7−3 小夜子の苦悩
昼食を終えてから彼女も一緒に仕事を手伝ってくれる事になった。
中学生に出来るのかと思ったが流石元々このサイトで読み漁っていた子だ。僕がまとめた資料なんて殆ど目を通す事も無いまま次々に投稿内容を繋げてしまう。その早さは尋常じゃなく早い。例えば僕が一件をこなす内に彼女は五、六件こなしている位だ。
「……す、凄いね、小夜子ちゃんは……」
思わず感嘆の声を上げると彼女は少し恥ずかしそうに首を竦めた。
「私、元々図書委員で……学校の図書館でもこういうお仕事してたんです」
「へぇ、図書館で――って、図書室じゃないの!?」
「私の学校ってカレッジ・スクールまで共用の『図書館』なんです。幼稚園も構内にありますから小さな子が読める童話や絵本まで揃ってるんですよ?」
「そ、それは……何と言うか、とんでもないなあ……」
そんなやり取りをしながらなのに彼女の手は止まらずハイペースで作業は進んでいく。
そして――やはり彼女が課の中に居ても誰一人それを疑わない。榊班長や倉田先輩も違和感無く普通に話し掛けてくる。それは不気味な反面とても都合が良かった。
そうして次に倉田先輩が再びやってきた時、僕は試しに彼女の事について先輩に尋ねてみようと思った。やってきた先輩を連れて少し離れるとコソコソと話し始める。
「――先輩、先日『神宮小夜子』さんについて調べるの、手伝って貰いましたよね?」
「ん? おう、あの認識出来ないってJCの事だよな?」
「ええ……それであの子がその『神宮小夜子』さんなんですよ」
だけど僕がそう言うと先輩はキョトンとした顔に変わる。目をパチクリしながら小夜子ちゃんの方を眺めると訝しげな顔で僕に言ってきた。
「……は? 太一、お前ェ何言ってるんだ?」
「いえ、だからほら。足立真由さんと同じ学校の制服着てますよね?」
「だからな? こんな時間に中学生がこんな処にいる訳ねぇだろ?」
それは聞いている僕の方が頭がおかしくなりそうな返事だった。要するに認識がその都度スライドしていて思考論理が繋がっていないのだ。『A=B』と定義して『B=C』と次に提示した時には既に最初の定義が消えている。だから『A=C』の論理が成立しない。
正常な状態の僕からみて明らかに異常なのに誰もそれを自覚していない。
先輩はそのまま僕に呑気な事を言い始める。
「いやあ、でもあの子、制服似合っててかなり可愛くね? 何処で知り合ったんだ?」
「いえ、まあ……先輩、仕事あるんでしょう? 班長にまたどやされますよ?」
「……っと、やべえ! んじゃあ俺、作業の続きやってくるわ!」
榊班長が倉田先輩を無言で見つめている。それで先輩は慌てて自分の席に戻っていく。まさかこんな形で今回の事件を意識させられるだなんて思っていなかった。
*
今僕が小夜子ちゃんと一緒にやっているのは手間だけどそれ程難しい仕事じゃない。詳細な個人情報までは貰えないから投稿内容と出身地程度の簡単な登録内容、それと事件を照合して内容が一致する案件を絞り込む。虚偽登録もあるから情報は信用出来ない。しかし夕方を迎える頃には残り半分近くまで一気に進んでしまった。実質一日――いや、半日程度で八〇件以上をこなした事になる。これまでと比べると驚異的な早さだ。
特に小夜子ちゃんの網羅範囲は異様に広い。姿を消してからやる事がなくて読み漁っていたらしい。特に現代舞台カテゴリは自分も関係があるから集中して読み込んでいたみたいだ。逆に事件からピックアップして投稿作品と結び付ける、なんて事までやってのける。
対する僕は全部目を通さないと分からないからどうしても時間が掛かってしまう。この件に関して言えば有能過ぎる助手と言う感じだった。
そうして本日分の書類を片付けていると彼女が言い難そうに尋ねてきた。
「――あの、太一さん? この事件ってもしかして全部……?」
そう言えば以前に話した事もあったし事件リストに載っている概要を見ればある程度は予想出来るだろう。それに手伝いを頼んだ時点で覚悟はしていた事だ。事件と内容を照合して行けば当然誰でも気付く事だ。
「うん。多分小夜子ちゃんと僕、それに渡辺さん以外は全員が死んでると思う」
「…………」
「まぁ、だけどね。それで『自分だけ生き残って申し訳ない』って考えちゃ駄目だよ?」
出来るだけ普通に聞こえる様に僕は感情を込めずに淡々と答えた。予想通り小夜子ちゃんは辛そうな顔になって俯いてしまう。無言になって良くない事を考えているみたいだ。だから僕はそんな彼女に向かって静かに話し掛けた。
「運命だったとは言わないよ? だけど彼らには運が無かった。小夜子ちゃんは偶然でも僕と知り合いで、僕も運良く見つけられただけだ。だからこうしていられるし彼らに同情する事も出来る。君が躓いたとしても僕は君の手を掴む事が出来たのも全部幸運だよ」
「……でも、それなら……」
「――じゃあ、君が手を掴んだ渡辺さんも死ぬべきだった、って思う?」
「……っ……そんな……そんな事、思う筈ありません……」
それでショックを受けた様な顔になると小夜子ちゃんは小さく首を横に振る。僕はその様子を見て頬を緩めると慰める様に続けた。
「そう言う事だよ。生き残ったんだから生きる事を考えて。死んだ人に同情なんてしちゃ駄目だ。君が何をしてももう戻らない。道連れを望む亡霊にしないであげてほしいな?」
けれどそれで小夜子ちゃんは目を伏せると深刻な顔になって考え始める。中学生にはまだ厳しい話だと思う。でも助かった事に罪は無いし生きる事に罪悪感を感じて欲しくない。
死傷者が多く出た事件や事故に巻き込まれて助かった人間は大抵の場合自分だけが助かった事を悔やむ。それがPTSD、心的外傷を引き起こす。他の人間と一緒に死ぬべきだったんじゃないかと苦悩してしまう。死者と第三者による同調圧力の様な物だ。
しばらく黙って俯いたまま顔を上げない小夜子ちゃんに僕はゆっくりと話し出した。
「――僕ら、警察が動く時は絶対に全部終わった後なんだ。防ぐ事が出来ないんだよ」
「……え……」
顔を上げた彼女は僕の顔を見つめる。それで僕自身ずっと思っていた事を口にする。
「消防や医者も同じだ。不幸に立ち会う仕事は全部そうだよ。助けられなかった、守れなかったって。でも後悔しても同情はしない。可哀想だと思っても同情だけは絶対にしちゃ駄目だ。僕らは後始末しか出来ない。勝手に分かった気になるのは死者に対する冒涜だ」
小夜子ちゃんは――この子はまだ幼い。だから受け入れ難いかも知れない。だけどこれだけは絶対に譲れない事だし分かっていて欲しい事だった。
今回彼女が未だ無事なのは本当に偶然が重なっただけだ。死者の仲間入りをしていてもおかしくない状況だった。そしてその危機は今もまだ続いていて解決していない。彼女を彼女として認識出来るのは今は僕だけで医師のカウンセリングを受けられない。
泣き出しそうに顔を歪めながら彼女はじっと僕の顔を見つめる。きっとまだ納得出来ないのだろう。それで僕は少し困った顔になって笑った。
「もし小夜子ちゃんがそれでも自分は消えた方が良い、自分も死ぬべきだったと思うのなら……君を助けようと手を掴んだ僕も死ななきゃいけない、って事になるね?」
それで小夜子ちゃんは両手で顔を覆うと声を押し殺して泣き出してしまった。
多分他にも言い方はきっとあったんだと思う。だけど僕は耳障りが良くて心地良い嘘なんて絶対に言いたくなかった。生き残った人間に託されるのは死者の思いじゃない。二度と同じ悲劇が起こらない様にする事だ。酷い事を言うと悲しむのは身内だけで充分だ。
「……太一さん、ごめんなさい……私、バカで……本当にごめんなさい……」
繰り返して謝りながら泣く彼女の頭に手を乗せると僕は泣き止むまで優しく撫で続けた。
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