第8話
アーサーとストーン伯爵令嬢の婚約話を聞いてから約一週間。
私の頭からは二人の事は抜け落ちていました。結末だけ知れたらそれで良いので。
今日は兄の代わりとして町に出る日だ。
目立たないように質素なワンピースに着替えて、目立つ金髪は茶髪のウィッグを被り誤魔化す。護衛はいるが遠くから見守るようにしてもらっているので実質一人歩きのようなものだ。
町に出ると相変わらず活気があり私の胸を躍らせるには十分過ぎる光景が広がっている。
今日はどこに行こうか悩んでいるときょろきょろと辺りを見渡す男性が見えた。
この町では初めて見る顔だ。
黒髪に紫色の目をした彼は整った顔立ちをしており、背も高い為、周囲の女性の視線を独り占めしていた。
それは良いとしてなにやら困っている様子だ。
「あの…」
後ろから声をかけると男性は体をびくりとさせた。
驚かせてしまったみたいです。
振り返った彼はやはり綺麗な顔をしていた。
「なにか困り事ですか?」
「え、ああ、少しだけ道に迷って」
照れ臭そうに笑う男性の手には町の地図があり、いくつか印が付けられていた。
おそらく観光客なのだろう。
この町は入り組んでいるわけではないが慣れていないと自分の位置を見失ってしまう傾向にある。
彼が道に迷ったのもそのせいだ。
「私で良ければ案内しますよ」
ちらりと護衛を見て確認を取ると静かに頷いてくれた。
なにか問題があればすぐに駆け付けてくれるだろう。
「本当ですか?助かります」
手を握りられて上下に振られる。
こんな事をされたのは弟以外で初めだった。
気軽な人なのだろうと笑ってしまう。
「私はソフィです」
「俺はウィル」
僅かだけど彼の話し方は隣国レイディアント王国の癖が入っている。
レイディアントからやって来た人なのだろうか。それにしてもこの国の言葉が上手だ。
どこかで習ったとしたら貴族である可能性が高い。もしそうだったとしても正体を隠しているのはお互い様だと詮索をやめる。
「どこから行きますか?」
「この店に行きたいと思っているのですが場所が分からなくて」
ウィルは地図に付けられた印を指差して教えてくれる。
彼が行きたがっていたのは近くにあるケーキ屋さんだった。
甘い物が好きなのかしら。
好みは人それぞれなので男性が甘い物を食べるなと言うつもりはないが驚きはする。
「分かりました。こちらです」
「もっと気軽に話してくれて大丈夫ですよ?同い年くらいですし」
「でも……いえ、分かったわ」
平民同士であるならば気軽に話すべきだろう。町の住民たちもよくそうしている。
どうせ今日くらいしかまともに話す機会はないのだから問題ないだろう。
「俺も普通に話して良いですか?」
「ええ、勿論」
「良かった。あまりこちらの言葉にはなれていないんだ」
「やっぱりレイディアント王国から来ていたのね」
「気が付いてたのか」
答えると目を大きくし驚かれる。
そこまで驚かれるような事を言ったつもりはないのだけど。ウィルからは「どうして分かったんだ?」と尋ねられてしまう。
「話し方に癖があったから分かったのよ」
「出したつもりはないのだが…」
「そうかしら?」
「聞き分けられるとは君は本当に優秀なんだな」
目を細め嬉しそうに笑うウィルはどこかで見た事があるような顔をしていた。
もし彼がレイディアント王国の貴族だとしたら会っている可能性は高い。
次期王太子妃として向こうの舞踏会に何度も招かれたからだ。
「ソフィはレイディアントに来たことがあるのか?」
「ええ、何度か行った事があるわ」
「そうか、俺はあまり国から出られなくてな。久しぶりにフール王国に来たよ」
「忙しいのね」
話しながら歩いていると目的のケーキ屋に到着する。お客様は女性ばかり、男性は一人も居なかった。
大丈夫だろうかとウィルの様子を伺うと彼は店頭に並ぶ持ち帰り用のケーキを嬉しそうに眺めていた。どうやら女性客ばかりという事はどうでも良いらしい。
ウィルは甘い物に目がないのね。
「ソフィはケーキが好きか?何食べる?」
「ええ、好きよ。一番はショートケーキね」
「俺はチョコレートだ」
ケーキを前に浮かれ切った彼と話していると店員がやって来て奥のテラス席に案内される。男性客に対する配慮なのか店内からは見えにくい位置の席だった。
「気を遣われたのだろうか」
「おそらく」
「そうか。良い店員だな」
そう言いながらウィルは紅茶を口にした。
洗練された動作や背筋の伸び方からして彼は貴族で間違いない。しかも高位の貴族だろう。
そうなると彼が言った国から出られないというのも仕方のない事だ。
私も公爵令嬢の身として他国の行く事は制限をかけられている。
「飲み方が綺麗だな」
「お互い様です」
「そうか。そうだな」
クスクスと笑うウィルは私が貴族だと気が付いているようだ。
紅茶の飲み方ばかりは染み付いた癖が出てしまう。
それに普段は一人で回ることが多いから隠す事に慣れていないのだ。
「早くケーキが食べたいな」
「ええ、そうね」
二人揃って紅茶を口にした。
ケーキを食べているウィルは幸せそうだった。
あんなに美味しそうに食べる人は初めて見たかもしれないってくらい嬉しそうに食べていたのだ。
ケーキのおかげで彼は上機嫌、鼻歌まで歌い始めている。
「ケーキ、美味かったな」
「それ何回目なの」
「何回目だ?」
「十回以上は聞いているわ」
正確に言うなら十八回だけど、あえて言わないようにした。回数を聞いた瞬間、苦笑するウィルに仕方ないといった表情で返す。
「それはすまない」
「幸せそうなウィルを見ていたら気にならなくなったわ」
「そんなにだらしない顔をしているか?」
「かなり」
「最悪だ…」
緩みっぱなしの頬、爛々とした瞳、目尻だって下がっている。
かなりだらしない表情だがウィルは美丈夫だ。
格好良い人はどんな表情でも格好良い。おかげで周囲にいる女性からの視線が痛いのだ。
「さっさと行きましょう。次はどこに行くの?」
「ああ、この店だ」
そう言って地図に指を置くウィル。見れば呆れた顔になるのも当然だ。
正気なの?という言葉は飲み込んだ。
「あの…ケーキはさっき食べたわよ?」
彼が指を差したのは別のケーキ屋だった。
それだけじゃない。地図をよく見れば他の印全部がケーキ屋の場所を表している。
ケーキ好きにも程があるだろう。
「食べ比べは基本だろ?」
「もう良いわ。付き合うわよ」
「そうか!助かるよ」
案内をすると言い出したのは私だ。
一度言葉にしてしまった以上、取り消すのは貴族としてどうかと思う。それに隣国の貴族様に嫌な気分で帰られるのは良くない。
ケーキは好きだし、食べれなくても紅茶だけ飲んでいれば問題ないだろう。
私達がケーキ屋巡りを終えたのはそれから五時間も後の事だった。
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