八章 破綻する、物語り。
8−1 穏やかな朝
朝目覚めると隣で小夜子ちゃんはまだ眠っていた。
携帯端末の画面を眺めてみるとまだ時間は朝の七時前。普段の生活習慣で多少夜更しした処で関係なく目が覚めてしまう。
身体を起こすと彼女の手は既にシャツの裾を離している。取り敢えず昨晩の様子を見る限り今日はゆっくりさせてあげたい。丁度いいし今朝の食事は僕が作ろう。それで布団を掛け直すと小夜子ちゃんを起こさない様にそっと寝室を後にした。
ベーコンとネギを刻んで炒り卵を作る。塩コショウで味付けしただけのシンプルな料理だ。それを皿の上に敷いたレタスに乗せる。トーストの焼き上がる良い匂いがキッチンに立ち込めてバターを塗り始める。丁度そんな処に小夜子ちゃんが起きてきた。
「――お早う。朝ごはん出来てるよ。小夜子ちゃんは苺ジャムが好きだったよね?」
「……ぉはよぅ……ごじゃいましゅ……苺、しゅき……」
にへーっと笑いながらおぼつかない足取りでよたよたと歩いて来る。そう言えば彼女は朝にはかなり弱いみたいだ。まだ寝ぼけているのか明後日の方に歩いて行くのを見て僕はパンを皿に置くと彼女に近付いた。危うくふらついた処で手を取って身体を支える。その瞬間小夜子ちゃんは僕の身体にしっかりと抱きつくと顔を擦りつけて来た。
「……あー……しあわせぇ……れす……」
「えーと……小夜子ちゃん? 大丈夫?」
「……えー……あー……?」
こうしてみると普段とのギャップが物凄い。普段でも制服じゃなくて私服なら高校生や大学生に見えてもおかしくない位物静かで落ち着いているのに寝起きを見る限りはいつも幼い子供みたいにあどけない感じがする。もしかしたら本当の彼女はこちらかも知れない。
そうしてしばらく抱きかかえているとぼんやりしていた彼女の顔に突然血の気が差していく。慌てて僕から身体を離そうとするけれどまだ足がフラフラしていて放っておけない。椅子に座らせると彼女は恥ずかしそうに俯いてしまった。
「本当に大丈夫? 眠いならまだ寝てても構わないけど……」
「……あっ、の……その、大丈夫……ですっ……!」
そうは言うものの、多少頬が赤くなっているがまだ顔は青白い。考えてみれば昨晩は随分遅くまで話していた気がする。どうやら彼女は元々貧血気味っぽいし寝不足はその原因でもある。もう少し寝かせてあげた方がいいのかも知れない。
「もしかして小夜子ちゃん、低血圧で朝は弱い? ご飯は後にしてもう少し寝てくる?」
「あ、いえ、大丈夫です! ご、ごめんなさい、もう目が覚めました!」
そう言って慌てた様子で小夜子ちゃんは恥ずかしそうに笑った。だけど女性には貧血が多いと聞くし余り無理はさせない方が良いのかも知れない。兎に角食事を摂れば貧血も少しはマシになる筈だ。それに確か血圧を上げるにはチーズが効果的だった気がする。
冷蔵庫からカットチーズを取り出すと炒り卵の脇に乗せる。そうやって珈琲と紅茶を準備すると僕らは朝食を食べる事にした。
*
昨晩の事があってから小夜子ちゃんは少し明るくなったみたいだ。食卓にいても笑顔でいるし良く会話もする。昨日帰ってくるまでがまるで嘘だったみたいだ。
僕も今までは一人きりで無言で過ごす事が多かったから少し不思議な感じだ。親父が死んでからお袋と二人きりだったし、かと言って母親は物静かな人で雑談も余りしなかった。
だからこんな風に自分の半分位の歳の子と一緒に過ごすのは新鮮で驚く事が多い。
世間では一般に中学生位の年頃は感受性豊かな頃で多感な時期だと言うから女の子としてちゃんと扱わないと不味い。そこで彼女の今の服装を見て気付いた。
そう言えば新しく買ったのか今は無地のパジャマを着ているけれど普段はずっと学校の制服姿しか見た事が無い気がする。昨日だってやってきたのは学校の制服だった。僕は珈琲と紅茶のお替りを淹れて差し出すと彼女に尋ねてみた。
「――そう言えば小夜子ちゃん。着替えの服とかはどうしてるの?」
出来るだけ自然に何気なく聞いたつもりだったがそれで小夜子ちゃんの表情が強張った。
「え……に、匂いますか!?」
「ああいや、そうじゃなくて。いつも制服姿だからどうしてるのかなあ、と……」
だけどそれで彼女は俯くと言い難そうに答えた。
「……その……家を出る時、制服で……パジャマはあれから買ったんですけど……」
「……ああ、そうか……」
そう言えば彼女が最初に投稿したのは渡辺由美子を発見してすぐ後だ。そこから多分家に帰って両親の反応に驚いたのだろう。そんな状態で着替える余裕も無かった筈だ。
人間はちゃんと食べて人間的な生活を送らないと心が荒んでいく。その意味では僕が家に呼んだのはやっぱり正解だったのだ。きっと自宅では食事も大変だったに違いない。
しかし制服を常に着ているとどうしても傷んでしまう。女の子にそれは流石に可哀想だ。それで僕は時計を見て少し考えると彼女に提案してみた。
「――小夜子ちゃん。今日は一緒に服を買いにいこう」
「……えっ?」
「流石にずっと制服じゃ不味いでしょ? 僕も今日は休みだし、色々買い出しに行こう」
すると彼女はカップに口を付けたままで凍りついた様に動かなくなってしまった。目を何度もしばたたかせながら気不味そうに視線を泳がせている。
「えっと……小夜子ちゃん?」
僕が呼ぶとそれでようやく我に返ったらしくカップをテーブルに置く。そのまま肩をすくめて小さくなると俯いたまま恐る恐る尋ねてきた。
「……あ、あの……その、それは……で、『デート』……って、事……ですか?」
「ああ、うん。そうだね。相手が僕で申し訳ないんだけどデートしようか?」
人間はある程度何かで発散しないとストレスが溜まってしまう物だ。僕の家は帰って寝るだけだったから質素と言うよりも本当に何も無い。仕事と関係があるからネット回線とコンピュータはあるけれどテレビは置いていない。特に年頃の女の子からしてみれば無味乾燥で相当厳しい状況に違いない。
「それにお昼は外食にしようか。デザートなんかも食べたいよね?」
「あっ……え、えと……」
「服だって着替えも考えると二、三着はあった方がいいし。あ、下着もか……」
「え、ええ、えええええ……」
「それに自分用のコップとか……あとバスタオルとかも揃えた方がいいかな?」
「そ、そんな……え、えと……」
「欲しいなら好きなデザインのカーテンとかも準備するよ?」
彼女がちゃんと自分の日常に戻れるまでは僕が可能な限り面倒を見る。その為に我慢をさせるのは良くない。贅沢とは行かなくても実家にいるのと同じ位にはリラックス出来る空間を準備してあげないと不味い。流石に洗濯機も別と言われると無理だけど。
次々に提案すると小夜子ちゃんは慌てた様子で両手を突き出して首と一緒に振り始めた。
「そ、そんな……た、太一さん、そこまでは、ちょっと……」
「別に構わないよ? 必要なら使っていない部屋も空ける。ベッドや机が必要ならそれも準備しよう。勉強は……まあ、僕で構わないなら見てあげられるし」
「さ、流石に、そこまでは……そんな、私、何もしてないですし……」
「いや、そうでもない。仕事も手伝って貰った。昨日だけで多分一ヶ月分は進んだよ?」
遠慮している小夜子ちゃんに僕は笑って答えた。
これは別に大げさでも何でもなく本当の事だ。実際に書かれている内容を吟味して事件と繋げていくのは相当に大変な事で僕自身少し途方に暮れていた処だった。それが既に半分近く終わっている。僕一人なら一ヶ月では済まないだろう。兎に角彼女は僕よりもあのサイトに関しては遥かに専門家だ。その助けが得られるなら報酬があって然るべきだ。
「それにね。しばらく一緒に生活するならちゃんと揃えないと不味いでしょ?」
「え、いえ、ですけど……それは、流石に申し訳ないです……」
「申し訳無くは無いよ。ちゃんと仕事だって手伝って貰ってる。その対価にちゃんと不自由なく生活出来る場所を提供しないとね。本当に対価だから遠慮しなくていいよ?」
僕がそう言うと彼女は黙って俯いてしまう。だけど頬が赤くなって嬉しそうに変わると、
「……う、嬉しいです……凄く、凄く嬉しいです……やった……!」
余程嬉しかったのか彼女が幸せそうに笑うのを見て僕も思わず笑ってしまった。
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