第4話 神社

 この町には「加賀知かがち川」「新納にいの川」「三野みの川」と言う三本の川が流れているが、その中で一番大きい加賀知川沿いに一番賑やかな商店街がある。商店街に接続する太い道の左右にも大型のチェーン店が多数出店し、大抵の物なら揃うだろう。

 どうやら川近くの小高い丘に神社があり、その門前町がもとらしい。車で周辺を走りながらさっと眺めやると、連休明けの平日とあって人出は多くなさそうだ。


 どうせだと神社に立ち寄ることにしたのだが、こちらは思いの外人が多かった。元気そうなご老体が血色のいい顔を突き合わせてそこかしこで楽しそうに話しており、若干の居づらさを覚える。


大三輪おおみわ神社、かな」


 立派な鳥居をくぐり端っこを歩く。前の職場で担当していたお爺さんの趣味が寺社仏閣巡りだった関係で、神話やお参りの作法なんかを何度も聞かされていた。

 神社は拝殿の他は特に施設はなく、見るものは庭園くらいのようだ。一通り見て回り、授与所でお守りを買って早々はやばやと立ち去ることにした。境内のあちこちからちらちらと注がれる視線を鬱陶うっとうしく感じたためだ。若者が珍しいのか、もしかしたらよそ者とでも思われているのかもしれない。そうでなければ俺の自意識過剰だろう。


 とにかく自分の意識から老人をしめ出したくて、買ったばかりのお守りを袋から出して見る。模様の入った赤地に白抜きで『家内安全』と書かれ、裏には『大三輪神社』の文字とこれまた白い三つの輪っかがある。どうやら輪っかは尾を銜えている白蛇を模しているようだ。家紋だろうか。それともこの場合社紋と呼ぶのか?


「交通安全の方が良かったかな……」


 長年ペーパーだった新米ドライバーにはまだまだ緊張の走る日々だ。加えてそれなりに古い軽自動車を見ると、独り言が口から出た。それを聞くものもなく、そのままおっかなびっくり発車した。



 商店街には品揃えがいい上に安い家具店があり、思った通りの品が手に入った。そのおかげで荷物整理もすんなりと終わり、入居以来開けっぱなしだった押し入れの襖がきっちりと締められる。なにやら人間的に成長した気さえした。仕上げとばかりに体を伸ばし、帰りがけに目を付けた居酒屋にでも行こうと立ち上がる。


 換気のために開けていた窓から風と共に真っ赤な西日が入って、和室は朱色に染まっていた。閉めるために窓に近けば、カラカラと言う音が聞こえる。視線を下に向けると警官が自転車を手押ししていた。公園横の交番に詰めているお巡りさんだろう。

 警察官はこちらを見上げ、目が合ったので会釈を交わした。なんだか今朝も同じようなやりとりをしたが、こっちは昭和を感じると言うか、ノスタルジックな雰囲気だ。浸る柄でもなく、晩酌を求めてさっさと家を出た。


 その居酒屋は大当たりで料理がとにかく美味かった。とりあえずの生と通しのキャベツ、たこわさで準備運動をしてから鶏天、豚櫛でぬる燗をちびちびとやる。豚もそうだが、柚子胡椒の効いた鶏天がめちゃくちゃに旨い。

 静かに独酌しているが、店内は顔見知り同士が会話に花を咲かせている。子連れもちょこちょこと居て、居酒屋ではあるが、定食メニューもあって半分は食事処のように商売をしているようだ。みんなそれぞれの食事に夢中でこっちを気にする様子もなく、神社の様な居づらさはない。むしろ和やかな空気をおすそ分けしてもらっていい気分のまま家に帰った。


(家賃は安いわ町もいい感じだわ、美味しい居酒屋は近いわで、ここに来て良かったな)


 ほろ酔いで家に帰りつき、さっさと風呂や寝支度を済ませて和室に入ると、押し入れの襖を閉め、日向の匂いが残る布団に飛び込んだ。


 翌日は洋間含め残りの部屋を掃除することにした。昨日ラックのついでに買っておいたマットを敷くためだ。これから夏に向けて暑くなるだろうから、できるだけ涼し気なものを選んだつもりだ。

 木戸さんの話では具体的な場所は分からなかったため、あの話を聞いて以降ここじゃないか、こっちじゃないかと“その場所”がどこなのか探してしまうようになっていた。だからいっそ、“ここだ”と自分で心に決めて、その箇所だけ見えないようにしてしまおうと言う作戦だ。


 こんなに自分は怖がりだったのか、と三十路手前にして新たな自分を知った。あの話が本当のことなのかはもちろん確認できていない。不動産屋は告知義務の範囲の情報しかよこさないし──そもそも詳細など尋ねてもいない──、大家の箕輪さんに至っては多忙を理由に入居の挨拶さえ断られたので、顔を知らないままだ。

 電話口だけの印象だと、なかなかに厳しそうな婆さんだった。聞き出すにしても特に口実もない。告知事項に納得の上で入居したのだから、大家としては掘り返されるのは気分が良くないだろう。人が入らないよりはマシだと格安で借りれているだけで、本来の相場を考えれば赤字なのだから。


(亀田のじーちゃんなら知ってたりすっかな──)


 積極的に知りたいわけではないが、聞いて安心できるならそうしたい。いや、どんな死に方だったとしても結局怖いならやっぱり聞く必要はないのでは、いやいや、この靄がかかったままの状況は解消したい。こんな具合に堂々巡りなのだ。


かさり。


「なんだ?」


 考え事をしながら、日常の掃除では手を入れない場所の掃除をしていると、備え付けの靴箱の裏に紙が落ちていた。恐らく前の住人あたりが靴箱の上に置いた拍子に、誤って背側に落としたのだろう。


 何かの申請書や免許証のコピーのようだが、端をつまんで無造作に引っ張り出したせいで少し破れてしまう。個人情報を勝手に見るのも悪い気がして、さっさと丸めてゴミ箱に放りこんだ。綺麗さっぱりクリーニングされたこの部屋で、初めて感じた前住人の残り香だった。心の靄は濃くなる一方だ。


 ぐるる。


再び堂々巡りを始めた思考を腹の虫が遮り、昼飯の買い出しに出かけることにした。

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