8−幕 崩壊の連鎖
『――いや、うちも再開させないといい加減困るんですよ』
路地に入った処で僕が連絡を入れるとサイトの担当者が出て真っ先にそう言った。
「そんな、今も調査中で……まだあれから二日程しか経ってないじゃないですか!?」
『そう言われても他のサービスに人が流れるとこっちも困るんですよね……』
要するにユーザーが離れてサービスに影響が出るからと言う理由だった。この手のサービスは利用者が常に使える事が重要だ。特に数ある中でもこのサイトは例の都市伝説の中心にある。噂になっているカテゴリに投稿出来ないと他のサイトがそれを利用してユーザーの獲得に動き始める。このサイトは出版やプロデビューの話もあるらしい。何処かの出版社と繋がりがあって、それと現状を考慮した結果の判断と言う事なのだろう。
「ですが……事件に関与している可能性がまだあるんですよ!?」
僕がそう言うと担当者は僅かに苛立った口調に変わった。
『……だけど貴方ね、二、三人で独占してやり取りしてるじゃないですか? ああいうのを警察の名前でやるとか職権乱用じゃないですかね? うちも困るし迷惑なんですよ?』
慇懃な声が返ってきて僕は歯噛みした。具体的に話せない事が裏目に出たのだ。相手の担当者が微妙に喧嘩腰なのはきっとそう言う事だ。だけどまだ公表する訳にも行かないし情報を漏らす訳にも行かない。だけど榊班長に報告して判断を仰ぐ時間すら無い。
それにどうして不味いのかなんてきっと誰も理解出来ないだろう。報告書を書く時にも散々迷った事だし班長も目を通した後で大事件の可能性もあるが何とも言えないと保留にして辛うじて受け取ってくれた位だ。
だけどもしここで新規投稿が開始されてしまうと更に被害が広がる可能性の方が高い。もうこうなったら仕方ない。例えそれで責任を取らされようと背に腹は代えられない。
「――いいですか? これはまだ公表出来ない案件です。他言無用でお願いしますよ?」
仕方なく僕は不思議な事以外のはっきりした部分――具体的に出ている結果や数字を伝える事を決めた。電話口に向かって処罰覚悟の上で硬い声で事実だけを告げる。
「投稿した人間の内、今書いている二、三人以外は恐らく全員が死亡しています」
『……は? え……な、なッ!?』
「これは投稿者を調査して判明した事です。現時点で二七名の死亡が確認されています」
『……そ、そんな……え、冗談でしょう……?』
担当者の声から慇懃さが消えて動揺した様に変わる。具体的な数字だけを聞いてその深刻さを感じたのだろう。不思議な要素を省くとどう聞いても大事件の様相を示している。それで僕は畳み掛ける様に冷たい声で告げた。
「被害者は恐らくまだ増えます。当然御社に責任があると警察は考えていない。ですが事件に利用されている可能性がかなり高い。ですからすぐにブロックし直して頂きたい」
『ちょ、ちょっと、ちょっと……待ってて下さい!』
悲鳴じみた声が聞こえた直後そのまま電話が保留状態に切り替わった。耳元から流れる電子音の曲を聞きながら僕は苛立っていた。
――くそ、あと少しの処まで来たって言うのに、なんでこうなる!
だけどそんな時僕のすぐ後ろで携帯電話の振動する音が聞こえてきた。小夜子ちゃんがそれを弄っている気配がした直後に彼女の驚いた声が上がる。
「た、太一さん! これ……!」
そう言って彼女が僕に見せてくれた画面には新しく投稿通知が表示されていた。
《『叶わない願い事(Yumi さん)』の最新話が更新されました》
声も出せず絶句していると耳元で流れていた保留音が途切れて担当者の喚く声がする。
『お、お待たせしました、権堂さん! すいません、すぐに停止すると技術担当者が!』
だけど僕はそんな慌てた声に向かって怨嗟の声を上げてしまっていた。
「……凍結を頼んだアカウントまで、復旧させたのか……!?」
恐らく今回の処理自体をバッチ処理――一括で処理したのだろう。この手のサイトでは投稿された内容に触れる事を極端に嫌う。だからユーザーデータベースだけを更新してアカウントの凍結管理や投稿設定もサーバー側で行っている。手動ではタイムロスが発生するから即座に処理する為に一括で処理したのだ。その時に凍結した筈のアカウント設定も同時に復旧させてしまった。
元々使っていた設定データを丸ごと復旧させる――つまりアカウントもブロックする前の状態に完全に戻ってしまう。状況は最悪だ。あの渡辺由美子の事件が起きた時点にまで全てが戻ってしまった。本来投稿出来ない筈のアカウントでも普通に投稿出来てしまう。しかし担当者は意味が分かっていないらしい。
『えっ? え、いや……すぐに確認を……』
「もういい! 急いでブロックし直してください! これ以上投稿させちゃ駄目だ!」
僕はそう怒鳴ると通話を切って考え始めた。
渡辺由美子は今も入院している。携帯端末自体持っていない筈だ。端末は押収されているし今も倉庫の棚に並んでいる。それに病院にも携帯端末は持たせない様に伝えてある。それが投稿出来たと言う事は渡辺由美子は今、携帯端末を持っている。一体どういう事だ、これは。いや、それよりも……渡辺由美子は一体何を投稿したんだ――!?
そして訳が分からなくなっている時に再び携帯端末が着信音を響かせた。画面を見ると公衆電話の四文字が表示されている。それで出ると聞き覚えのある声が響いた。
『あ、権堂さん!? よかった、やっと繋がった! 大変、由美子が……』
「その声は……足立さん!? 何、今何処!? いや、渡辺さんがどうした!?」
『私、今病院で……お手洗いから戻ったら、由美子がいないの! 看護師さん達も大騒ぎしてて、私、どうしたらいいか分からなくて……権堂さん、私どうしたらいいの!?』
――くそ、くそ……こうも次から次に、何が起きている!?
それは平穏を嘲笑うかの様な状況だった。約束していた筈のサイトは停止していたカテゴリへの投稿を許可してしまい凍結されていたアカウントまで開放してしまった。そしてその上渡辺由美子が再び失踪。何もかもが狙いすましたかの様なタイミング過ぎる。
「――それで行き先の目星は!? それより渡辺さんは今、携帯端末を持っているのか!?」
『……うん、はい……私の携帯電話……だけど、何度掛けても出てくれないの!』
足立真由の悲鳴の様な声がスピーカーから飛び出して来る。僕はそのまま自分の額を掴む様に押さえた。
不自然過ぎる位に物事が綺麗に展開している。まるで物語でのクライマックスシーンみたいに。張り巡らされた伏線を一気に回収しようとしているかの様に。僕が知っている状況が綺麗に当てはまっている。余りにも辻褄が合い過ぎているのだ。まさかこれはグリード・ディスクリプションが――そう考え掛けて頭を振った。それよりも先ず、現状把握と次に起こりうる事の想定、それと対策を考えなければ。
足立真由が頻繁に渡辺由美子の元を訪れているのは分かっていた事だ。そして目を離した時に端末を持って失踪。それを使って投稿を行った。アカウントは携帯電話に紐付けられている訳じゃない。ネットに接続出来る環境さえあれば何処からでもログイン可能で投稿だってサイト上で直接書いて行える。となれば渡辺由美子から端末を取り上げないと。
『ご、権堂さん……私、どうしたら……』
耳元で聞こえてくる泣き出しそうな声に僕の思考は止まり言葉を詰まらせていた。
そうだ、これ以上この事件に他の人間を関わらせちゃいけない。足立真由は既に渡辺由美子の物語に登場してしまっている。下手に動かれると新しい犠牲者になる可能性が高い。
「いいか、足立さん。僕も探す。警察にも連絡を入れる。だから君はこのまま家に――」
だけどそこまで言い掛けた時、不意に背中を指で突かれた。振り返ると小夜子ちゃんが自分の携帯端末の画面を僕の前に突き出して来る。
《――携帯電話は、足立さん?》
携帯電話のメモ機能だろう。短く書かれた文字を見て頷き返す。その仕草を見て小夜子ちゃんはすぐに次の文章を書いて再び僕に見せた。
《――なら、場所は分かるかも知れません》
その文字が見えた瞬間、僕は携帯端末を当てたままで大声を上げてしまっていた。
「――ッ、本当かッ!?」
『……え!? え、ええと……権堂さん!?』
怒鳴る声で驚いたらしい足立真由の少し怯えた声が聞こえてくる。それで僕は焦りながら宥める様に電話口に向かって出来るだけ優しい声で答えた。
「――あ、ごめん、こっちの話。何とかするから足立さんは家に帰るんだ。いいね?」
『……は、はい……権堂さん、由美子の事、お願いします……』
彼女は泣いているのか震える声で答えると電話はすぐに切れる。
僕は自分の携帯端末を握りしめたままで振り返ると小夜子ちゃんに尋ねた。
「それで――小夜子ちゃん、居場所が分かるってどういう事!?」
「足立さんの携帯電話、なんですよね? それなら多分、これで……」
慌てる僕に小夜子ちゃんは妙に落ち着いて画面を操作し始める。何かのアプリケーションを立ち上げるとすぐに近隣の地図画面が表示された。その上にはマスコット風の猫のアイコンと一緒に『まゆ』の文字が表示されている。それで彼女はホッとした顔になった。
「……良かった。足立さん、やっぱり私の登録を削除してませんでした、足立さんに誘われて『トモドコ』っていうアプリを登録してたんです。友達が今何処にいるのか分かるらしくて。携帯電話を探したりも出来るそうなんですけど私もまだ殆ど使った事がなくて余りよく分からないんですけど……」
「ごめん、ちょっと見せて」
そうして画面や設定を確認すると僕は驚いていた。流石は今どきの子だ。自分の居場所をGPSでお互いに伝えるメッセージ機能も搭載したアプリだった。一時期企業でも営業マンが何処で何をしているのか確認出来ると言う触れ込みだった物の亜種だ。
特に僕らみたいな立場だと情報漏洩を恐れて利用しない。位置情報を把握出来ると言う事は常に情報を発信していると言う事だ。その情報を入手出来てしまえば警察の動きが逐一確認されてしまう。犯罪に利用される可能性も出て来るから導入出来ないアプリだ。
だけどそのお陰で行方を眩ませた渡辺由美子を探す事が出来る。他人の携帯端末なら設定項目を変更する為に専用のパスワードが必要な筈だから勝手に停止出来ないだろう。
そうなると次の問題は渡辺由美子が何を投稿したのか。購読設定をしていた小夜子ちゃんに頼んで画面を表示して貰う。それで僕と小夜子ちゃんは一緒に画面を覗き込んだ。
◇◇ 叶わない願い事 二 ◇◇
パパもママも死んだ私がこんな願い事をした所為だごめんなさいごめんなさいごめんなさい居なくなって欲しいと確かに私はお願いしたけど死んじゃうだなんて思ってなかった本当に私は悪い子だこんなの嫌だ何もかも元にもどってほしいぜんぶなかったことになればいいのにいやだだれかたすけてもういやこわいかなしいなにもかもなくなってしまえばいいのにまゆだいきらいわたしのきもちわかるだなんてうそそんなのぜったいわかるはずないあのこしあわせだものわたしのきもちぜったいわかるはずないもういやほんとになにもかもなくなればいいぜんぶきえちゃえあああああああああああああ
◆◆
「……なんだ、これは……」
画面に表示された文字列を見て僕は呻き声を上げた。すぐ隣では同じ様に小夜子ちゃんが口元を押さえながら顔をしかめている。
渡辺由美子が投稿したのはひたすら文字を延々と羅列しただけの物だ。最初の方はまだ意味も分かるし漢字も使っているが途中から平仮名だけになっていく。これは誰かに読ませる為の物ではなく単に彼女自身の悲鳴みたいな物だろう。書いていく内にフラッシュバックを起こして錯乱状態に陥ったのかも知れない。
自分の書いた文字を更に自分で読んでいく内に思考がループして精神的ハウリングを引き起こしたのだろう。逃避する為に書いてそれを読んで、更にそこから逃避しようとする終わらない後悔と苦痛。そうやって自分自身をどんどん追い詰めていったに違いない。
これが世の中に――現実に対してどんな影響を与えるのか予想も出来ない。
恐らくこのままでは間違いなく渡辺由美子はバッドエンドを迎える。彼女は両親が消える事を望んでそれを現実化させてしまった。事故による殺害と言う形で。そこから彼女の物語は始まったがそこから先は小夜子ちゃんに乗っ取られてしまった。
それ以上何もしなければ単なる『可哀想な被害者』で終わっていた筈だ。脇役ですらない只の導入の犠牲者として命を落とす事も一切が描写される事が無かった。
物語の主人公は様々なストレスを与えられながらそれを乗り越えていく。乗り越えられなければ主役になれる筈がない。だから彼女は物語の主人公ではなくなった。
しかしそこで名前すら失った端役が続きを書けばどうなるのか。当然それは本筋として成立してしまう。小夜子ちゃんの物語はスピンオフとして別で存在する形になってしまう。
そして渡辺由美子が書いて投稿したのは『狂気』。思考のループや増幅ももしかすると書いた事が現実化した所為かも知れない。いずれにしろそんな状態で書かれた物が正常な結末を迎えられる筈が無い。そうなればもう残っているのはデッドエンド――死、だ。
「――くそッ、このッ……馬鹿野郎がッ! 僕は脚本家じゃないッ! 人の安全と治安を守る警察官だッ! 人の人生に主人公も糞もあるかッ! ふざけるなッ!」
突然上げた僕の怒声に小夜子ちゃんはぎょっとした顔に変わった。だけど怒りが抑えられない。どうしてこんな風になってしまうのかが僕にはとても納得出来なかった。そんな勢いのまま僕は小夜子ちゃんに向き直ると両肩を掴んだ。
「小夜子ちゃん、その場所が何処か分かるか!?」
「え……あ、はい! ちょっと待ってください!」
少し怯えた顔で惚けていた小夜子ちゃんはハッとした顔になって端末を操作し始める。
それで確認するとここからそれ程遠く無い住所だった。渡辺由美子が入院していた病院からさほど遠く無い場所だ。きっと徒歩で逃げ出したんだろう。
だけどここから先はもう僕だけの力じゃどうしようもない。起きてしまった事の後始末をするには組織の力が必要になる。それで自分の携帯から刑事課の田所さんに連絡した。
『――なんだ、太一か!? ちょっと取り込んでる、後にしろ!』
繋がってすぐに田所さんの怒鳴る声が聞こえてくるがそれに構わず僕も大声で言った。
「田所さん、渡辺由美子が病院から失踪しました! 今から言う処に居ますから急行して緊急保護してください! 兎に角急いでください! お願いします!」
『なッ、なんでお前ェがそんな事を知ってる!?』
どうやら田所さんもそれで出動が掛かった直後だったらしい。それ以上詳細を問い詰めてくる事もなく住所を言うと『分かった』と短く答えてすぐに電話は切れた。
警察も既に動いている。だけど結果が予想出来るのに止められなければ意味がない。
「小夜子ちゃん、僕らも行こう!!」
僕らは表通りまで出ると、タクシーに乗り込んだ。
携帯端末に新しい通知が届いていた事にこの時、僕は気がついていなかった。
◇◇ グリード・ディスクリプション 五 ◇◇
人の欲望とは尽きる事無く、物語りが終えた後もひたすら続いていく。それは死を迎えるまで止む事がなく、生きる事と同義だ。つまり生きている限り、人は常に舞台へ舞い戻る機会を持ち続けている。
一度舞台を降ろされた乙女が再び舞台へ舞い戻った。それは地上よりもより天に近い高台。数少ない観客に姿をさらし、道化を演じてくるくると舞い踊る。
幼き娘、簒奪せし者、最後は彼の者へと願いを託す。それを願う事を自ら選び、その願いと結末は成就されよう。願え。望め。生きよ。宿命に抗え。
そして――己が役割を勝ち取るがいい。
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