第14話 妹は現実を受け入れられない

「父さんと母さんは離婚することにしたんだ」

 リビングで、父は前置きもなくそう告げた。

 淡々と、まるで明日の天気の話でもするように。


「昨夜、離婚届にもサインした。あとは提出するだけだ」

「ごめんなさい、春太、雪季ふゆ。こんなに急に。ですが、決まった以上は一刻も早くお話しするべきだと思ったんです」

 父と母は、深々と頭を下げた。


 両親に頭を下げられたのは初めてかもしれない、と春太はぼんやり思った。

 父と母は頭を上げ、目配せすると――

「理由については、話さないわけにはいかないよな。父さんたちは……忙しくて、ずっとすれ違いばかりだし、それに――」

 父が離婚の理由をずらずらと並べ立て、時々母が補足してきたが、春太はほとんど聞いていなかった。

 ソファで並んで座っている雪季も、黙ったままで呆然としている。


 母の転職を覚悟していたら、はるかにレベルの違う話を切り出されたのだ。

 春太たち兄妹の覚悟など簡単に打ち砕かれている。


「お母さんは、転職することにしたんです。ただ、新しい職場は――」

 その転職の話も始まった――

 だが、転職に離婚が付け加わると、話は大きく変わってくる。


 母親が告げた転職先は、決して近いとは言えなかった。

 どう考えても、このあたりから通勤するのは不可能――

 母は遠方に引っ越すということだ。


「…………」

 春太は、ふと気づいた。

 父と母が黙り込んだことに。

 ぼーっとしていたせいで、話が途切れていることにしばらく気づかなかった。

 待て、落ち着け、と春太は自分に言い聞かせる。


 視線を下げると、妹のミニスカートから伸びる白い太ももが見えた。

 雪季の膝がかすかに震えている。


 黙ったままなのは、雪季も同じだ。

 いや、言葉も出てこない妹のために落ち着かなくてはならない。


 そうだ、俺は兄貴なんだから――春太はぐっと心を立て直す。

 ぼんやりして、こんな重大な話を聞き流しているわけにはいかない。


「父さん、母さん。話はわかったけど、なんか……その、いきなりすぎるな」

「すまん。だが、離婚となるといろいろ整理しないといけないことも多くてな。それが、GWにやっと片が付いたんだ」

「…………」

 それで、両親はGWも忙しそうにしていたのか。

 春太は、ようやく納得できたが――

 いや、唐突すぎる離婚話は納得できていない。


「それと、もう一つ。こっちがむしろ本題といってもいいかもしれない」

「は? 離婚する以上の話があんのか?」

 春太は冷静に聞き返したが、口調ほど落ち着いているわけではない。

 膝を震わせている妹がなにも言えないなら、せめて自分が――と、かろうじて使命感が彼を動かしているだけだ。


「父さんと母さんは、

「再、婚……?」

「春太が3歳、雪季が2歳のときに再婚した。春太も覚えてないだろうが――」

 父は、覚悟を決めるようにすうっと息を吸い込んで。


「春太、雪季。おまえたちは実の兄と妹じゃないんだ」


 映画やドラマだったら、緊迫感溢れるBGMが流れ始めるか、逆に無音になるところだろう。

 だが、残念ながらこれはリアルな人生。

 BGMなど最初から流れていなくて、ただ父の言葉が春太の頭を駆け巡っていた。

 春太は、ごくりとつばを呑み込んで――


「……俺と雪季は、父さんと母さんの連れ子同士……ってことか?」

「そうだ、血縁で言えば春太は俺の息子。雪季は母さんの娘だ。俺も母さんも、子供が生まれた直後に離婚していて――」

 再び、父親の説明が始まった。


 両親の一度目の離婚の理由は曖昧にされているが――そんなことは春太にはどうでもよかった。

 情報が多すぎて処理しきれない。

 黙って、ここから雪季を連れ出してしまいたい。

 何事もなかったように学校に行きたい。

 だが、そんなことは叶わないことは充分に理解している。


「雪季が18歳になったらおまえたちに真実を打ち明ける――と決めていたが、今思えばもっと早く話すべきだったかもしれない。本当にすまない」

「父さん、母さん。ちょっと待ってくれ」


 両親の説明はもうほとんど耳に入っていなかったが、春太は二人を止めた。

 情報量が多すぎる。

 いや、話自体はシンプルなのだが、情報の一つ一つが重すぎる。


 これもドラマだったら取り乱したり、部屋を飛び出したりするところだろうが、人間は驚きすぎるとかえって平静になるらしい。

 少なくとも、春太は表面的には冷静でいられる自分に驚いているくらいだった。


「話を遮って悪い。でも、先に訊きたいことがある」

「なんだ?」

 父の顔も冷静そのものだ。

 春太がなにを訊きたいのか、察しているという顔つきだ。

 当然だろう、離婚と子供たちの出生について明かすと決めて、どんな質問が来るかくらいシミュレーションはしただろう。


 すぐに答えは返ってくる。

 おそらく、春太が決して欲していない答えが。

 春太は、ちらりと横の妹を見てから――


「つまり離婚して……俺は父さんと、雪季は――母さんと暮らすってことか?」

「…………っ」

 隣で固まっていた雪季が、びくんと反応する。

 それでも、やはり妹はなにも言わなかった。


 父も母もそんなことは一言も言っていない。

 だが、両親の言葉の端々から、二人の雰囲気から、嫌になるほどそれが察せられる。

 察していたのは、おそらく春太だけでなく――


 春太がまた横目で見ると、妹の顔からは完全に血の気が引いていて、真っ青になっている。

 当然だろう、こんな話を聞かされれば。

 両親の離婚だけでも中学生女子には充分なダメージだろうに。

 その上、生まれて15年も信じて疑わなかったものが崩れ去ったのだから。

 もちろん、大事なものが崩れてしまったのは春太も同じだ。


「雪季ちゃんは……お兄ちゃんの妹じゃなかったんですか……」


 ぼそっと、雪季がうつむきながらつぶやいた。

 雪季は、今さらそのことを理解したらしい。


 春太は、ふと思い出した。

 妹は幼い頃、自分を“雪季ちゃん”と呼んでいたことを。

 いつの間にか、一人称が“私”に変わっていたが……。


 そんな幼い頃の思い出すら、聞かされた真実のせいで、今までとは違ったもののように思えてしまう。


『雪季ちゃんはねー、おにいちゃんとけっこんするんですよ』


 幼い子供がよく言うような、ありふれた台詞。

 今の今まで春太は忘れていたが、そんな台詞も――雪季ではない他の誰かに言われたかのような気になってしまう。

 

 兄妹の関係だけでなく――思い出まで壊れてしまったかのような。

 春太の胸の奥から、重くて熱いなにかがこみ上げてきて、喉が詰まりそうになる。


「雪季ちゃんと……お兄ちゃんは……」

 またつぶやいて――言葉が途切れてしまう。

 両親も黙ったまま、誰も口を開かなかった。


 ついさっきまで、いつもどおり妹と普通に話していたというのに。

 日常の崩壊はあまりにもあっけない。

 もう、晶穂のことも受験のことも頭になかった。

 ただ、妹の手を握ってやろうかと思い――だが、できなかった。

 このリビングに来る前なら、雪季の手を当たり前のように握れたのに。


 いや、そうだ――

 隣に座っている、この綺麗すぎる少女は自分の妹ではないのだ。

 春太は、両親の離婚すらもうどうでもよく。

 ただ、その残酷すぎる事実に打ちのめされていた。

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