第2話 妹は告られたくない
父親が十五年前に思い切って買った一軒家で慎ましく暮らしている。
大黒柱の父はごく平凡なサラリーマン、母も子供たちが小学校に上がってからは職場復帰してOLとして働いている共働き家庭だ。
兄の
妹は“雪の季節”と書いて、“ふゆ”だ。
ずいぶんロマンチックなネーミングだ。
その割に、一人目の子のほうにはシンプルな名前をつけているが、当の本人である春太は気にしていない。
雪季――真っ白な肌と、透き通った美貌を持つ妹にはぴったりな名前だと思っている。
妹がいい名前をつけてもらえた。
それだけで、春太には充分だった。
一つ違いの兄妹の仲は極めて良好で、思春期にありがちなギスギスなどどこにも見当たらない。
家庭内が険悪な空気にならないのは、大変けっこうなことだった。
「よし、こっち一人やった! ふん、裏取りなんかさせるかよ」
「さすがです、お兄ちゃん。前線を押し上げますね」
ある日の夕方――
二人は、自室でゲームに興じている。
この慎ましい桜羽家の間取りは3LDK。
一階はリビングダイニングとキッチン、それに風呂とトイレ、それに夫婦の寝室。
二回には洋室が二つあって、兄妹が一つの部屋を使っている。
部屋が一つ余っている状態だ。
両親の計画としては、小学生のうちは子供たちは一部屋で生活。
兄が中学に上がったら、部屋を分ける予定だった。
いや、実際に春太の中学進学を機に部屋を分けたことがあった。
両親は子供たちの机や棚を移動させ、二段ベッドも二つに分割してそれぞれの部屋に置いたのだが――
雪季は無言で抗議した。
自分の部屋を無いもののように振る舞い、完全に兄の部屋に居座った。
雪季は兄の部屋で遊び、宿題をして、眠った。
あまり大きくもないベッドでは二人で眠りづらかったので、春太が床で眠るハメになった。
両親は苦笑しつつ二段ベッドを元に戻し、学習机を元通り並べて置いた。
それから、春太が高校に上がったこの春も、兄妹はまだ同じ部屋で寝起きしている。
ゲームも同じ部屋で遊んでいる。
もちろん、ゲーム機は兄妹共用だ。
「お兄ちゃん、私も1キルです! 敵、地雷を仕掛けてました。壊しましたが、またやるかも。気をつけてください」
「マジか。このマップ、地雷を見落としやすいんだよな」
学校から帰ってきた二人は、制服のままで自室のTVの前に並んで座り、コントローラーをカチャカチャ操作してる。
いわゆるFPSと呼ばれる、主観視点で銃を撃ち合うゲームだ。
昨今のFPSやTPSではバトルロイヤルが流行っているが、桜羽家ではシンプルな6vs6のチーム戦がメインのゲーム“
元々、雪季が先にハマって春太が巻き込まれた形だったが、今や兄のほうもどっぷりだ。
春太と雪季は昔からゲームの趣味が合う。
兄妹で同じゲームを遊べるのはありがたいことだ。ソフトの代金を折半にできるから。
「わっ、
雪季が、身体をぐいーっと傾けながら必死で操作して機銃掃射から逃げている。
傾いた妹の頭や胸が、ガンガンと春太に当たっている。
「おい、慌てなくていいから物陰から撃ち返せ! こっちのフォローは間に合わない……って、こらこら、ぶつかってくんな!」
「す、すみません!」
「いいから、落ち着いて撃てばいい」
妹の髪からいい香りがして、むにむにと胸のふくらみが何度も春太の身体に押しつけられてくる。
雪季はゲームをしながら身体が動くタイプだ。
おまけに攻撃されると、「痛い!」とか思わず悲鳴を上げてしまう。
本人は恥ずかしいと思っているが、無意識なのでどうしようもないらしい。
「よーし、自動機銃、破壊しました! もー、痛かったです!」
「よくやった、雪季。もうすぐ、そっちに合流する!」
「了解! あっ、お兄ちゃん、NE方面、倉庫二階の窓にスナイパー! 乱射で牽制してください、私が回り込みますから!」
「了解! 無理に突っ込まずにグレネード投げ込め!」
「はぁい、お兄ちゃん! 投げます……あっ! 逃げられました! でもヒット、アーマー割りました! たぶん瀕死!」
「OK! 馬鹿、逃がすかよ! よっしゃあ、仕留めた! 人をコソコソ狙いやがって、ざまぁ!」
「ざまぁです!」
一瞬だけコントローラーから片手を離してハイタッチ。
兄妹ならではの息が合った連携だった。
「っと、お兄ちゃん、今度は正面! ガレージで味方一人ダウンです!」
「よし、一度下がるぞ。雪季、もう残弾少ないだろ。適当に武器を拾っとけ」
「あ、本当です。さすがお兄ちゃん、私の残弾まで把握してるなんて」
CS64は基本チーム戦で、ソロでの参加もできるが、ガチでやりたいならパーティを組んで固定されたメンバーで戦うことが多い。
兄妹で別チームに分かれて対戦することもあるが、春太はこうして一緒に戦うほうが楽しい。
連携が成功して敵チームを追い込んで勝利すると、脳内で幸せになれる汁がドバドバと溢れるのを感じる。
「よーっし、ウチらの勝ちだ! おっと、俺がトップスコアじゃん」
「あー、私は三位でしたー。ちょっとキルしきれませんでしたね」
「あれ、でも雪季、自動機銃も壊したし、けっこうポイント稼いでるな。やべぇ、先にSに戻られる……」
CS64は、勝利数やキル・デス比――要するに総合的なプレイ内容からランクが決められる。
SSがトップで、S、A、B、C、Dと続く。
春太たちは揃ってSとAを行ったり来たりしているあたりで、普通よりは少し上手いくらいの腕前だ。
「ふー、俺ちょっと休憩」
「じゃあ、私はもう一戦。もう少しでほしい武器のアタッチメント獲れそうなんですよ」
雪季は身を乗り出すようにして、画面を睨む。
妹は、自分が先にハマったのに兄と互角の腕前なのが納得できないらしい。
少しでも先に進もうと必死なところが微笑ましい。
「あんっ、もうっ! なにしてますか、味方! そこの建物は安地じゃないです! グレネード一発で全滅するのに――って、ああほらっ、やられました!」
「おーおー、トリプルキルくらってるな。今のでSPポイントたまったんじゃないか? 爆撃来るぞ」
「うーっ、これは負けパターンですね……やっぱ野良プレイヤーのチームはキツいですね。お兄ちゃんいないとダメです」
「まあ、俺もいつも一緒にやれるわけじゃないからな。ソロでの立ち回りも覚えないと、Sに上がっても維持できないぞ」
「お兄ちゃんもA落ちしてるじゃないですか。やんっ、またやられました! 敵は完全にこっちをリス位置に押し込んできてますね……負け試合です……」
雪季はおしとやかそうに見えるが、実はかなり負けず嫌いだ。
必死に孤軍奮闘しているが、CS64は一度総崩れになったら、挽回するのは難しい。
「ああ~……アタッチメントは獲れたけど、納得いきません……むしろ、こんな負け試合で獲りたくなかった……」
「まあ、一つでも救いがあったと思えよ」
春太は、ぽんぽんと妹の頭を軽く叩いて慰める。
「今日はダメですー。全然トップスコアも取れないし、エイムもガバガバでした」
「そういや、立ち回りイマイチだったな。どうかしたのか?」
「聞いてくださいよ!」
くわっ、と雪季がただでさえ大きな目を見開く。
「な、なんだよ。聞くから、ちょっと落ち着け」
春太は妹をなだめつつ、二段ベッドの柵にもたれかかった。
雪季もコントローラーを置いて、春太の隣に座り直し、頭を兄の肩に載せてくる。
「今日ですね、お昼休みに男子に呼び出されて告られたんですよ」
「また? 三年に上がってからずいぶん多いな」
春太の記憶では、雪季が中三に上がってから今日までの数日で、三回は告られている。
雪季は、淡く染めた茶色の髪はさらさら、小顔で目鼻立ちがすっきり整った美人。
今朝見たとおり、胸も中三にしては立派なほうだ。
さらに、つい先日の身体測定では身長は165センチ。ちなみに体重は49キロ。
中三女子では長身で、全体にスリムでありながら、実はほどよく肉もついている。
これだけ華やかな外見なら、モテないのが難しいくらいだろう。
実際、去年までは春太も雪季と同じ中学に通っていたが、同級生の男子どもの間でも雪季の人気は高かった。
「バスケ部の山下くんって人です」
「あー、そいつ知ってるわ。今、バスケ部でエースなんじゃねえ?」
春太にはバスケ部の友人がいて、中学時代に話を聞いたことがあったし、校内で見たこともある。
山下くんは長身で、なかなかのイケメンだった。
「そうです。まあ、お断りしたんですけど。よく知らない人ですし」
「さすがにお安くないですな、姫」
「姫って言わないでください。でも、山下くんって……要するに、私の身体目当てですよね?」
「おまえ、なんつーこと言うんだ!?」
たまに、このいかにも清楚そうな妹はぎょっとすることを言う。
「だって、山下くんとはほぼ話したこともないし、私の性格なんて知らないでしょう。それに、考えてもみてください」
「なにを?」
「私って成績悪いし、運動も絶望的ですよ。バスケなんて、シュート打ってもゴールに届いた試しがないくらいなんです」
「そんなことを堂々と言われても」
だが実際、雪季は勉強もスポーツもまったくできない。
テストは平均点を超えるほうが少ないし、スポーツも個人種目はほぼビリ、チームではお荷物になる。
見た目がキラキラした美少女だけに、意外に思う者も多いようだ。
「はっきり言って、私って見た目以外に取り柄はないです」
「それで身体目当てとか言ってんのかよ」
確かに、性格を知らない、勉強やスポーツで優れたところを見せてるわけでもないので、山下とやらは雪季を見た目だけで好きになったのだろう。
「私はまだ、身体目当ての人とかはいいです。お兄ちゃんとゲームやってるほうが楽しいですから」
「お子様だな、雪季は」
「そうですよ、私がまだ恋愛もできない子供だって、告ってくる男子たちはわかってないんです。OKをもらうとか、それ以前の問題です。小学生に告白してるのと変わりませんよ」
「ロリコンだらけの中学とか、終わってんな」
春太の母校は、気づかない間に残念な男どもの巣窟になっていたようだ。
「でもまあ、雪季」
「はい?」
「告られて振るのを悪いと思うことはない。一方的に告ってくるのもそいつらの勝手、断るのも雪季の勝手だ」
「……お兄ちゃん、私の心を読まないでください」
雪季は春太の肩から頭を上げると、頬をふくらませて睨んできた。
表情は怒っているが、目は笑っている。
雪季はたまに突拍子もないことを言うが、優しい。
たとえ知らない相手でも、振られて凹んでる男を見ると心が痛むのだろう。
ゲームの調子がよくなかったのも、それを気にして集中できなかったに違いない。
春太は妹の優しさが好きだが、そこまで優しくなることもないと思っている。
「……おっと、LINEか」
「女ですか!」
「ち、違うって。なんだよ、女って」
今度は、顔だけでなく目も怒っているようだ。
春太はスマホを覗き込もうとする妹を制しながら、届いたメッセージを読む。
「まあ、女ではあるかな。母さんからだよ。今日は遅くなるから先にメシ食っとけってさ」
「あれ、またですか?」
雪季は可愛く小首を傾げる。
「最近、ママ帰りが遅いですね。パパも相変わらずですし……」
「親が忙しいのはいいことじゃね? 残業手当で儲かれば、俺たちの生活も潤うだろ」
「ドライな考え方ですね、お兄ちゃん」
半分冗談だったのだが、妹に呆れられてしまった。
両親が忙しいのは事実で、ここ一年ほどは二人とも帰りが遅い。
父親に至っては、日付が変わってから帰宅することも珍しくないのだ。
「ふむ、親はしばらく帰ってこないか……よし、雪季」
「はい?」
「脱げ」
「えぇっ!?」
現在、午後六時過ぎ。
わざわざLINEしてくるくらいだから、母の帰りも深夜になるのだろう。
それまで、可愛すぎる妹と二人きり――この時間を楽しまない手はない。
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