第5話 妹は兄を頑張らせたくない

 食事と買い物を終えて家に帰ると――

 春太のスマホに母からまたLINEが届いた。

 キッチンに入ってエコバッグを置いてから、スマホを確認する。

《先に寝ていてください》とのことで、要するに終電コースというわけだ。

 父親の終電帰りは多いが、母がこんなに遅いのは珍しい。

 つい先日まで「年度末は忙しい」と疲れ果てた顔で言っていたが、新年度の始まりも多忙なようだ。

「大丈夫でしょうか、ママ……」

 好物の寿司ですっかり機嫌が直った雪季ふゆが、兄のスマホを覗きながら心配そうにしている。

「そういやこの前、身体キツいから転職したいとか言ってたな。意外と冗談でもないかもしれない」

「え、そんなこと言ってるんですか。ママ、お兄ちゃんにはけっこう大事なこと言いますもんね。パパよりお兄ちゃんを頼りにしてるまであります」

「そこまでではないだろ。あー、でも職場復帰するときも相談された記憶があるな」

 春太がまだ小学二年生のときだ。

 母親はだいぶあとになって、「春太がイヤと言ったら復帰しなかったかも」と言っていたものだ。

 幼い息子の意思を尊重しすぎではないだろうか。

「けど、辞めるんじゃなくて転職なんだな。早く俺が稼いで、楽をさせなきゃダメか」

「桜羽家はバイトも禁止ですけどね」

「それな」

 春太は高校に上がって、さっそくバイトを始めようとしたのだが、両親の――特に母親からの強い反対に遭った。

 バイトは大学からでもできる、高校生のうちはもっと遊べ、というのが母の意見だった。

 なんなら小遣いの増額もやむなし、という話になりかけたが、春太は断った。

 ただでさえ、多めの小遣いをもらってるのだから。

「金がいるというより、単純にバイトをやってみたいんだよなあ」

「仕方ありません。ママの実家は厳しかったみたいですからね」

「闇が深いからな、あそこ」

 と言いつつも、春太も雪季も実は母方の親戚とは会ったこともない。

 母は多くを語らないが、かなり厳しい家で、高校からは学費もバイトで稼がされたという。

 実家に金がないわけではなく、むしろ裕福だったそうだ。

 家の方針で子供を厳しく育てるために、早くから労働を経験させていたらしい。

 その反動なのか、母親は息子と娘には金のことで無理をさせず、自由でいてほしいようだ。

「ママ、子供にも敬語で話すくらいですしね……どんな躾を受けてきたんでしょう?」

「雪季も母さんの影響受けまくってるけどな」

 雪季の敬語は母親譲りだが、強制されたわけではなく、自然とそうなっていた。

 母親が仕事に復帰する前、雪季はかなりのママっ子だったからだろう。

「まあ、俺たちはできる範囲で母さんたちの手伝いをすればいいのか。といっても、俺はなにもできてないが」

「あ、ダメですよ。“やっぱ俺も家事手伝うよ”とか言うつもりでしょう。そうは問屋が卸しませんからね?」

「珍しい言い回しをする中学生だな」

 この妹のボキャブラリーは、たまに兄にも謎だ。

 雪季は本を読むわけでも、古いドラマなんかを観るわけでもないのだが。

「私、中学生ですけど、家事はできますから」

「それがなあ……俺はほとんどなにもしてないのに」

 実は、桜羽家の家事は八割ほどを雪季が担当している。

 料理、掃除、洗濯――ほぼ全部と言ってもいいくらいだ。

 休日は母親が家事を担当しているが、平日は雪季が一手に引き受けている。

「私もママも家事は女がやるものなんて思ってないですよ。ママは元々家事が好きなだけで、私の雑な仕事のフォローもしてくれてますし」

「いや、雪季は全然雑じゃないだろ」

 春太の知る限り、雪季は家の隅々まで掃除しているし、洗濯も普段の服やタオルなどはもちろん、定期的にベッドのシーツやカーテンまで洗ってる。

 料理はあまり得意ではないが、充分に美味しいものを出してくる。

 春太は雪季の家事にまったく不満はない。

 勉強もスポーツもできなくても、家事ができるだけで妹は充分に凄い。

「私もやりたいからやってるんですよ。私たちの部屋の掃除も、私たちの服の洗濯も、お兄ちゃんが食べる物の料理も、全部自分でやりたいんです。たとえお兄ちゃんにでも譲りたくないんです」

「そ、そうだったな」

 春太には、何度となく聞いてきた話だ。

 桜羽兄妹は互いに目の前で着替えをしても気にしない。

 だが、下着を兄に洗われるのがイヤというのはわかる。

 共同の部屋とはいえ、自分のテリトリーを掃除されたくないのだろう。

 雑な男子高校生の料理など食いたくないのかもしれない。

 そう考えて、春太は妹が家事を担当する現状を受け入れている。

「パパとママも、お兄ちゃんには勉強頑張ってほしいんですよ。もちろん、私もです」

「甘やかされてんなあ、俺」

「たくさん甘やかしますよ。あ、ママたちが遅いなら先にお風呂入っちゃってください」

 雪季は、給湯器の操作パネルで風呂に湯を張り始める。

 春太は先に風呂を済ませてから、じっくり勉強するのが習慣になっている。

 二人で補充してきた食品を冷蔵庫や戸棚にしまい、リビングのTVで軽く動画サイトを眺めたりしていると、風呂の準備が整った。

「じゃあ、先に風呂もらうな」

「はーい」

 春太は一度自室に戻って、着替えやタオルなどを用意して風呂に向かう。

 桜羽家はこぢんまりとした一軒家で、風呂も決して広くはない。

 春太は狭い風呂場に入り、頭と身体を丁寧に洗う。

 このあと、妹も両親も入るので汚れを残したまま風呂に浸かっては申し訳ない。

 最後に念入りに身体を洗い流して――


「いいですか、お兄ちゃん?」


「ふ、雪季……!?」

 突然聞こえた声に、春太が振り向くとそこに全裸の美少女がいた。

 タオルでかろうじて身体を隠してはいるが、大きな胸のふくらみや真っ白なお腹や太ももは隠し切れていない。

 春太は振り向いたまま、じっとその身体を凝視してしまう――

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