第10話 妹はまだ大人になれない

 まさか、またここに戻ってくることになるとは。

 春太は思わず苦笑いしそうになりながら、廊下を歩いている。


 つい先日卒業したばかりの母校だ。

 もちろん、懐かしさなど1ミリも感じない。


 今は授業中ということもあって、校内は静まりかえっている。

 本日は五月頭、GWの真っ最中だ。

 春太の通う悠凛館高校はこの時期、連休の間もまとめて休みになっている。

 だが、この公立中学の休日はカレンダー通りで、平日の今日は普通に授業がある。


「そういえば、桜羽は部活には入らなかったそうだな?」

「あ、はい。すみません」

「ハハ、謝らなくていいけどな」

 隣を歩いているのは、三年生時の担任だ。

 同時に、春太が一年生のときだけ所属していたバスケ部の顧問でもあった。

 バスケ部は松風に付き合って入っただけで、二年になってすぐに辞めてしまった。

 理由は言うまでもなく、雪季ふゆと登下校するためだ。

 朝練や放課後の練習があっては、帰宅部の妹と時間が合わない。


「おまえ、身長も高いし、センスもあったと思うけどな。まあ、ウチも悠凛館も部活は強制じゃないが」

「俺は熱血より適当に遊んでるほうがいいんですよ」

 妹と遊びたい、とはさすがに言えない。

「そうか。しかし、卒業生はたまに訪ねてくるが、こんなに早く来る奴は珍しいぞ」

「俺は松風のオマケですよ」


 そう、今日は部活がオフの松風と一緒に母校に来たわけだ。

 松風は後輩に頼まれて、バスケ部の練習を見てやりに来たらしい。

 せっかく部活が休みなのに、後輩の頼み事に気軽に応じるとは松風らしい。


「その松風はまだ来てないじゃないか。というか、ずいぶん早くに来たな」

「時間を間違えたんですよ」

 大嘘だった。

 少し早めに来て、授業中の妹の姿を見たいというのが本当のところだ。

 我ながらキモいとは思うが、中学時代は校内で雪季を見ることはあっても、授業を受けているところは見ていない。

 雪季が授業を受けいるときは、春太も授業中だったのだから当然だが。

 いや、春太は忙しい両親に代わって雪季の保護者のつもりでもある。

 授業参観のようなものだ。

 担任にお願いしたら、あっさりと許可も出てしまって案内までされている。


「おまえの妹思いは有名だからな。あ、からかってるんじゃないぞ?」

「からかってもいいですよ。気にしませんから」

 春太は、また苦笑しそうになる。

 さすがに元担任には春太の思惑はバレバレなようだ。

「ああ、ここだ。ちょっと見るだけだぞ」

「わかってますよ」


 三年三組の教室に着き、春太は後ろ側ドアの窓から室内を覗いた。

 教室内では三十人ちょっとの中学生たちが授業を受けている。

 その中に――窓際に、ひときわ目立つ女子の姿がある。

 茶色のさらさらしたストレートロング、白いブラウスを押し上げる二つのふくらみ、細い腰にスカートから伸びる白くて長い脚。

 何気なく髪をかき上げる仕草には、大人のような色香さえ漂っている。

 教室にいても、妹はやはり目立ちすぎているほどだ。

 身内びいきではないと春太は思う。


「ま、桜羽が心配するのもわかるけどな。桜羽――妹のほうは目立つ生徒だからな。ちょっと美人すぎる。あ、今のはオフレコな。教師がこんなこと言っちゃいかん」

「……やっぱ目立ってます?」

 春太は教室内をコソコソ覗きつつ、小声で訊く。

「だいぶな。茶髪の生徒なんか珍しくもないが、大人びてるしな、桜羽妹は」

「急いで大人にならなくていいんですけどね……」

 雪季の精神年齢は子供に近いが、発育の良さだけは他の同級生を引き離している。

 兄としても誇らしいとはいえ、少女から急速に大人に近づきつつある姿には、妙な焦りを感じてしまう。


 雪季が、兄の前で平気で着替えたり、風呂に一緒に入ったりするのは無邪気だからだ。

 少なくとも、春太の前ではまだ子供のままだからだ。

 だが、さすがに妹も、学校では子供のようには振る舞わない。

 男子たちの前で着替えたりしないし、友人にスパに誘われても同性に裸を見られるのを嫌がるくらいだ。


『お兄ちゃんの前では自慢のボディなんですけど、友達と一緒だと恥ずかしいんですよねー……』


 と、スパの誘いを断ったその日、雪季は春太と風呂に浸かりながらつぶやいていた。

 中三にしては大きくふくらんだ胸と、薄ピンクのぷっくりした可愛い乳首。

 腰はなだらかなカーブを描きつつ、きゅっとくびれている。

『あ、私、お尻ってどうですかね? 自分じゃあまり見えないので』

 雪季はいきなり湯船から立ち上がると、くるっと後ろを向いて春太に尻を向けてきた。

 さすがに、すぐ目の前に妹の尻があるのは春太にも恥ずかしい。

 とにかく、雪季の尻は小ぶりでありながら柔らかそうにぷりぷりしている。

 真っ白でつるりとシルクのようになめらかで、傷一つない。

『あー、うん。絶対に痴漢なんかには触らせたくない尻だな』

『変な表現ですね、お兄ちゃん。ていうか、これはお兄ちゃん相手でもさすがに恥ずかしくなってきました……』

 雪季は、ぱっと湯船の中に座り込み、背中を丸めて恥ずかしがっている。

 兄としては妹に恥じらいもあって安心する。

 恥ずかしがるだけならまだいいが、これからは嫌がられることも――


「…………」

 ――と、春太はそう遠くない日の一幕を思い出していた。

 本来なら、尻どころか着替えも恥ずかしがって当然の年頃だ。

 いや、教室にいる大人びた美少女を見ていると――

 自分が妹とイチャつく妄想をしているだけじゃないかとすら思う。

 あの子が妹である限り、確実に少しずつ距離は離れていく。

 春太は教室の雪季を見ながら、寂しさを覚えずにはいられなくて――

 すぐに、忘れることにした。

 教室で妹をコソコソ覗きながら感傷に浸ってどうするのか。


「……つーか、意外と真面目に授業受けてますね、あいつ」

「意外? いや、桜羽妹は授業態度は良好だぞ。居眠りなんて聞いたこともないし、俺が見る限りではノートもきちんと取ってる」

「なんでそれで成績悪いんすかね……」

「うーん、まあそういう生徒も珍しくはない……としか言えないな」

 雪季は家ではあまり勉強してないが、中学のテストは授業を真面目に受けていればある程度の点数を取れるはず。

 それができてないのは、不思議でならない。


「っと、長いこと見てるとガチで変質者くさいっすね。ありがとうござ――」

 春太が雪季の顔を見ながら、ドアから離れようとした瞬間、急に妹が振り向いた。

 ばちっ、と完全に目が合ってしまう。

「あれぇっ!? お兄ちゃんじゃないですか! どうしたんですか!」

 雪季は素っ頓狂な声を上げて立ち上がる。

 教室の誰も春太に気づいていなかったのに、変なところでカンが働く妹だった。

 雪季は、つかつかと教室を横切って後ろ側のドアを開ける。


「えっ? えっ? 今日はお休みで松風さんと遊ぶって……どうしたんですか?」

「いや、驚かせて悪かったが、とりあえず抱きつくのはよせ」

 雪季はドアを開けると、当たり前のように春太に抱きついていた。

 ぷにっ、とよく育った二つのふくらみが押しつけられている。

 春太は雪季との仲の良さを隠したことは一度もないが、さすがに後輩たちに妹に抱きつかれている姿を見せるのは照れくさい。


「妹が兄に抱きついてなんの問題が……」

 雪季は離れつつも不満そうだ。

 教室の中からは「未だにあの兄妹アレか」「くっそ、桜羽先輩羨ましすぎる」「桜羽先輩を兄と呼びたい」「むしろ桜羽さんを妹にしたい」などなど、欲望まみれの男子の声が聞こえてくる。

「ああ、雪季ちゃんいい匂いしそう……柔らかそう……」

 中には女子で羨んでいる子もいる。

 雪季が春太に抱きつけて羨ましいのではなく、雪季に抱きつかれている春太が羨ましいようだ。

 桜羽家の妹は、同性にも人気らしい。


「松風に付き合って、バスケ部の練習を見に来たんだよ。どうせ暇だしな」

「暇なら授業参観していけばいいのでは? 先生、いいですよね?」

「ダメです」

 雪季の無邪気な質問に、教卓にいる教師が即答する。

 当然、卒業生とはいえ見学に許可を出す権限などないだろう。

 春太に付き添ってくれた担任が、ひょいっと教室に顔を出す。

「山下先生、失礼しました。ほら、行くぞ桜羽」

「あ、はい。お騒がせしてすみません。じゃあな、雪季。ちゃんと勉強しろよ」

「え~」

 雪季は、兄が去ってしまうのが不満らしい。

 大人びた外見だけに、精神年齢の低さは“可愛い”とばかりは言っていられないかもしれない。

 とはいえ、春太は精神年齢だけでもまだ子供のままのほうが可愛がり甲斐があるのだが。

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