6−幕 『主人公』の定義

 今朝は随分早く起きた事もあってまだ六時を回った辺りだ。それでこれまでのお互いの経緯について話し合った後で僕は自分が推測した今回の現象に付いて話し始めた。


「――先ず『願い事が叶う』と言うのが間違いなんだ。特定のタグで投稿するとその内容が現実と言う舞台で再現される。だから厳密に言えば執筆者はスクリプト――あ、ごめん、小夜子ちゃんはプログラミングについては知らないよね?」

 だけど僕が思わず専門用語を口にしてしまうと小夜子ちゃんは首を横に振った。


「そっちは分かりませんけど『脚本家』の事を『スクリプトライター』って言うんです」

「あ、そうだったのか……と言うか小夜子ちゃん、良くそんな事知ってるね?」

「私、本が好きで劇の脚本とかも読んだ事があるんです。そこに載ってて……あ、それでさっき『舞台進行』って……作者は『脚本家』って言う事なんですね……」


 それで僕は頷いた。やはり彼女は相当頭の回転が早いし飲み込みも早い。ほんの少し説明しただけで大まかな部分は把握したみたいだ。それで僕は話を続けた。


「だから『願い事』が叶うと思っていると大変な事になる。それで小夜子ちゃん、君が書いた事はまだ完結していないんだ。だからハッピーエンドを目指さなきゃいけないんだ」

 だけどそう言うと小夜子ちゃんは感心した様子で僕の顔を見つめる。


「……そんな事まで……やっぱり太一さんは凄いです。まるでお話の主人公みたい……」

「いやいや、今の主人公は小夜子ちゃんだよ? だって君が書いたお話は君の視点で進んでるんだから僕はあくまで脇役だ。実際君が書いた通り見えなくなったんだからね?」


 だけど途端に彼女の表情が曇り始める。そして恐らくは諦めてる最大の原因について小夜子ちゃんはあの諦めた大人みたいな表情になって言った。


「……私なんかが主人公だなんて……そんな事ないです。きっと他の誰かが主役で、私はその脇役なんですよ。もしかしたら脇役ですら無いかも知れません。通行人Aとか――」

 だけど僕はそれを肯定する事は出来ない。彼女の言葉を遮る様に首を振って答える。


「そんな事は無い。小夜子ちゃん、人の数だけ人生がある。それぞれが主人公なんだよ」

「でも私……何も出来ませんし……」

「君の方が詳しい筈だよ? 特別な事が出来ないと主人公にはなれないの? 君が読んできたお話で主役は絶対に素晴らしくて何でも出来た? 万能な人を見て凄いとは思っても心は動かないし共感だってしない。だって人間らしい欠点に人は共感するんだから」


 僕が強い口調で言うと小夜子ちゃんは驚いた顔になって黙ってしまった。

 彼女に話しながら僕が考えていたのは倉田先輩の事だ。


 先輩は実際凄いと思うしその能力に追いつきたいとは思う。先輩が居なければこうして小夜子ちゃんの事を思い出す事も無かっただろう。だけど先輩になりたいとは思わない。

 僕が先輩を凄いと感じるのは先輩が凄いんじゃなくて僕自身足りていないだけだ。目標にはなっても『凄い』と思う部分を見て感動はしない。共感するのはそう言う部分じゃなくて先輩の人間らしい処だ。問題に立ち向かおうと足掻く。その結果何とかなって僕に向かって褒めろと言わんがばかりに『やったぜ』と言って笑うのだ。


「――小夜子ちゃん。君は『主役』に理想を見過ぎている。人間は道具を評価して感動するんじゃない。願ったり祈ったりしながら諦めず頑張ろうとする姿勢に感動するんだよ」

「……願ったり、祈ったりして……」

「そうだよ。だから凄いから主人公になるんじゃない。主人公は能力じゃなくて人間的な部分で主役になる。だから誰でもそうだし君だって君の人生――物語の主人公なんだよ」


 小夜子ちゃんはぼんやりとした顔で僕をじっと見つめる。だけどそこまで言って僕は自分が大人っぽい説教をしてしまっている事に気付いて慌てて頭を掻いた。


「――っとごめん! 別にお説教する気じゃなくて……だから小夜子ちゃんは今、小夜子ちゃんが書いてるお話の主人公なんだよ。君の視点でお話が進むからね。だから変に願い事を書くのは避けて欲しいんだよ。願い事は自分の努力で何とかする物であって実現するからと安易に書かないで欲しい。だってそれは願いじゃなくて欲望でしか無いからさ?」


 言い訳みたいに一気に言ってから僕は自己嫌悪に陥った。

 偉そうに何かを言える程僕は経験していない。彼女は実際に大変な目に会ってしまってこうして此処にいる。そんな相手にこんな事を言われても納得出来る筈がない。

 だけど小夜子ちゃんは何かに納得したみたいに小さく呟く。


「……グリード……七つの大罪、『強欲』って……そう言う事だったんですね……」

「うん? 『グリード』って、グリード・ディスクリプションの事?」

「あ……何でもありません。でも分かりました。私、太一さんが言う通りにします」

 こうして何とか小夜子ちゃんは納得してくれたのだった。



 まだ少し早いけれどそろそろ家を出る準備をした方が良いかと思い始めた頃。何やらモジモジしながら小夜子ちゃんが言い辛そうに顔を上げた。


「あ、あの……太一さん……?」

「うん? 何、どうしたの?」

「あ、いえ……その……」


 だけど躊躇いながら再び俯いてしまう。首を傾げてなんだろうと思っていると小夜子ちゃんは何か決心した様に僕の顔を見ながら尋ねてきた。


「あの! 太一さんは、その……お付き合いしてる人って、いらっしゃるんですか!?」

「え……それって彼女とか、そう言う意味で?」

 それで小夜子ちゃんは小さく頷くと黙ってしまう。


 どうしてそんな事を聞いてくるのかと一瞬訝しんだものの、冷静に考えてみるとその気持ちも分からないでも無い。もしこの部屋に僕以外の人間がやってくれば色々とやり難いだろうし面識が無ければ知覚はされるから色々と厄介な筈だ。


「ううん、大丈夫。勿論居ない――と言うか女の人と付き合った事も無いよ。お袋に鍵は渡してあるけど来る事は先ず無いし。うちは親父が刑事だったから仕事で部屋にいないってお袋も良く知ってるからね。だから安心してこの部屋にいればいいよ?」


 だけど僕が答えると小夜子ちゃんは小さく手を握りしめて『よし』と呟くのが聞こえてくる。さっきまでの沈んでいた様子がまるで嘘みたいにパッと明るく変わった。

 だけどホッとしたと言うのとはちょっと違う気もする。ガッツポーズに見えた様な……。

 それでも楽しそうにしているのは良い事だ。小夜子ちゃんはこれまで誰とも話す事も無くたった一人で過ごしてきた。望んで一人になる事と隔離されるのは意味が違う。


 何よりもまだ子供で今朝だって僕に抱きついて眠っていた事を考えると人恋しくて堪らなかったんだろう。それで出勤時間ギリギリまでは彼女と話して過ごす事にした。


 この子は僕が知る限りとても大人しくてそれ程おしゃべりじゃ無かった。それがこんなに話してくると言う事はきっとそう言う事だ。それで他愛ない雑談をしていて丁度学校の話が出た辺りで僕は渡辺由美子の結末を話して居なかった事を思い出した。


「――そうだ。小夜子ちゃん、渡辺由美子さんの事だけど」

「え……あ、はい」


 話を切り出した途端それまでの明るかった表情に陰が差す。きっとどうなったか気にしていたに違いない。それで僕は明るい調子で続けた。


「彼女は今入院してるけど元気になってるって。足立さんがそう言ってたよ?」

「そう、ですか……なら、良かったです……」


 そう言って彼女は微笑んだ。だけどその表情はさっきとは少し違う。どこか物憂げで妙に大人びて見える。諦めているのとは少し違う、まるで外側から眺めている様な顔だ。


 考えてみればこの子は大人しく見えて自分が思った事を実行出来る子だ。あの渡辺由美子が見つからなかった時にそれは嫌と言う程思い知らされている。

 その結果自分の存在を躊躇なく消してみせた。二つ目の投稿がされたのは渡辺由美子を発見して搬送している最中で殆ど時間が無かったにも関わらずだ。決断も早いし実行力もかなり優れている。大人でも躊躇する様な事を即座に判断してやってしまったんだから。


 だけど自分の身を守ろうとしなくて何処か危うい。自暴自棄では無いと思うけど自分を諦めたみたいに無価値だと考えている節がある。さっきだって自分は主人公じゃないと言っていたばかりだ。それで僕は真面目な顔になって言った。


「――小夜子ちゃん、もう無茶な事は絶対にしちゃあ駄目だ。君に何かあれば悲しむ人は大勢いる。ご両親だって君が何をしたのか知れば相当悲しむだろう。勿論足立さんや友達だって同じだ。だからそれだけは絶対に忘れないで欲しいんだ」


 何か言いたそうな表情になるけれどそれでも小夜子ちゃんは素直に頷いた。だけど彼女は何を考えているのか分からない事がある。例の約束を破っていきなり投稿してしまった事だってそうだ。頑固な処があるみたいでしちゃ駄目だと言ってもやってしまう事がある。

 それで何とも言えずに黙り込んでしまう。そんな中で彼女は顔を上げて尋ねてきた。


「あの……太一さんも……私が居なくなると寂しいですか?」

「当たり前だろ? 小夜子ちゃんの事でどれだけ心配したと思ってるの?」


 僕は間髪置かずに答える。実際の処は認識出来なくて実感が伴わなかったけれどそれでもこんな女の子がたった一人で背負おうとしていた事を知って肝を冷やしたんだから。真剣な顔で見返す僕を見ると彼女は不意に柔らかく微笑んだ。

「……分かりました。太一さんがずっと一緒だし、私ももう無茶はしません」


 その返事に僕も相好を崩すと今後の事について簡単に相談を始めた。

 僕は仕事があるからそれ程長い時間は無理だったけれど明日は休みだしこれから対策を充分煮詰めていけばいいだろう。取り敢えず被害の状況を言える程度に大雑把に説明したけれど僕が記憶を取り返した原因については詳しくは話さなかった。


 彼女の主観で物事が進むのなら自覚させるのは不味い。こんな偶然に偶然を重ねた上の奇跡みたいな流れを途切れさせる訳には行かないし変に落胆させてしまう訳にもいかない。

 だけど彼女は機嫌良く素直に僕の話を聞いて納得してくれた。


 今思えば僕はこの時、彼女の態度や言葉の意味をもっと深く考えるべきだった。女の子とは年齢に限らず怖い物だと後になって思い知らされる事になったからだ。

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