第3話 妹は激しいのは好きじゃない
「はっ、はぁっ……お、お兄ちゃん……激しすぎです……」
「
「も、もー、クラスの男子じゃないんですから……はぁ、んん……でも、まだドキドキが止まりません……」
妹は、兄をせつなそうな顔で見つめている。
「ああ……やっぱり、私の身体は激しい運動には向いてないんですよ。ちょっと走っただけでこれですから」
ふーっ、と雪季は豊かにふくらんだ胸元を押さえてため息をつく。
自宅そばのバス停に向かう途中、ちょうどバスが来ていたので慌てて走って飛び乗るようにしたばかりだ。
本人が言うとおり、妹の華奢な身体にはいきなりのダッシュは負担が大きい。
それから、五分ほどバスで走り――二人は停留所で降りた。
「さ、行くか」
「はい、お兄ちゃん」
頷いた雪季は、制服から着替えている。
当然のように、兄の目の前で着替えていた。
春太が「脱げ」と言った意味を誤解していたようだったが。
着替えた服装は、薄いピンク色の花柄模様が入ったワンピースに、グレーの上着。
ロングの茶髪はポニーテールに結んでいる。
清楚な服装と髪型がよく似合っていて、兄が自慢したくなるほどだ。
その兄のほうは、パーカーにジーンズという至って雑なスタイルだ。
「俺ももうちょっとオシャレに気を遣うべきかな。雪季が恥ずかしいだろうし」
「え、そんなことないですよ。そのほうが変な虫が寄ってこな――いえ、お兄ちゃんはラフなスタイルのほうがかっこいいです。背が高いですからね」
「そんなもんかな」
妹も中学女子にしては背が高いが、実は兄のほうも負けていない。
身長は178センチ。体重は62キロ。
父親は180センチを超えているし、春太もその遺伝子を引き継いだらしい。
すらりとして足も長く、まるで外国人のようなスタイルだと言われることもある。
顔つきは特に濃くないためか、モデルなどにスカウトされたことはない。
「ま、どうせ近所のショッピングモールだ。俺はオシャレなんか必要ないか」
そう、二人が降りたバス停の目の前にあるのは、巨大なショッピングモール“エアル”。
食料や日用品はもちろん、電化製品や家具の店、それに雪季のようなオシャレ女子も満足できるブティックなども並んでる。
さらに、最近では珍しくなったゲームショップもあって品揃えも充実しているのがゲーマーの
桜羽家の周辺は田舎ではないが、大都市とも言えない。
誰もが知ってる繁華街に出るのは面倒なので、エアルのようなショッピングモールの存在は大変に助かっている。
「とりあえず食料の補充ですね。お兄ちゃん、なにか食べたいものあります?」
「うーん……」
桜羽家では、料理は主に雪季が担当している。
「いや、メシもここで済ませちまおう。たまには外食しても、母さんも文句言わないだろ。雪季とだと、牛丼とかラーメンってわけにもいかないかな」
「わ、お兄ちゃんとお外で食事ですか。牛丼かラーメンでも全然いいですよ!」
「さすがに、ちょっとなー」
春太は牛丼もラーメンも大好物だが、女子連れ――しかも雪季のような美少女を連れて行くのはためらわれる。
もっとも、予算に限りがあるので高級店というわけにもいかないが。
「まず軽くブラついてから、メシにするか。食料は最後でもいいだろ」
「はい、お兄ちゃん」
雪季は笑顔で頷いて、腕を絡めてきた。
たいていはカップルでも手を繋ぐくらいだろうが、雪季は遠慮なくくっついてくる。
春太も別に気にしない。周りの視線が恥ずかしいとも思わない。
モールの客のほとんどは、ただのバカップルだと思うだけだろう。
兄妹デートを堂々と楽しめばいい。
春太と雪季は真っ先にゲームショップに向かい、新作ゲームの棚の前で今後なにを遊ぶか真剣に話し合う。
CS64は続けるとしても、近々大型のタイトルが何本か発売される。
予算には限りがあるので、なにを買うかは重要な課題だ。
それから、雪季はいつもしているようにワゴンの特売コーナーを真剣な顔で覗き始める。
数百円から、高くても二千円ほどのソフトばかりだ。
春太は、特売品への興味は薄い。売れなかっただけの理由があると考えてる。
一方、雪季は「なにか良いところはあると思うんです」という考えだ。
雪季はしばらく悩んでから、携帯ゲーム機用の古いソフトを二本買った。
この妹はあれだけ毎日、春太と一緒にゲームをしているのに、特売品もいつの間にかクリアまでやり込んでいる。
こいつ全然勉強してねぇな、と春太は思うが。
クリアしたゲームの感想を楽しそうに報告してくる笑顔を見ていると、黙って聞いてやりたくなってしまう。
甘すぎる兄だった。
「お兄ちゃん、お待たせしてすみません。そろそろ、ご飯行ったほうがいいですよね」
「そうだな、適当に空いてる店に――」
「おーいっ、春太郎!」
「ん……?」
飲食店エリアに向かおうとすると、突然馬鹿でかい声が響いた。
ジャージ姿の長身の男が、軽やかに走って近づいてきている。
「ああ、
「こんなでかい野郎、そうはいないだろ。春太郎もけっこうでかいけどな」
ニコニコと笑いながらそう言ったのは、松風
短く刈り込んだ赤毛っぽい髪に、すっきりした顔立ち。
一見ほっそりしてるが、よく見ると厚みのある身体付きと、190センチ近い長身。
嫌でも目立つこの男は、春太の小学校時代からの友人だ。
この春に、春太と同じ高校に進学し、クラスまで同じになった。
そろそろ腐れ縁と呼んでもいいかもしれない。
わざわざ、本名より長い“春太郎”などと呼んでくるのも昔からだ。
「俺は部活帰りだけどよ、そっちは買い物か? ああ、桜羽さんも久しぶり」
「お久しぶりです、松風さん」
雪季は兄に絡めていた腕をゆっくり離すと、ぺこりと松風に頭を下げた。
松風は小学校、中学校の先輩だったのだから、当然雪季とも面識がある。
松風は、後輩でもある雪季を“桜羽さん”と苗字にさん付けで呼ぶ。
中学時代、春太の他の友人たちは、有名な美少女である雪季を友達の妹であるのをいいことに、馴れ馴れしく“雪季ちゃん”などと呼んでいた。
一方で、松風だけは例外だった。
春太はその理由を尋ねたことはないが、“友人の大事な妹”を彼もまた大事に扱ってくれているのだろう。
松風はいかにも体育会系な見た目のせいで雑そうに見られることも多いが、丁寧な気配りができる男だ。
「松風さんは、高校でもバスケを続けられてるんですよね?」
「まー、他に取り柄もないしね。高校はやっぱレベル高くてキツいわ。家に帰り着くまで、腹がもたなくて。ここのフードコード安いし、天国だな」
はははは、と松風は雪季ににこやかに笑いかける。
「それで寄り道してんのか」
松風の家は、いわゆる街外れにあって、エアルからもずいぶん遠い。
高校からの帰り道の中間地点にあるこのモールが、補給地点になっているのだろう。
「コンビニよりここのほうがコスパいい食い物が揃ってんだよ。春太郎たちは――」
「おーい、
「あ、ホントだ。桜羽くんだー」
「えーっ、なんか女の子連れてるー」
ドヤドヤと制服姿の男女の集団が、近づいてきた。
全員が春太と同じ高校で、何人かは春太も知った顔だ。
「北条もバスケ部だったか?」
「いんや、俺はバレー部。帰りに松風と一緒になったってだけだ。雪季ちゃんは久しぶりだなあ」
「あ、はい……」
最初に声をかけてきた男――北条も、春太や松風とは同中で、雪季のことも知っている。
他の数人は別の中学出身の連中ばかりだ。
「えー、この子って桜羽くんの妹さんなの? うわぁ、めっちゃ可愛くない?」
「背ぇ高っ! 脚も長いし……ええぇ、外国のモデルさんみたい!」
「もしかして、読モとかやっちゃってる?」
「い、いえ、そんな……」
女子高生数人に囲まれて、雪季は戸惑っている。
「悪いな、妹はちょっと人見知りするんだ。お手柔らかに頼む」
春太は女子の輪の中に割り込み、雪季をかばうように立つ。
「おー、出たぁーっ! あはは、おまえらは知らないだろうけど、ウチの中学じゃこの兄妹は有名だったんだよ。毎日一緒に登下校するわ、日曜には二人でデートするわで、仲良すぎなんだよな、おまえら!」
北条がケラケラと笑いながら言う。
「あ、もしかしてシスコンってやつ?」
「えー、高校生にもなったら、あんま妹なんてかまわなくない?」
「めっちゃ妹かばっちゃってるし。ねー、
「…………」
そのときになって、春太は気づいた。
女子の集団に隠れるようにして、小柄な同級生が一人いることに。
「んー……」
晶穂は、春太と雪季を大きな瞳でじっと凝視している。
彼女は別中学出身で、クラスメイトだ。
手にスタバのカップを持っていて、時々すすっている。
150センチあるかないかの小柄な身体、長い黒髪を結んで前に垂らした髪型。
顔つきも幼さが残っているが、目は大きく、それでいて鋭い。
ブレザーは着ずに白いパーカー、それにミニスカートにニーソックスという服装だ。
肩に担いでいるのはギターケース。
軽音楽部に所属しているという話は、春太も聞いたことがあった。
晶穂は身体は小さいが飛び抜けて可愛いので、クラスでの人気は高い。
「まあ、キモいね」
「…………っ」
その晶穂が、ぼそりと言った。
春太だけでなく、雪季もびくりと反応する。
他の女子たちもやかましいが、あまりにストレートすぎる一言だった。
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