第5話 隙間
昼食を摂りに行くその道中で、運が良いのか悪いのか亀田さんに行き会った。駅近くに建つマクドナルドに行くというので同行させてもらう。
「亀田さん結構食べるんですね。しんどくならないんですか?」
「うん、ありがたいことにまだまだ胃は元気でねえ。マックのポテトが特に好きなんだけど、散歩の時につい寄っちゃうんだ」
ポテトだけでなくしっかりバーガーもある。奥さんもこれが好きだからと、立ち寄った時は帰りがけにお土産を追加で買って行くそうだ。日が差さない席に二人で座る。
「東堂君は仕事もう慣れたかい?」
「ええ、大分。ゴールデンウィークは忙しすぎて目が回りましたけどね」
「美味しいお店なんだってねえ。駒田にある店だろ? 家内に聞いたらたいそう褒めてたよ。今度食べに行こうかって話しててね」
「そうです、駒田のステーキ庭です。是非来てください。それにしても夫婦仲がいいんすね、羨ましい」
「いやなに、たまには嫁さんのご機嫌取りしようってだけさ」
亀田さんは照れたように笑い、ぱくぱくとポテトを口に運ぶ。なんだかその様子がハムスターかカワウソか、小動物めいていてほのぼのとした気持ちになる。
「東堂君は恋人いないのかい? お店にだって若い娘さんいるんだろう」
「いやー今は仕事覚えるのに必死だし、同年代は大体相手いるっぽいですから」
木戸さんがフリーなのは把握しているが、
「そうなんだねえ。まあ色恋沙汰なんてタイミング
普段はこの手の話題で慰められるとかえってみじめな気持ちになるものだが、亀田さんだと嫌な響きがしないから素直に受け止められる。
「まあ人並みに興味はあるので、落ち着いたら出会いを求めてみますよ」
実際問題、血縁との関係が急激に希薄になってしまい、頼りなさと寂しさは覚えていた。昔だったらいくら気さくとは言え、ご近所の爺さんとマックで同席なんて考えられなかっただろう。前職の件があってから友人知人とも連絡しづらく、人生ではじめて真剣に孤独を味わっているかもしれない。
「ああ、そうだ亀田さんに聞きたいことあったんですよ」
思考がだんだん鬱屈した方向へと落ちていく気配に気づき、自力でストップをかけた。本音は聞きたくないんだが、このまま落ち込んでいくよりはマシだ。
「お、なにかな?」
「俺の住んでる部屋のことで」
「ああ……」
亀田さんの人好きのする笑顔が薄れ、困っているようにも見えるが、表情がやや曖昧だ。
やはり知っているのだろう。
「構わないけど、何かあったのかい?」
「なにもないんです。ないんですけど、同僚から脅かされたんですよ。できれば嘘か本当か知っておきたいな~と思って」
「ああ、まあ近隣だと知られちゃってるだろうからね。それでなにが知りたいの?」
「言いにくいんですけど」
ずいっと身を乗り出して小声で話す。
食事を楽しんでいる周りの客に聞かせるのは憚られた。
「あの部屋の自殺って、その、首吊りとかじゃなくて、派手に血が出るやつだって本当ですか?」
「あれ、聞かされてないの?」
「ああ、怖かったんで細かい話は聞かないようにしたし、不動産屋も詳しく伝える義務もないとかで。ただ同僚から噂を吹き込まれちゃったんですよね」
「そっかそっか。言っていいもんかな……とりあえず血はまあ、たくさん出てたって聞くね。これじゃないよ」
これ、と言いながら亀田さんは両手で首を絞める動作をする。
「あっそうなんですか。噂はマジだったんですね……」
「うん。まあ詳しい話はいいかい?」
と、言うことは亀田さんはもっと詳細なことを聞き及んでいるんだろうが、俺は慌てて手と首を横に振る。人の死に方なんて、それも現実の身近なところで起きた話なんて、聞く方も話す方も気持ちがいいものではない。
それに近所住まいと言っても直接関わりがないはずの亀田さんが
「まあ、特に怖いことが起きるってわけでもないですしね! 過去は過去です。お話ありがとうございました」
「……いやあ、でも意外だな! 東堂君そういうの全然平気だからあそこ引っ越したんだと思ってたよ」
亀田さんは努めて明るい笑顔で話してくれている。
「自分でもこんなにビビるとは思ってなかったですよ! ただ同僚がすごい話すの上手くてめっちゃ怖くて……」
コーポ箕輪の話はそれでおしまいにして、近況やなんでもない世間話をしてバーガーを平らげた。
「そうだ。もしなにか困ったことになったら交番にいる
「大三輪って神社のですか?」
困ったことってなんだろう、と思いはしたが流すことにした。あまり考えたくない。
「そうそう。神主さん。結構小さなことでもなんでも相談乗ってくれるいい人だよ。それじゃあね」
そのまま亀田さんとは分かれ、帰り道のスーパーで食材を買い込んだ。以前は自炊なんてほとんどしなかったが、練習と節約もかねて料理をするようになった。ピーマンを細切りにして、筍の水煮はザルにあけて洗う。次に牛肉を細かく切り刻みながらふとした考えが脳裏をよぎった。
自殺、下の階の天井裏に滴るほどの出血、どんな死に方か。手首は風呂などの水場のイメージだから首だろうか、使ったのは包丁だろうか。思わず手に持った包丁を見つめる。いや、カッターや剃刀でだって出来ないことはない。なんにせよ、すさまじい苦痛だっただろう。どんな思いでそんなところまで追いつめられたのか。
(可哀そうに、しんどかっただろうな──)
「っ!」
感傷のせいで手が疎かになったのか、左手の指の甲を切ったらしい。真っ赤な玉がぷくりと膨らんだ。
手当てを済ませて調理を再開する。下味をつけた牛肉をごま油で熱してからそこに野菜類を突っ込む。オイスターソースや鶏がらスープなどの調味料を加えて溶いた片栗粉でとろみをつければチンジャオロースの完成だ。ご飯とわかめスープ、買っておいた鶏唐に湯豆腐を添えればそれなりの夕飯になった。
立ち上る湯気をぼんやりと見つめながら、程よく冷めるのを待つ。手持無沙汰にスマホをいじるが、誰からの連絡もない。
「うん?」
さあ食べようと箸を伸ばしたら小さな違和感を覚えた。チンジャオロースがいやに緑々しい。箸で軽く選り分けると肉が少なく、ピーマンが多すぎる。基本的にはレシピ通りに作っているが、どうしてもスーパーのパックによって量にばらつきは出てしまう。修行が足りないのは自覚済みだが、今日のは上手く出来たつもりでいたので少しがっかりだ。
テレビを見ながら食事を済ませ、だらけていればあっという間に時間が過ぎた。明日で休みも終わりだし、なにか作り置きの料理でもしようかとレシピを検索するがぱっとこれというものが見つからない。他にやることもなく、さっさと風呂と寝支度を済ませ、布団に寝ころんでスマホをいじっていた。
ふと顔を上げると、押し入れの襖が10cmばかり開いている。
俺は何の気はなしに這い寄ってその隙間を閉め、灯りを落とした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます