終章 願いの、行き先。

終ー1 二年後――事件の思い出

「――ねえ、太一さん? 結局あれって何だったんでしょうね?」

「まあ……あれは単なるネットの犯罪教唆事件だよ。そう思うしかないでしょ?」


 小夜子ちゃんが電車n椅子に座ったまま不意に尋ねてきて僕は苦笑した。あれから二年経っても時々彼女は同じ事を繰り返し尋ねてくる。僕は同じ返答をする事しか出来ない。


 あれから二年――流石に高等部ともなると幼さがなりを潜めている。元々可愛らしい子だったけど今は綺麗と言うべきだろう。それでもずっと変わらずに毎朝こうして同じ通勤電車で顔を合わせている。あの事件以降も僕と彼女は同じ様に顔を合わせていた。


「もう! また子供扱いして! そろそろちゃんと扱ってくださいよ!」

「いやいや、僕は誰でもこうだよ? それにそう考えるしか無いよ。大体昔も言ったけどああいう文章は読んだ人次第だしね。人によっては意味が変わっちゃう物だよ?」


 僕の『言い訳』に小夜子ちゃんは納得出来ない様子で頬を膨らませる。だけどそれ以上問い詰めてこないのは彼女も分かっているからなんだと思う。

 そうして鉄橋を渡る音が車両内に響いて僕は話題を変える様に笑顔で言った。

「そろそろ降りる駅だよ? 頑張って勉強してきてね?」


 だけどそう言うと彼女は神妙な顔になって僕の顔を下から覗き込んでくる。

「じゃあ……あの『グリード・ディスクリプション』は誰が書いたんでしょう?」


 これまで聞いてくる事の無かった話題――にしてはやっぱりあの事件に関係ある話だ。それで僕は苦笑すると逆に質問で返した。


「……小夜子ちゃんは誰が書いたんだと思う?」

「えっと……予知能力者とか……意地悪な神様?」

「はは、そりゃいいな。中々夢があって良いと思うよ?」

「もう、自力で隣にいますから! それにああいうのは突き詰めちゃダメですしね?」

「分かってるじゃないか。さあ、そろそろ降りる駅だよ?」


 直後、彼女が降りる駅に近付く放送が流れる。それで小夜子ちゃんは立ち上がって僕も一緒に扉の前まで移動した。電車が止まった処で彼女は一度だけ振り返った。


「それじゃ太一さん、明後日のお休みにお部屋に行きますね!」

「ああ、分かったよ。勉強、頑張ってきてね?」

「はぁい!」


 そう言うと彼女は元気に電車を降りて行った。



 あんな経験をして忘れる事なんて一生出来ないだろう。


 巷では『ネットでの大規模な犯罪教唆事件』として公表された。被害規模が大き過ぎて秘匿する訳にはいかなかった。しばらくは『今世紀最大のミステリー』として扱われた。


 しかし詳細不明なのにマスコミは何処から情報を仕入れるのか、被害総数は特定不能でネットだけに全世界規模の可能性もある。なのに僕達警察が調査していた数字を把握していて二〇〇人から三〇〇人被害者がいると言われている。能動的犯罪被害では最大だ。


 警察内部でも原因と予想される『グリード・ディスクリプション』に関しては存在自体が扱われなかった。証拠資料が全て消失していて提出する事が出来なかった為だ。


 今でも行方不明や失踪がある度にこの事件が関係しているんじゃないかと言ってその家族や関係者、ときにマスコミが問い合わせて来る事もある。勿論その殆どがあの事件とは無関係な事件だ。僕は扉脇の手すりに掴まったままでぼんやりと流れる景色を眺めた。


 実はあの後、『グリード・ディスクリプション』は一度だけ投稿された。勿論これは誰にも言っていないし小夜子ちゃんもきっと知らない筈の事だった。日常で生きていく限り、こんな事は知らない方がいいと判断したから教えていない。

 というのも最後の文章はたったの一行だけ。しかし僕と小夜子ちゃんの名前がはっきりと書かれていたのだ。そこにはこう書かれていた。


《――終幕に辿り付きし語り手、神宮小夜子と権堂太一に素晴らしき結末を――》


 どういう意味か分からないがあれを書いた奴が全て知っている事だけは確実だ。それに受け取り方によっては随分と不気味な結末でもあった。そしてファイルの方は完全に文字化けしていて文字コードや言語を変更しても復元不可能だった。リンクも全て消えていて結局僕はそのファイル自体を完全に削除した。


 あの事件に関わった上で今も生きているのは僕の知る限りたった三人。僕、神宮小夜子、そして渡辺由美子。しかし渡辺由美子に関してはもうその名前を耳にする事は全くない。


 友人の足立真由は一切の面会禁止を言い渡された。小夜子ちゃん曰く、最初の頃は相当しょげていたらしいが最近は立ち直ったそうだ。渡辺由美子が最後に叫んだ『皆怖い、優しいのも怖いのも嫌』と言うのが本音だろう。人によっては優しさや厳しさは逆転する。


 今、渡辺由美子は一人、病室で穏やかに過ごしている……と思う。きっと小夜子ちゃんが置かれた立場とは別の意味で同じ状況になった。もう誰も彼女の存在には触れない。


 こうして僕らは日常へと戻り、渡辺由美子だけが戻る道を選ばなかったのだった。


 願いにも責任が伴う――あの時、小夜子ちゃんが言った事が全てだと今も思っている。

 願いや欲望、野望、望み。意味合いは多少違っても全て同じだ。つまり願いとは責任が伴う事、努力する事を代償として達成される。願えば叶うだなんて都合の良い話は無い。


 僕は携帯端末の画面を開いた。そこにはあの時――二年前、小夜子ちゃんが最後に書いた物が表示されていた。あのタクシーの中で彼女が投稿した物は実は何度も書き直した結果だったそうだ。きっと彼女の中には今もこの考えが息づいているんだと思う。


――しかし……よくもまあ、当時一四歳の女の子が思い切った事をしたものだ。


 僕は彼女の描いた結末を眺めながら思いを巡らせた。




◇◇ 不思議な願い事 終 ◇◇


 私は今まで、誰かの役に立つ事で自分が居られる理由が欲しいと思っていました。

 その為なら例え自分を犠牲にしても仕方ない事だと、そう信じてきました。

 だけど、あの人が教えてくれました。

 願い事が叶うとしても、それは単に願っただけで本当に叶う事なんてありません。

 人は自分が欲しいと思う物を手に入れる為に、自分で動かないと駄目なんですね。

 もし私が願う事があるなら、その為に私自身が責任を背負って行動しないと。

 だから、最後に一つだけ。もし私の願い事を叶えてくれるのだとしたら。

 もう誰の願い事も叶えないでください。

 願いは自分だけの物で、叶えるのも自分だけの権利です。

 あの人の願い事は、私が一緒に傍にいて、私が一緒に叶えてあげたいと思うから。

 願いを叶える為に頑張りたいのも私の願い。だからそれを取り上げないでください。


 願い事を叶えないで欲しいだなんて願い、本当に『不思議な願い事』だと思います。

 だけど……本当に欲しい物だから自分で頑張って、自分で叶えたいです。

 あの人の願い事があの人だけの物である様に。

 きっと私の願い事も、私だけの物の筈だから。

 もしかしたら今までの事は、それを知る為だったのかも知れません。

 そうだとしたら、教えてくれた誰かさんへ。

 有難うございました。

 私にこんな大切な、嬉しい事だと教えてくれて本当に有難うございました。


 これで私だけのお話はもうおしまいです。

 これからはあの人と一緒にお話を書いていけたらいいな。

 その為にも……私はこれからもっともっと頑張らなきゃ。


◆◆




 彼女がやったのは願いのキャンセルではなくて全ての願いが載せられたちゃぶ台をひっくり返したと言う方が正しい。その点で言うなら僕が今生きているのは彼女のお陰だ。


 更に彼女が書いた内容については酷いコメントが多かった。何せ物語と言いながら殆ど交換日記だった訳だから仕方ないのだろう。しかしそれもあるコメントで引っくり返った。


『――俺は気付いた。これ、実はもう一つを読まないと意味分かンねぇんだぞ?』


 そこから評価は一変した。投稿されているどの物語がそうなのかと議論へと発展していった。やがてポツポツと『見つけた』という声も聞かれたが誰もそれを教えようとしない。

 それが閲覧者の知識欲を刺激した様でいつの間にか否定的な意見は減っていった。それこそ『読む人によって受け取り方が違う』物になってしまった。それも全員が同じ物を見ているかどうかすら怪しいという有様だ。


 最初の一言を書いた人間はユニークユーザー――つまり『書き逃げ』だ。いつしかそれは『関係者じゃないか』という噂が流れる様になった。



 小夜子ちゃんのその後について少し話しておこう。僕が入院している時、警察に対して問い合わせがあったそうだ。一人娘が行方不明になっているのに今まで気付かなかった。届け出主は神宮夫妻――小夜子ちゃんの両親だ。


 最初に気が付いたのは友人の足立真由だったそうで事細かく教えてくれた。

 あの日の翌日、授業が終わった頃に強烈な違和感に囚われたそうだ。何かが変で何か大事な事を忘れている。何かが足りていない。そんな強烈な不安に教室を見渡した時誰も座っていない机が彼女の目に映った。彼女の訴えに最初教師も何の事か分からなかった様だが理解するに従って彼女同様顔色を変えた。それはクラスメートの子供達も同様だった。

 なにしろ当時、渡辺由美子の事件があったばかりの時期だ。当然授業どころではなくなりそのまま大騒ぎにまで発展した。


 出席簿を確認しても小夜子ちゃんだけ二〇日近くが空欄のまま。なのに生徒だけでなく、教師までもが気付かなかったと言う事で騒ぎになった。それでパニックを起こした担任教師がそのまま小夜子ちゃんの両親へ連絡を入れた。それを受けて今度は小夜子ちゃんの両親が恐慌状態に陥ったのだ。


 神宮かなみや家と学校でそれぞれ騒ぎを巻き起こした結果、通報騒ぎまで発展していったのだ。足立真由は『パニックは感染する、ってああ言う事なんですね』とボヤいていた。


 その後、僕に付きっきりでずっと病室にいた小夜子ちゃんの元へ連絡がきた。これは僕も目の前で見ていたが中々に壮絶な展開だった。田所さんに案内されてきたご両親と教師に向かって小夜子ちゃんは言い放ったのだ。


『まぁ、どうせ私なんて居なくても誰も気付かない程度の人間ですから、別に何処にいても余り問題ないですよね。それなら気付いてくれる太一さんの傍がいいです』


 父親はショックで倒れるし母親と教師は泣き始めるしで……阿鼻叫喚と言う奴だ。流石に田所さんに『何とかしろ』と言われて僕が説得する事になったのだがそれを両親や教師の前で『太一さんがそう言うなら』と素直に聞く真似までやってのけた。


 後で小夜子ちゃんから聞いたが彼女なりに僕の立場を守ろうとしていたそうだ。お陰で僕は文句一つ言われなかった。それどころか感謝される事になってしまった。

 しかしある意味、事件を引き起こしたのは小夜子ちゃん本人な訳で。壮絶なマッチポンプと言うか余りにもえげつないやり口に僕も何とも言えなかった。


 それからも頻繁に小夜子ちゃんは僕の元へ訪れて一緒に母親も来る事が多くなった。その時母親から神妙な顔で『娘を宜しくお願いします』と言われて何の事かと思っていたが、小夜子ちゃんは『太一さんの処にお嫁に行く』と公言していたそうで。女の子は年齢に限らず怖い物だ……僕はそれを思い知らされた。

 いや、流石に立場的にも不味いから高校を卒業するまで保留にしたけれど。女子校育ちだから免疫も無いだろうし好い相手が出来るまでの代役だ。


 例の投稿サイトは結局新しいサービスを開始する事になったそうだ。

 あのグリード・ディスクリプションがあったサーバーは二次創作向けのファン・コンテンツとして継続する事となり創作は全て新しいサーバー、サービスへ移行している。僕らはもうサイトを利用する事も無かったし小夜子ちゃんももう見ていないらしい。

 こうして僕らの現実は無事、いつもの日常へと戻っていったのだった。

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