第9話 妹は兄をイチャつかせたくない

「ああ、そうだ。妹さん、おかえり」

「……ええ、ただいま帰りました」

「そっか、そういうことか。なるほど……この家には?」

 晶穂あきほが視線を向けてきて、春太はソファに戻りながらうんうんと頷く。

 そのとおり、妹は他の妹の存在を決して許さない。

 あるいは晶穂の誕生日が春太より先なら、晶穂が桜羽家の子になることも可能――なんてことはないが。


 だが、今はもう妹の人数どころではない。

 唯一の妹が、明らかに不機嫌オーラを発しているからだ。

「なんですか、その薄着は……それって下着じゃないんですか……?」

 さらに、じーっと晶穂のキャミソールの胸元を凝視している。

 ぶつぶつと小さい声で、晶穂にはよく聞こえていないようだが、春太の耳ははっきりと聞き取っていた。

 兄が言えなかったことを、妹は口に出せている。


「いえ、晶穂さんのことはいいんです」

 雪季ふゆは、ぶんぶんと首を振ってからキッと春太に視線を向けてくる。

「お兄ちゃん、私がいない隙に女子を連れ込むとは……まず正座してもらえますか?」

「説教が始まんのか!?」

「いつまでソファにふんぞり返ってるんです。が高いですよ」

「土下座しろって言ってんのか!?」

「冗談です。音楽を聴いてるんですね。お兄ちゃん、騒がしくしちゃ悪いですよ」

「おまえが騒がせてるんだが……」

「ていうか、ごめんね。妹さんがいない間に上がりこんじゃって」

「いいですよ、ウチのコンポを聴きにきたんですね。いくらでもどうぞ」


 雪季はカバンを置くと、春太からグラスをさりげなく取って、お茶をごくごくと飲んだ。

「ああ、美味しい。それにしても、お兄ちゃん。親のコンポをエサに音楽好きの女子を家に誘い込むとは、なかなかの手管てくだですね」

「さすが兄妹……同じようなこと言ってるね」

「俺の影響を受けすぎかな、雪季は」

 晶穂と春太が呆れると、雪季はきょとんとした顔になる。

「私の知らないところで、ずいぶん仲良くなったようですね……別にいいですけど。それじゃ、私はお部屋に行ってますから。失礼します」

 雪季はお茶を飲み干してしまうと、春太にグラスを押しつけてリビングを出て行った。


 晶穂は、リビングのドアが閉まるのをじっと見ていたかと思うと。

「あーあ、可哀想に」

「え?」

「一般論だけど」

「なんだ?」

「普通の妹でも、兄貴がその辺の女にデレデレしてたらイラッとするよ」

「……デレデレはしてないだろ」

 もしそう見えたとしたら、薄着になっている誰かの責任ではないか?

 まるで、雪季が普通の妹ではないかのような言い回しでもある。

「特にあの子の場合は、お兄ちゃんを取られた的な嫉妬があるんじゃない?」

「ないとは言わんが、本当に邪魔しちゃ悪いと思ってるんじゃないか。あれで気を遣うタイプだしな」

 音楽鑑賞の邪魔をするなど、マナー違反にもほどがある。

 雪季は嫉妬よりも礼儀を優先したのだろう。


「うーん、でも追い出しちゃうのは申し訳ないね。桜羽くん、妹さん呼び戻してきて」

「音楽聴きたいんだろ? 雪季がいないほうが静かだろう」

「美少女を愛でながら、いい音楽を聴きたいじゃん」

「……まあ、好きにしてくれ」

 春太は数メートルの移動が面倒なので、LINEでリビングに戻るように妹に連絡する。

「戻りました!」

「早っ!」

 LINEを送信したのとほぼ同時に、雪季が滑り込むようにリビングに入ってきた。

 着替えの途中だったらしく、ブラウスのネクタイを外してボタンがいくつか外れ、靴下も脱いでる。


「こら、雪季。人前なのにはしたないぞ」

「え? あっ、すみません、晶穂さん!」

「いいけど、お兄ちゃんだけならそのエロい格好でもいいんだ?」

 晶穂はおかしそうに、くすくす笑っている。

「あ、兄ですから。変に意識するほうがおかしいですよ」

「なるほど、そういう考え方もあるか。まあ、あたしは可愛い子のあられもない姿を見るの好きだから凄く助かるけど」

「えっ……」

 雪季が、ささっとソファの――春太の背後に隠れる。

 妹は身の危険を感じたらしい。


「冗談だよ。いや、可愛い子が好きなのは事実だけど」

「……可愛い子が好きなら、鏡を見るのが早いんじゃないでしょうか?」

「音楽なんて自分に酔ってなきゃできないけど、そこまで自画自賛もしないかな」

 そう言いつつ、晶穂は自分の美貌は否定しない。

 晶穂は雪季とはタイプがだいぶ違うものの、誰もが美少女であることは否定しないだろう。


「はー、いい音楽と美少女……最高か」

「けっこうなご身分だな、月夜見つくよみさん」

 とはいえ、音楽を聴きながら美少女を侍らせるのは確かに最高だろう。

「けっこうなご身分はお兄ちゃんでは?」

「……そうとも言うな」

 確かに、春太から見れば美少女を二人侍らせているわけだ。

 といっても、一人は妹だが。


「もうなんでもいいわー。あー、この曲もマジでいい……好きになっちゃいけない人を好きになった、とかベタだけど歌詞もいいんだよね。あ、君らも好きになっちゃいけない禁断の関係だよね」

「さらっと、とんでもない話を付け加えないでくれるか!?」

「あの、私はお兄ちゃんと怪しい関係ではないんですけど」


「ふーん……おっ、この曲も好き。子供の頃はよくわかんなかったけど、かなりエッチな歌詞なんだよね」

「……確かに。この曲、俺も前に聴いたことあるけど、こんな歌詞だったのか」

 何十年もヒットを出し続けている有名な邦楽ロックバンドの曲だ。

 子供にはわかりにくい言い回しだが、かなり過激な歌詞になっている。


「妹さんは、お兄ちゃんとエッチしたいとか思わないの?」

「…………っ!?」

「月夜見ー! おまえ、妹になにを訊いてんだ!?」

 驚いて真っ赤になる雪季、思わずソファから立ち上がる春太。

「おっ、とうとうあたしを呼び捨てにしたね。別にいいよ、同中の男子とかフツーに呼び捨てだし」

「……お言葉に甘えさせてもらおう。初めて来た家で、なかなかの大胆発言だな、月夜見」

「晶穂でもいいのに、慎み深いね。それで、妹さんどうなの? というか、もしかして既に経験済み?」

「し、してません! 私はまだ中三ですよ!」

「中三ならエッチしてる子、多いでしょ。まあ、意外とヤってない子もいるけどさ。妹さんも、友達とそういう話するでしょ?」

「し、しな――しないことはないですけど。少なくとも、私はまだお子様ですから」

「ほーほー、エッチな曲を聴きながら恥じらう美少女を堪能……ステキ」

「俺、月夜見のキャラがだんだんわかってきたわ」

 この前のエアルでのやり取りでもそうだったが、空気を読まずに言いたいことを言うようだ。


「あの……そ、そういう晶穂さんはその……け、経験はお有りなんですか?」

「雪季もなにを訊いてんだ」

 春太は、正直言ってクラスメイト女子の性体験の話など聞きたくない。

 聞きたい男も多いだろうが、春太はいらん想像をしそうなので拒否したい。

「あー、音楽やってると女も男もヤりまくってるみたいに思われるんだよね。あ、こっちのアルバム聴きたい。入れ替えていいよね?」

「……月夜見の好きにすりゃいいよ」

 春太が答えると、晶穂はプレイヤーを操作して、CDを入れ替える。

 どうやら、操作にはすっかり慣れたようだ。

 アンプのツマミやボタンをいじって、微妙な調整までやっている。


「お兄ちゃん、お兄ちゃん。あの人、ズケズケ訊くけど自分はだいぶ都合のいい耳をお持ちじゃないですか?」

「まあ、俺としては答えてくれないほうがいいかな……」

「そこ、兄妹でコソコソしない。ほら、この曲もいいでしょ? イントロのギターのアルペジオが染みるんだよね。まあ、処女だよ」

「さりげなく、とんでもない情報まぜてくるなよ!」

「妹さんにだけ恥ずかしい真似はさせられないでしょ」

「そうっすか」

 春太は聞かなかったことにする。

 もちろん、松風にも誰にも話すつもりはない。

 ちなみに、春太の性体験の有無もここで明かす気はない。


「なんにしてもさ、エッチしてもいない、したくもないならブラコンシスコンは気にしなくていいんじゃない?」

「その話をするためだけに、えらく遠回りしたな」

「人間、好きに生きるべきだってこと。兄と妹がどんなにイチャついても人に迷惑かけるわけでもないしね」

「ですよね!」

 雪季が嬉しそうに頷く。

 性体験の話などは、もう忘れたかのようだ。


「ていうか、仲良し兄妹っていいなあ。君らモデルに一曲つくってみようかな」

「……できたら聴かせてくれ」

「もちろん」

 晶穂はまた、じゃじゃーんとエアギターを奏でる。

 春太は晶穂を家に招いたのは失敗だったかと思わなくもないが、それなりに楽しめてはいる。

 人見知りする雪季も、不思議と晶穂には懐いているようだ。

 晶穂のほうもコンポを気に入ったらしいし、また来てもらってもいいかもしれない。

 春太は、居心地のいい空気を感じていた。

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