第29話

アーサーが立ち去り、部屋に静寂が訪れる。


「何を考えている?」


しばらくして声を出したのはウィル様だった。その表情は曇っている。


「アーサー殿下との別れが惜しかったか?」

「まさか」


首を横に振って否定する。

別れが惜しかったわけじゃない。彼の元に戻りたいとも思わない。

ただ。


「彼は被害者でもあったなと思っていました」

「そうだな。あの女に捕まらなければソフィと幸せに暮らしていたはずなのに」


幸せに暮らしていた。

本当にそうなのでしょうか。

私達の関係は一瞬で崩れ去った。初めから脆い関係だったのだろう。


「幸せに暮らせたとしても長続きはしなかったと思いますよ」

「そうなのか?」

「私とアーサー殿下の間に有ったのは『婚約者』という関係だけでしたから」


幼い頃から愛を育めば変わっていたかもしれない。

しかし、それをして来なかったのは私達。

もう変えられない事なのだ。


「……それを言うなら今の俺達の間にあるのも『婚約者』という関係だけだ」

「そう、ですね…」


よく考えてみたらそうだ。

そうだけど、でも…。

何故か心が騒つく。

彼との間にあるものが『婚約者』という関係だけなのが嫌だと思ってしまった。

この感情は一体何なのだろう。


「ソフィ?」

「私は……ウィル様との間にある関係が『婚約者』だけなのは嫌です」


気が付けば本音を漏らしていた。

私の言葉を受けて目を瞠るウィル様。

困らせてしまったのでしょうか。だとしたらすぐに撤回しなければ。


「……それは俺と『婚約者』以外の関係になりたいという事か?」

「え?えっと、そう…かもしれません。自分でも自分の気持ちがよく分からないのですけど」


こんな気持ちになるのは初めてなのだ。

困ったように言えばウィル様は目元に手を当てて天井を仰ぐ。銀色の髪の隙間から見えた耳はちょっとだけ赤らんで見えた。


「無自覚か…。ソフィは狡いな」


無自覚?

ウィル様は何の話をしているのだろうか?

首を傾げる私に彼は笑いかけた。


「時間はまだある。その間に自覚してくれたら良い」


ウィル様は楽しそうに笑い、私の手を握り締めた。

どきりと胸が高鳴る。


「俺も頑張らせてもらおう」


手の甲にそっと口付けを落とすウィル様を私は真っ赤になりながら見ている事しか出来なかった。


「顔が真っ赤だぞ」

「う、ウィル様のせいですよ」

「手の甲へのキスくらい慣れてるだろ」


確かに手の甲への口付けは挨拶の一つだ。

慣れていないわけじゃない。

それなのにウィル様にされると変な感じがする。


「案外早く自覚してくれるかもしれないな」


愉快に笑われた。

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