第8話 妹はまだ帰らない

 繰り返しになるが、桜羽家はこぢんまりとした一軒家だ。

 家族四人が身を寄せ合うようにして暮らしている。

 妹のほうは人を家に呼ぶタイプではないが、春太が家に友達を呼ばないのは狭苦しいせいでもある。

 春太の友人で複数回家に呼んだことがあるのは、松風くらいだ。

 松風は礼儀を心得ているので、両親に遭遇したときも丁寧に挨拶して好感を持たれていた。


「ふーん、悪くないじゃん」

 新たなる来訪者は、リビングに通されるといきなり品定めを始めた。

 春太は落ち着かない気持ちを抑えつつ、晶穂あきほをリビングのソファに座らせた。

 キッチンに行って、ペットボトルのお茶をグラスに注いでリビングに戻る。


「ありがと。それで――」

「ああ、そうだったな。えーと……これ、どうやって使うんだっけ?」

 リビングの壁際に棚があり、メタリックカラーの機械が二つ縦に並べられている。

 その左右に置かれている木製の筐体がスピーカーだというのは、さすがにわかるが……。

「上のがCDプレイヤーで、下のツマミとかついてるのがアンプ。アンプは音を増幅する機械。ふーん、けっこう古い機種だね。あたしも、詳しくはわかんない」

 晶穂が棚の前で屈んで、キラキラ輝く目で機械を見つめてる。


「ていうかこれ、本当に触っちゃっていいの?」

「親父からは好きに使っていいって言われてるから。むしろ使ってほしそうだったな」

「定期的に使ったほうが壊れないとかあるのかな。あ、桜羽くん、CDってある?」

「ああ、こっちこっち」

 春太はコンポセットの隣にある別の棚を開いた。

 そこには、数百枚のCDがぎっしり詰め込まれている。

「うわっ、思ってたより多い!」

「昔はもっとあって、これでも半分以下まで減らしたらしいな」

 春太もこの棚を開いたのは久しぶりだった。

 そもそも、家ではほぼ自室にいて、食事のとき以外はリビングを使わない。

「これ、見せてもらっていい……?」

「ああ、いくらでもどうぞ」

 どうやら、晶穂はだいぶ興奮しているようだ。

 CDを抜き出しては、わーわーと騒いでる。

「20年くらい前の邦楽が多いね。洋楽はもっと古いヤツばっかり。こっちはお父さんもリアルタイムじゃないんだろうね」

「ふーん……洋楽のほうはバンド名は聞いたことあるな」

 春太も床に置かれたCDを数枚手に取って眺めてみた。

 世界一有名なイギリスのロックバンドのCDも何枚かある。


「20年前の邦楽は、ミリオンセラー連発してたらしいね。今はアイドル系か、ネットでよっぽどバズらない限りミリオンなんてほとんど不可能だけど」

「親父も似たようなこと言ってたなあ。当時は聴きたい曲多すぎて、レンタルで済ませてたとか」

「今は、CDをレンタルできるお店、少ないんだよね。ウチの近くにも全然ないし」

「CDを借りるって発想がないな。スマホでサブスクで聴く以外の発想がないというか」

 高校生の財力では月1000円のサブスクもキツいが、桜羽家では父親がファミリープランに登録して、春太と雪季ふゆも好きに聴ける。

「あたし、桜羽くんのお父さんと趣味合うかも。この時代の音楽が好きなんだよね」

「ウチの親父と? なんかヤだな……」

 女子高生と趣味が合う父親、というのはいかがなものか。

 どちらかというと、晶穂のほうが変わっているのだろうが。


「ね、これ聴いてみていい?」

「いいよ、なんでも好きにしてくれて」

 春太はグラスを手に、どっかとソファに座る。

「俺は操作わからないけど、大丈夫か?」

「親戚の家で似たようなのを使ったことあるから」

 晶穂はうきうきした様子で、CDプレイヤーを操作し始めた。

 ちゃんと電源は入ったようで、CDを挿入して――音楽が鳴り出した。

「おーっ、やっぱアンプと大きいスピーカーがあると音が違うね。音の緻密さと圧力が違うなー」

「ふーん……」

 春太は過去に何度も聴いている音なので、特に感慨はない。

 だが、晶穂が感動しているのだから、わざわざ水を差すようなことも言わない。


「この曲、好きなんだよねー……普通のラブソングなんだけど、ギターが切なくてさ。うーん、やっぱウチのスピーカーは音が薄っぺらくて軽かったんだなー」

「……月夜見さんの家は、こういうコンポはないのか? っていうか、話しかけていいか?」

「いいよー。ちゃんと聴いてるからさ。ウチにはコンポはないね。ノートPCに安物のスピーカーを繋いで聴くのが精一杯」

 晶穂はコンポの前にぺたりと座って、音を浴びるようにして聴いている。


「ウチの親は音楽好きじゃないしね。むしろ嫌いなくらいだからコンポなんて持ってないし、自分で買うにはキツイしね」

「ギター持ってるだろ? あれはなにも言われないのか?」

「あのギターは友達のお下がりで、安く売ってもらったんだよ。親がいるときは弾かないから、別に文句は言われないね。親のいない隙を狙って、飛び回りながら弾いてるよ」

 晶穂はぴょんっと跳び上がり、激しくギターをかき鳴らすマネをして、脚を大きく上げたり、くるんと一回転したりと派手なアクションを入れてきた。

 パーカーの胸元がぶるんっと激しく揺れ、ひらりと揺れたスカートから黒いパンツがちらりと見えた。

 いや、黒ということはスパッツかもしれない。

 春太は深く考えないことにする。


「おっと、初めてのお家で失礼。つーか、暑くなっちゃった」

「あ、ああ。ちょっとエアコン入れるか」

 まだ冷房を入れるには早すぎる時期だが。

「んっ、それはいいよ。ちょっとこれ脱いじゃうから。んしょっ……」

 晶穂はパーカーを勢いよく脱いだ。

 その勢いで、たゆんっと大きな二つのふくらみが弾んで揺れた。

「…………」

 パーカーの下は、胸元にレースの縁取りがある白いキャミソール一枚だった。

 胸の谷間がくっきりと強調され、暴力的なまでの二つのふくらみも形までわかってしまう。

 それは下着なんじゃないのか……と思ったが、春太はツッコミを入れられない。

 女子に「そのエロいキャミ、下着じゃね?」と尋ねるのは度胸がいる。

「ん? やっぱ薄着すぎる? 人ん家じゃ失礼かな?」

「いや……別にかまわないが」

 考えてみれば、雪季などはもっと薄着でウロウロしている。

 春太は暑くないが、晶穂が涼しくなるならそれでいい。

 そう思うことにした。


「ウチは礼儀には寛容だからな。気にしなくていい」

「そういや、桜羽くんの家も昼間はご両親いないんだね。親がいない家にクラスの女子を連れ込んでるわけだ」

「音楽に飢えてる女子を、親のコンポをエサにしてな。なかなかの手管てくだだろ?」

 春太も、自宅にクラスの女子がいることに緊張してないわけではない。

 特に、晶穂は前から可愛いと思っていた相手でもある。

 ただ、妙に晶穂がサバサバしていて、音楽に興味があるだけというのも明らかなので、緊張しても仕方ないというだけだ。

「あー、さくまつコンビって二人とも硬派だって噂あったけど、桜羽くんのほうは見境なかったか」

「さ、さくまつ……」

 いつの間にか、春太は松風とセットにされていたらしい。

 二人揃って背が高いので、校内で目立っているのは知っていたが。


「でも、これがエサならばくーって食いついちゃうね。ここん家の子になりたい」

「コンポどころか、リビングも普段誰も使ってないからな。好きなだけ使ってくれていいが、月夜見さんの誕生日が問題だな」

「誕生日? プレゼントでもくれるの?」

「いや、俺は八月生まれだが、それより早いか遅いかだな」

「十月生まれだけど……あっ、そういうこと!」

 どうやら、晶穂は頭の回転が速いらしい。

 悠凛館高校に通っている以上、成績はよくて当たり前だが。


「じゅ、十月生まれなんですか…………」

「うわっ、雪季!?」

 リビングのドアのところに、制服姿でカバンを肩から提げた雪季が立っていた。

 あからさまに穏やかではないオーラが漂っている……。

「ああ……ああっ……とうとうお兄ちゃんが女を……」

 かと思ったら、雪季はバタンとリビングのドアそばで大げさに倒れ込んだ。

 スカートがめくれ上がり、純白の可愛いパンツが丸見えになっている。

「綿の白パンツ、フロントにピンクのリボン付き、ちょっと面積広めか……あざとすぎだけど清楚でいいね。女子中学生としては100点のパンツだなあ」

「詳しく解説すんな」

 のんきな晶穂にツッコミを入れ、春太は妹のそばに駆け寄り、スカートを直してやる。

 妹に恥をかかせないのも、兄の役割だ。

 ぽんぽんとスカートを叩いてから、妹の手を引っ張って立ち上がらせる。

 お客が来ているのに、寝転ぶのはさすがに行儀が悪い。

 雪季はなんとか床にぺたんと座り、じいっと春太と晶穂に交互に目を向けてきた。

 これは、タダでは済みそうにない雰囲気だった。

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