第3話 連休

 その後、日々は安穏の内に過ぎていった。ただ、二度と木戸さんの車の世話にならないで済むように安い中古車を購入した。

 もともと余裕が出来たら、と考えていたが買い出しだなんだと必要になる機会が多く、思い切ってみた。学生時代に取るだけ取った免許だったが、この時ほど過去の自分に感謝したことはない。ペーパーゆえの不安はあるが、とにかく慎重に安全運転で慣れて行くしかない。

 借金が増えたことだけが小骨のようにチクチクと痛む。


 しかしそれらの不安も、ゴールデンウィークの多忙さの前には塵芥だった。うちの店は地元じゃなかなかの人気店らしく、近くに観光地があるわけでもないのに人間でごった返していた。ようやく仕事を覚えたような新兵の自分は、この十日弱を乗り切っただけで自分を褒めたくなる。

 とは言え自分は皿洗いと簡単な調理で済むが、厨房の主戦力である坂崎と三浦さん、店長の動きの無駄のなさ、段取りの良さには舌を巻いた。前職から逃げるようにこの店に来た自分が、将来的にここまでになれるのか自信はないが、頑張ってああなりたい。そのくらい三人が頼もしく、格好良く見えた。


「いやーやっぱ連休は忙しいわ。東堂もお疲れ」

「ああ、そうっすね、俺は簡単な仕事しか任されてないはずなのにいっぱいいっぱいっすよ」


 昼の山を越えてわずかに集中が途切れていた俺は、少し声を上ずらせながら取り繕う。


「ここ過ぎちゃえば余裕出るし、追々仕事増やすんでよろしく」

「了解す」

「東堂って最終的には自分で店持ちたいとかあんの? 資格とるとかさ」

「働いてみて感触が良ければ先のことも考えますけど、まだなんともっすね」

「そうなん。前のと全然仕事違うからどうなんかなって思ってさ。前は介護だろ? 指導係になった時に店長に聞いた」


 ぎくりとした気持ちを悟られないように、素知らぬ顔で受け流す。


「まあちょっとブラックな環境だったし、向いてない気もしてたんで、いっそ別の業界に行ってみたかったんですよ」


 ああ~と坂崎は間延びした相槌を返し、三浦さんが珍しく苦笑しながら雑談に入ってきた。


「まあ世間的には飲食もホワイトなイメージはなさそうだけどなあ」

「でもほら、この店は環境も待遇もいい感じじゃないっすか」

「ほんと雇用面しっかりしてくれるよな~。フロアは客の質でたまに大変そうだけど」


 坂崎がちらりとフロアの方に目をやる。ほとんど見えないが雰囲気くらいなら伝わるものがある。自分も彼に倣って顔を向けるが、レジを打つ木戸さんの後頭部がわずかに見えるだけだ。


「ま、そこばかりはどうしようもねえな。あんまりひどいと出禁にできんだが…」


 今のは洒落だろうかと思ったがツッコむ勇気はまだない。


「三浦さん今ダジャレ言ったっしょ。見逃さないスよ」

「わざとじゃねえよ!」


 そのまま当たり障りなく世間話が流れていく。ふうと心の中で息を吐くが、自分はうまく喋れていただろうか。



 ゴールデンウィークが明けた週の平日は、二日だけだが店を閉めるのが恒例らしい。

 シフト休みともかみ合って久々の3連休になった。どこかに出かけようかとも思ったが、疲れも抜けきらなかったので早々に遠出は諦め、後回しにしていた部屋の片づけを終わらせることにした。

 服や消耗品など普段使いの物を仕舞っている洋間の方のクロークボックスはともかく、和室の押し入れは引っ越し時に適当に物を突っ込んだまま、襖も閉められないような状態だった。しっかり活用したいものだ。ざっくりと物の収納位置を決め、必要なラックか何かを買いに行くことにする。

 出かける前に、和室の窓枠に布団をひっかけてパンチで固定する。表面を軽く叩いて埃を払っていると、音につられたのかこちらを見上げていた通行人と目がしっかりと合ってしまった。


 陰気な印象の男だ。少し伸びた黒い髪の合間から黒い目が覗いている。一度噛み合った視線をどちらも外せないまま寸秒、気まずさから会釈をしたらあちらも軽く頭を下げて道行きに戻っていった。そのまま去っていく後姿をなんとはなしに眺めてしまったが、陽光に照らされた白い道に、男自身が影のように浮き上がって見える。

 身長はそこそこあるが大分細身の体に黒い服を張り付かせているような、どこか薄気味が悪い男だった。せっかくの快晴に水を差された気になったが、自分も日の光の下に踊り出すと陰気さも吹き飛び、意気揚々と車に乗り込んだ。

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