7−幕 背負えない責任

 勤務を終えた後、僕らは家に帰ってきた。だけど食事を摂った後も小夜子ちゃんは沈んだ様子のままだ。話し掛けても何か考えているみたいで生返事が目立つ。


 あの話をしたのは不味かったかと考えるもののやっぱりネガティブになって自虐的になって欲しくない。何よりも自分を否定して生きて欲しくなかった。


 だけど結局そんなままでそろそろ寝る時間になってしまった。

 照明を落とすと僕はソファーの上で横になった。この処ずっとソファーで眠っているから身体が慣れつつある。考えてみれば仮眠室で寝るのとそう大差がない。そうやって目を閉じているとすぐ近くで床の上を歩く足音がした。それで目を開けると小夜子ちゃんが毛布を被りながらすぐ傍にまで来ている。


「――うん? 小夜子ちゃん、どうしたの?」

 僕は肘を立てて上半身を僅かに起こすと彼女の方を見た。だけど小夜子ちゃんは何も答えずにソファーのすぐ脇に来るとカーペットの上で横になってしまう。


「……えーと……そんな処で寝たら、風邪引くよ?」

 そう言っても毛布に包まったままで小夜子ちゃんは動こうとしない。頭まで毛布を被っていてまるで小さな子が拗ねているみたいだ。

 正直こんな時どうしたらいいのか全く分からない。それで何とも言えず迷いながら黙っていると毛布の中から小さくくぐもった声が静かに聞こえて来た。


「……お話……したい、です……」

 そんな声に続いて毛布から目元だけを覗かせる。まるで捨てられそうな子犬みたいに僕を見上げてくる。なんと言うか構って欲しそうな感じだ。それに幾らカーペットを敷いてあるとは言え下はフローリングだから冷えてしまう。子供を床で眠らせる訳にもいかない。

 僕は身体を起こすと照明のリモコンを入れて溜息を付いた。


「ハァ……分かったから、ベッドの方に行こうか。そっちで話、聞くからさ?」

 明るくなった室内に眩しそうに目を細める彼女。僕が手を差し出すと小夜子ちゃんはその手を取った。そうしてやっと嬉しそうに笑った。


 寝室まで行くと小夜子ちゃんがベッドの上で横になるのを確認してから縁に腰掛けた。

 元々は自分の寝室なのに入るのは随分久しぶりな気がする。ベッドの端には恐らく学校のカバンだろう、小夜子ちゃんの荷物が置いてある。椅子の背もたれにはハンガーが掛けてあってシワにならない様に制服が掛けてある。それ以外には彼女の荷物は無かった。


「それで……話って?」

 振り返ると彼女は少し不満そうな顔で自分の隣をポンポンと叩いて見せる。どうやら同じ様に横になれと言いたいらしい。まるで本当に小さな子供になったみたいだ。


「……いやいや、それは流石に不味いでしょ……」

 思わず苦笑して答えるが彼女は聞く耳を持ってくれない。無言でポンポンと叩くだけだ。


 子供は時々こんな風に理不尽だ。だけどこんな風にするのは甘やかして欲しいと言う感情表現なのかも知れない。普段の小夜子ちゃんからは少し想像出来ないが考えてみたら記憶を取り戻した時も妙に小さな子供みたいだった気がする。

 それで仕方なく僕は彼女に背中を向ける形で横になると突然背後から掛け布団を被せられる。リモコンも持っているらしく照明を落とされて薄暗い中で僕はじっと黙っていた。


 それから随分してから背中の後ろから小さな彼女の声が聞こえてくる。

「――私、こんな風に……誰かとお話、した事なくて。ちょっぴり憧れてたんです……」

「……いやまあ、僕も一人っ子だからさ。こう言う事をした経験は無いよ?」

「なら……丁度いいですね。お互いに初体験って言う事で……」


 だけど楽しそうに言い掛けて突然彼女は黙り込んでしまう。なんだろうと首を捻って見ると両手で顔を隠してしきりに身悶えしている。どうも自分で言った事で恥ずかしがっているらしい。それで途端に僕も何やら気恥ずかしい感じになってくる。


――僕は一体、何をしているんだろうか……。


 そうして目を瞑っていると彼女の手が僕の背中に触れて来た。最初はこわごわと、少しずつ慣れてきたのか背中を撫で始める。小さな手の温かさが少しくすぐったい。そうしてやっと彼女は小さく掠れる声で話し出した。


「――私……多分、少しはしゃいでいたんです……」

「うん? それはこっち側に戻って……僕が思い出したから?」


 戻って来たと言うにはまだ早い。今はまだ僕の元にしか戻っていない。それで言い直すと小夜子ちゃんは嬉しそうに小さく笑う。


「それもありますけど……だけど沢山の人が大変な事になってて。それに太一さんまで巻き込んでしまって……それでやっぱり、私なんていない方がいいのかな、って……」


 仕事を手伝って貰った時に話した事を彼女はずっと考えていたのだろう。何とか助かっても他の大勢が助からなければ心まで救われない事が往々にしてある。僕が話した事は大の大人でも苦悩する事だし未だ中学二年生の彼女が悩まない筈が無かった。

 僕は身体を上に向けるとすぐ隣でビクッとした小夜子ちゃんの顔をじっと見つめる。


「君の所為で人が死んだ訳じゃない。それに君のお陰で助かった人だっている」

「それは……渡辺さん、とか?」

「うん。それに足立さんもね? 君がした事は無駄じゃない。少なく共クラスメート二人を救った。そして僕に伝えてくれた。君はこれから出る筈だった被害者を救ったんだよ」

「…………」

「大体責任なんて大人が取る物だよ。君が背負う責任なんて今の処一つも無い。君はもう救われなかった人達の無念を晴らしている。これ以上背負おうとするのは余計な事だよ」

「……ふふ……太一さん、酷いです……」


 小さくそう呟くと小夜子ちゃんは寂しそうに小さく笑った。

 それからしばらくの間は静かだった。何も言わず彼女は僕の袖を掴んで腕を撫でている。そしてそれが不意に止まって手が離れた時、彼女は懺悔する様に口を開いた。


「――私、あんな風に考えた事が無くて……『同情はするな』って太一さんが……」

「ああ……そうか、普通は逆に教えられるからね。僕も小学校位まではそうだと信じていたんだよ。だけどそうじゃなかった。実はあれは……親父の受け売りだったんだよ」

「……太一さんの、お父様の?」

「うん。僕の親父は刑事だった。刑事って殺人事件とか扱う部署でね。昔からよく自分は人死にを見過ぎたって言ってた。それで『同情はするな』って結論になったらしい」


 それで僕は顔を彼女に向ける。薄暗い中で布団から覗いた目が僕を見つめ続けている。

 今の彼女には話してあげた方がいいのかも知れない。そんな気がして僕はちょっとした昔話をする事にした。余り人に話した事のない僕が刑事を目指す事になった切っ掛けを。



――僕の親父は僕がまだ小学五年の頃――一〇歳の頃に死んだ。殺された。小さなナイフで刺されてそのまま呆気なく、あっさりと死んだ。そんな親父が生前によく言っていた事があった。それが『相手を憐れむのは良いが同情だけは絶対するな』だった。


 相手を可哀想だと思うのは行動の理由になる。だけど勝手に相手の気持ちを分かった風に思うのは辞めろ――そう言う事だったと理解したのは少し後だ。勿論学校じゃ『相手の気持ちになって考えなさい』と言われていたからその頃の僕には納得も出来なかった。


 僕が親父の言葉を理解出来たのは親父の葬式の時だった。相手の気持ちになって残された者の前で泣く事がどれだけ酷い事なのか。皮肉にも思い知らされてしまったのだ。


 近所のおばさんが『悲しいね、辛いね』と言って僕を抱いて泣く。だけど僕もお袋も全く涙を流す事は無かった。正しく言うと『流せなかった』。


 そんな中で田所さんだけは恐ろしい形相で激怒していた。

『――すまねぇ太一、俺が絶対に犯人をムショにぶち込んでやる!』


 そう言って結局、田所さんは言葉通り犯人を捕まえてそれを実行した。その事を報告しに来た田所さんの前でお袋も僕も初めて泣く事になった。


 同情が悪い事だと思わない。だけど同情は誰も救えない。悲しみや感情を増幅するだけでマイクをスピーカーに近付けたみたいにハウリングを起こすだけだ。


 それから僕は親父や田所さんみたいになりたいと思う様になった。相変わらず田所さんは怖いけど、それでも僕は好きだし田所さんも随分と僕を可愛がってくれた。


 残念ながら僕は刑事にはなれなかった。でも僕の中に残っている物は何も変わらない。親父と田所さんが教えてくれた事は何も変わらないまま今も胸でくすぶっている――。



「――だから死んだ人に同情しちゃ駄目なんだと思う。誰も代わりにはなれない。彼らの本心なんてもう誰にも分からないんだから。なら『可哀想だ』と言う方がマシだと思う」


 僕の話を黙って聞いていた小夜子ちゃんは少し驚いたみたいだった。考えてみるとこうして誰かに話した事なんて一度も無い。気軽にペラペラと話す内容でもないけれど。

 それでも小夜子ちゃんは一生懸命に思い出しながら考えている。


「……田所さんってあのお爺さんですよね? 私、もっと怖い人だと思ってました……」

「容赦しないから怖いのは確かだよ? 但しあの人、可愛がるのも容赦が無いんだ」

 僕達は一緒になって笑う。そしてひとしきり笑った処で僕は真面目な顔になって言った。


「……小夜子ちゃん。自分を大事に出来ない人は他人も大事に出来ない。自己犠牲で幸せになれる人なんていない。幸せにしたければ自分も一緒じゃないと意味が無いんだよ」

 それは彼女が渡辺由美子にした時の様に。犠牲を犠牲で誤魔化した処で新しい傷口が開いて別に悲しむ人が生まれる。そんなやり方をしても不幸しか生み出さない。

 僕の話を聞いて彼女は首を竦めると苦笑する。


「……何て言うか……凄く、刺さりますね……」

「そっか。そう思えるならもう大丈夫だ。ところで小夜子ちゃんの話って――」


 だけど尋ねようとした時には隣から静かな寝息だけが聞こえてきた。もしかすると不安で堪らなかったのかも知れない。あの時僕が言った事は彼女位の歳ならお説教にしか聞こえなくても変じゃない。それで叱られたと思ってしまったのかも知れなかった。


 僕はそのまま静かにベッドを抜け出そうとした。幾ら子供でも女の子と一緒に眠る訳にも行かないしこっそりとソファーに戻って寝ようと思った。だけど彼女の手がしっかりと僕のシャツの裾を掴んでいて離れそうにない。やはり一人で寝るのが怖かったんだろう。僕は仰向けになったままでじっと天井を睨んだ。


 状況ははっきり言って芳しくない。小夜子ちゃんは僕の元には戻ってきたが彼女自身が生きる場所にはまだ帰れていない。彼女が『彼女の日常』に戻れないと意味が無いのだ。

 そしてこれからやらなければいけない事は多く見えるが実はそれ程多くはない。


 それは彼女の日常への復帰と、『投稿の現実化』を終わらせる事――それさえ何とか出来れば現在起きている多くの問題は終息する筈だ。


 投稿も特定のカテゴリへは出来ない様にして貰っているがそれも余り猶予は無い。いつ再開されても文句は言えないし精々残り三、四日が限界だろう。となればこの二、三日の内に決着を付けなければ収集がつかなくなる。都市伝説は広まっていて『現代舞台』のカテゴリに投稿する人間は増え続けていたからもし開放されればもう追跡し切れない。


 僕は目を閉じると考え続ける。そうしていつの間にか眠ってしまっていた。

 こうして僕らは次の――運命の朝を迎えた。

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