第7話 怪談

 肝試しというていの飲み会は、話の出た夜の翌週平日、仕事上がりに開催された。次の日の午前中は全員体が空いているスケジュールだったからだ。


「(到着! 東堂ハウス!)」


  四人で24時間営業のスーパーに立ち寄って適当に酒とつまみを買い込んでアパートに到着した。すでに0時をまわって静まり返った住宅街のため、木戸さんは小声ではしゃいでいる。その背中を案の定説き伏せられた鈴木さんが見つめていた。坂崎と木戸さんの車はアパートにある来客用の枠に停めてもらい、鈴木さんはバイク通勤のため明日坂崎の車で店に戻る予定だ。

 車から降り、四人で荷物を分担する。鈴木さんが今年の誕生日が来るまでは未成年なのでジュースやお茶類も豊富にしたのだが、ついでと思って自分の買い出しも済ませたため大荷物になってしまった。


 女子二人にはスナックなどの軽い袋を持ってもらい、男二人は肩や手に買い物袋をめり込ませながら駐車場と建物を繋ぐ小道を慎重に渡っていく。黒っぽいランダムカットの天然石を組み合わせたこの石畳は、たまに爪先を引っかけに来るので油断ならない。


「ここが噂の現場かー想像と違って中は綺麗……でもちょっとなんか獣臭くない?」

「入って早々失礼だな!」


 部屋に入って木戸さんはうきうきとした声で感想を述べつつ、洋間の中央部を隠すマットの端をめくった。ソファやテーブルが置かれているのでほとんど動かせないのだが、床に這いつくばってどうにかこうにか観察しようとしている。その様子を鈴木さんが何とも言えない表情で眺めていた。


「はいはい女子どもーはしゃいでないで手伝えー」


 坂崎が間延まのびした声をかけながら、買ってきたものをてきぱきと冷蔵庫に詰めている。自分も加わって食器類と酒、つまみをテーブルに運んだ。卓飲みするのも随分久しぶりになる。


「それじゃあこの中で一番先輩の木戸さん、音頭どぞ」

「えへへ照れますな。それじゃあ今日もお仕事お疲れさまでした!」


 それぞれ軽くコップを突き合わせて飲み会がはじまった。ジュースとアルコール、つまみにひと通り箸をつけた頃に今日の本題をふったのは坂崎だった。


「それじゃあ木戸さん、あったまってきた所でここのいわくについてご説明よろしくお願いしゃす」

「え、ほんとに怖い話があるんですか……?」

「東堂さんにはもう話しちゃったけど、それじゃあ失礼して。電気落としてもらえる?」


 坂崎と鈴木さんは詳しい内容は知らないようだった。完全に灯りを落とし真っ暗にした部屋で、テーブルに置いた木戸さんのスマホだけが光源となる。フラッシュライトの白光が強烈なコントラストを生んで雰囲気は抜群だ。窓の外からは虫の声もすら聞こえてこない。



 そして木戸さんはあの話を始めた。自分は一度聞かされているせいか、今度は没入せずに俯瞰ふかん的に聞いている。もしもここで初めて聞かされていたら冷静でいられた気がしない。

 木戸さんの語りは緩急がついているだけでなく、声量にまでしっかりと演出が行き届き見事なものだ。それに、きっと木戸さんからは固唾かたずをのんで耳を傾ける坂崎や鈴木さんの表情がよく見えて楽しいだろう。


 そんな余裕を見せる俺に気づいたのか、歴戦の怪談師は目が合った瞬間にやりとした笑みを浮かべた。


「……それでね、下の階の人が部屋に入ってみたものは、血の海だった。床に突っ伏した女の人を中心に丸く広がってたの。多分それが床の隙間から下に落ちて、ぽた、ぽたって垂れてたんだろうね」


 そう言うや否や、床に置いていたスマホのライトを掴み上げて、木戸さんはばっと俺を照らすようにした。


「そこだよ。女の人がうずくまってたの」


 鈴木さんの「もうやだぁ~」という弱々しい悲鳴が聞こえる。俺は少しだけ早くなった心臓の音を無視しながら、眩しさから逃れようと手で光を遮った。


「下の階の人はすぐに警察に電話した。でも到着するまで多少の時間はあるよね。発見した人はつい倒れてる女の人をしげしげと見てしまった。部屋を借りてたのは男性だって知ってて、どうして女がって不審に思ったのかもね」


 続きを語りながら、スマホはもとの位置に戻る。


「一目で死んでると思い110番通報したはいいけど、生きてる可能性は本当にないか? 救護措置はしなくていいのか? その人は念のため確認しようと近づいた。それでね、気づいちゃったの」


 自分の時は割愛された部分だ。木戸さんのペースに取りこまれまいと気を張っているが、さっきのライトの演出以降少し呑まれ始めている。木戸さんは今回もたっぷりと間をとった。


「もう、血液も、女の人も乾いてたんだって。血の色は赤じゃなく、黒褐色に変わってしまっていた」


 木戸さんは顔面から一切の表情を消し、ライトで浮かび上がる影のコントラストは恐怖心を増幅させる。暗いだけじゃなく、少し見えた方が怖いのはどうしてだろうか。


「死んでから数日は経ってそうな様子で、だから下の階の人は慌てて部屋を出て外で警察を待った」


 鈴木さんが顔を坂崎の腕に押し当てて耐えている。坂崎は掴まれてない方の手で彼女の頭に優しく触れながら木戸さんの話の終わりを待っている様子だ。俺も許されるなら反対側の腕を借りたい。


「だって血が乾いてるなら、自分の聞いた雫の音はなんだったんだ? ってことになるからね。この部屋に来る直前までそれは聞こえてたんだから。中をくまなく見たわけじゃないだろうけど、シンクとかから水が溢れてたら気づけたはず。」


 そう静かに、淡々と話していく。いつ脅かしにくるのか気が気じゃない。


「不気味に感じて外で待ってたら警察が到着した。それから亡くなってた方もちゃんと供養されて、その後同じ音を聞くこともなかった。見つけてもらえて女の人も安心して成仏できたのかもね」


 だけどね、とことさら声量を落とした声で木戸さんは身を乗り出す。


「聞いたことない? こういう話をしてると、来るって」


 俺は呼吸を止めた。


「しかもここは現場。私たちのお尻の下に血の海が広がってたんだよ。もしかしたら、あの世からかえってく」



ざりっ



 今度は全員が息を止めたのがわかった。木戸さんもだ。


ざっ ざっ ざっ……


 玄関の向こうの外廊下を歩く音がする。まっすぐにこちらに向かって。


ざっざっざっ……


 俺たちは恐る恐る玄関を振り返った。心臓はすでに早鐘のごとく、肺や肋骨を叩きつけている。誰かが生唾を飲み込む音がした気がする。視界の外に行ってしまったため他の3人がどんな顔をしているのかまではわからない。


がち、ぎいっいーー ……ばたん! がちゃり

とっとっとっと……


 足音は隣の部屋に吸い込まれていった。それを理解した瞬間に全員が肺に詰め込んだままの空気を一気に吐き出した。俺は縮こまらせてた体を解放して、立ち上がって灯りを点ける。振り返ると鈴木さんは泣いているし、木戸さんまでテーブルに突っ伏していた。坂崎も力が抜けたのか目をつむって天井を仰いでいる。


「びっっっっっくりした~~~!」


 そう沈黙を破ったのは木戸さんだった。


「すっげータイミング……」


 坂崎も声に力がない。俺もあまり体に力が入らず、床ではなくソファに身をうずめた。鈴木さんは坂崎に引っ付いたまま無言だったが、か細く「もう無理……」と泣いていたので、洗面所に案内してあげた。


「あれは私も本気で怖かった。タイミング神がかってんな~」

「ね、東堂、今の話ってマジなん?」

「あー近所の爺ちゃんに聞いてみたら、マジみたいっすね」

「マジかよ~~~~~」

「ただ一回も恐いことないすよ。俺だってもう結構住んだんで、もし俺の次に人が入るってなっても普通の部屋として出されるんじゃないですかね」


 みんなでワイワイと怪談の余韻について話していると、鈴木さんがごっごっと擬音が見えるような勢いでビールを流し込んでいた。


「鈴木さん鈴木さんそれ酒だって! しかも一気はダメ!」


 慌てて止めるが鈴木さんはガんっと缶をテーブルに打ち付ける。


「正気でいろって言うんですか!? 無理ですよ! だから嫌だったのに木戸さんが」


 もごもごと愚痴を言っている様だが、ああ~ごめんねごめんねと木戸さんが鈴木さんの頭ごと抱きしめたせいで続きは聞き取れなかった。


 とりあえずそのまま肝試しは終了し、それぞれ持ち寄った携帯ゲーム機でマルチプレイを楽しんだり、普段は話せない仕事の愚痴を言い合ったりと普通の飲み会を過ごした。そうしている内にスマホの充電が乏しいことに気づき、和室にある充電器につなごうと戸を開けると、なんとはなしに押し入れが目に入った。


 押し入れはまた10cmほど襖が開いていた。背筋を冷たいものが伝う。なんだか何度もこんな風に隙間が空いていなかったか? でもそんなことはよくあることだと自分に言い聞かせる。ふとした拍子に強く締めすぎて、反動で開いてしまう、そういうものだ。自分ではちゃんと閉めた気になっているのだ。


(きっと怪談の余韻がまだ頭に残ってんだな)


 その細い隙間に気を取られ、背後の気配に一切気が付かなかった。

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