が真剣であることが、ビリビリと伝わってくる。

 だが、相手は受験生。

 精神的なショックを受けるような返事をするほど非情にはなれない。


 おそらく、この賢い後輩はそこまで計算しているのだろう――

 成績は氷川のほうが上だが、立ち回りの上手さは冷泉のほうが勝っているらしい。


「……受験に合格してから、まだ冷泉の気持ちが変わってないなら考えよう。受験でメンタルが追い詰められてるのは間違いないんだからな。合格すれば思い直すかもしれない」

「…………」

「悪いが、俺が言えるのは、ここまでだ」


「う、うーん……全然なんの保証にもなってないっすけど……それなら!」

 ぎゅっ、と冷泉が強く抱きついてくる。


「お、おい、そろそろ離れろって」

「先輩、いきなりえっちは処女にはハードル高いと思うんすよ」

「は?」


「だから……」

 冷泉はいつもニコニコしている顔に羞恥の表情を浮かべ、耳まで真っ赤になっている。


「だから、ちょっとだけ! 少しでいいから、ちょこっとボクにいたずらしないっすか?」

「いたずらって!」


「おっと、言い間違い。ちょっとでいいから……先払い、ダメっすか?」

 もちろん、春太にも先払いの意味くらいはわかる。

 合格したらいきなりセックスではなく、その前に段階を踏んでおきたいのだろう。


「ちょっとで……ホントにちょっとでいいんです。先っぽだけでも!」

「おいっ」

「あ、失礼。それはジョークです。でも、少しでも先払いしてくれたら、さっきの先輩が言ってくれたことを信じて、あとは受験勉強にだけ集中します」


 冷泉はそう言うと――ブレザーを脱ぎ捨て、ぷちぷちと白ブラウスのボタンを外し始める。


 当然、雪季が着ているのとまったく同じタイプのブラウスだ。

 雪季がこれを着るところも脱ぐところも、数え切れないほど見てきている。

 だが、別の女子が脱いでいるところを見ることになるとは――


「……あのな、さっきの話、一応答えておく」

「どれっすか? いろいろ言ったんで、自分でもなにがなんだか」


「はぁ……」

 春太は冷泉の頬をそっと撫でるようにする。


「冷泉、おまえは可愛い。胸についてはノーコメントだ」

「……先輩らしいっす♡」


 冷泉はにっこり笑って、また抱きついてきた。

 既にブラジャーが剥き出しになっていて、コメントしなかったものの、やはり意外に大きな胸が押しつけられてくる。


 本当にややこしいことになってきた。

 春太は、可愛い後輩の胸と体温を感じながら、自分が幸せなのか不幸なのかもわからなくなってしまう。

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