6−3 神宮小夜子と言う少女
「……あ、あの……お待たせ、しました……」
随分と後になってやっと小夜子ちゃんが戻ってきた。だけど恥ずかしそうで心なしか頬が赤く上気している様に見える。そしてテーブルの前にちょこんと座ると俯いてしまった。
「……や、やあ……」
正面の彼女に僕は何とかそんな返事を返す。けれどそのままお互いに黙り込んでしまう。
朝起きたら中学生とは言え女の子に抱きつかれていた訳で何ともやり辛い。
倉田先輩ならもうちょっと気の利いた事が言えるのかも知れない。だけど残念ながら僕は女の子の扱いに詳しく無い。責めて妹でもいれば同じ様に扱えたんだろうけれど。
それでもそう考えた瞬間、年下の妹や親戚の子をイメージすれば良いと気が付いた。
「そ、その……ちゃんとこっちに戻ってこられて、本当に良かったよ」
何とかそう言うと小夜子ちゃんはキョトンとした顔で首を傾げる。それで僕は自分が言った事がおかしい事に気が付いた。彼女から見ればずっと一緒にいたのであって隔離されていた訳じゃない。それで言葉に詰まっていると察してくれた様で小夜子ちゃんははにかみながら柔らかく笑って頷いてくれた。
「はい……その、太一さん……本当に、有難うございます……」
「あ、いや……気にしないで……?」
困った。言葉のキャッチボールが続かない。この歳の女の子に何をどう言えばいいのか見当もつかない。僕自身女の子を相手にする事が殆ど無かったからこういう場合どう対処すればいいのか分からなかった。考えてみれば学生の頃に刑事を目指してから遊んだ事も殆どない。あの頃は親父が死んで本当に必死にやってきたからそんな余裕も無かった。
だけどこのままじゃ埒が明かない。それで取り敢えず空気を何とかする為に朝食を準備する事を思いついた。朝食をちゃんと摂れば少しは和むかも知れない。それで僕が立ち上がると俯いていた小夜子ちゃんが釣られて顔を上げる。
「ああ、朝ご飯を準備するからさ。ちょっと待っててくれるかな?」
だけど僕がキッチンに向かおうとすると今度は小夜子ちゃんが勢い良く立ち上がる。そのまま僕を追い抜くみたいにして先にキッチンに向かって進んで行った。
「あ! 私が作ります!」
「……え……あ、はい……」
彼女の勢いに気圧されて思わず敬語になってしまう。小夜子ちゃんはそのまま椅子に掛けてあったエプロンを付けると冷蔵庫を開けて中を物色し始めた。普段から料理し慣れているのか僕よりも余程手際が良い。それにさっきと違って楽しそうにも見える。
変にお互い黙り込んでしまっても困るし任せて置いた方が良いだろう。流石に何もせずに座っているだけと言うのも気分が落ち着かない。それで僕は彼女が食事の準備をしてくれる内にソファーに置いてある毛布を片付ける事にした。
*
「――いただきます……おお、凄いね。美味しいよ、これ……」
出来上がった料理に箸を付けて言うと彼女はとても喜んでくれた。今朝はパンじゃ無くてご飯に味噌汁、卵焼きに焼き魚と和風の献立だ。予想していたよりもかなりちゃんと準備されていて驚かされた。とても中学生の子が作った料理だとは思えない出来栄えだ。
「だけど、どうして今日は和風にしたの?」
「あ……太一さん、和食の方がお好きだったみたいですから……」
「……小夜子ちゃん、凄く良く見てるね。うん、僕は和食派なんだよ」
そう言えば小夜子ちゃんは観察眼が飛び抜けて優れている。あの時、渡辺夫妻の件で倒れてから病院で見せた分析能力も相当高かった。逆に言えばだからこそこの子はグリード・ディスクリプションに気付いてしまったのかも知れない。
小夜子ちゃんは僕の方をチラチラと見ながら自分の分に箸を付けている。美味しいと言ったのが余程嬉しかったのか機嫌良く食べている。この年頃の子はまだ可愛らしい物だ。
でも中学生と言う割に彼女は大人びて見える。何と言うか夢や希望だけを見ていない様な印象が強い。何かを諦めている――そう見える所為で大人っぽく見えるのかも知れない。
僕が中学生の頃は勉強ばかりしていた。親父が刑事課に勤めていた事もあって僕は早い段階から将来を決めていた。理系が得意で今の部署に配属された。刑事には成れなかったけど後悔はしていない。ただ、田所さんと一緒に働けない事だけが心苦しかった。
「……太一さん? どうかされましたか?」
不意に声を掛けられて僕は顔を上げた。正面に座った小夜子ちゃんが不安そうな顔で僕の顔をじっと見つめている。普段は一人だからつい考えてしまう癖が付いているんだろう。
「ううん。ただ……小夜子ちゃんは料理も上手いし好いお嫁さんになれるなと思ってた」
「え……な、なれるでしょうか……?」
何気なく言った一言で彼女の表情はくるくると変わる。恥ずかしそうだったり嬉しそうだったりと見ていて微笑ましい。僕に歳の離れた妹がいればこんな感じかも知れない。おずおずと見上げる様に見てくる彼女に僕は皿の上から卵焼きを一切れ取って見せる。
「うん、例えばこの卵焼きも凄く美味しいよ。べたっとして無くてふわっとしてるし」
「それ、一杯混ぜて空気が入るとふんわり仕上がるんです」
「そっか……ならやっぱり、小夜子ちゃんはお料理が得意なお母さんになれるね?」
僕がそう言うと彼女は少しびっくりした様な顔で俯いて自分の作った料理を眺めた。
「……お母さん……私が、お母さんに……そんな事、考えた事もありませんでした……」
しんみりした呟きと表情に僕は声が出せない。そんな彼女の表情を僕は見た事があった。
確か初めて相談されて車の中で泣き出してしまった時だ。それに約束を破って投稿した時も似た表情だった。子供なのに何かを諦めている様な、そんな何とも言い難い表情。
僕は小夜子ちゃんと足立真由の決定的な違いが分かった様な気がした。
足立真由は年相応に子供らしい図々しさがある。と言っても可愛らしい物できっとそう言うのを『無邪気』と言うんだろう。今だけを見ていて先を見ていない。まだ将来を考えていないけれど希望が無い訳でもない。今が大切だからこそ先の事に気が回らない感じだ。
だけど小夜子ちゃんは幼いのに先を見据えている。その上で何かを諦めている様にも見える。無邪気な処もあるけれど時々諦めの感情が見えて歳不相応に大人に見えるのだ。
彼女にはまだ中学生らしく無邪気でいて欲しい。そう思った僕は笑って言った。
「――小夜子ちゃんは可愛いからきっとウェディングドレスも良く似合うだろうね」
「えっ――え、ええっ!?」
「あ、でも綺麗な黒髪だし神前式の文金高島田も似合いそうかな?」
「た、た、太一さん、何を……」
「え? だって結婚式ってお嫁さんが主役だって言うよ? うちの職場は女性職員も多いからそう言う話もよく聞いてる。女の子の将来の夢に『お嫁さん』って多いらしいし」
小夜子ちゃんはみるみる赤くなってモジモジし始めた。さっきまでの大人びた表情から一転して年相応の幼い顔付きへと変わる。それを見て僕はホッとしていた。
「……小夜子ちゃんはそうやって笑ってる方がいいよ。その方が絶対に可愛いと思う」
安心した所為か呟きが自然と漏れてしまう。でもそれを聞いて彼女は突然立ち上がった。
「わ、私っ、後片付けしちゃいますね!」
「あ、料理してくれたんだから今度は僕がやるよ」
「いえ! 私がやりたいんです!」
そう言って空いた食器を重ねて流しに持って行くと彼女はすぐに洗い始めた。その後ろ姿を眺めていると何だか楽しそうにも見える。それで僕も立ち上がるとコーヒーメーカーと少し大きめのマグカップを二つ準備し始めた。
*
彼女が食器を洗い終えてテーブルに戻ってきた頃には丁度珈琲が入った頃だった。自分のマグカップはブラックで彼女の分は牛乳を大目に入れて一緒に砂糖も準備する。
そして食後の一杯を飲んでいると彼女が言い難そうに話を切り出してきた。
「――あの、太一さん……私、まだここに居てもいいでしょうか……?」
「え? うーん……元に戻った訳だし一度家に戻った方が良いと思うんだけど……」
幾らまだ中学生とはいえ女の子が独身の男と一緒に生活するのは流石に不味い。それでなるべくきつい言い方にならない様に答えると小夜子ちゃんの表情が沈み始めた。
「いえ……多分まだ、太一さん以外は誰も私が見えないと……思います」
そう言われて僕は彼女が書いた内容を思い出した。きっと小夜子ちゃんの主観では僕以外は思い出せていない。それに『全員が思い出した』とは思っていないし書いてもいない。
僕自身色々と動いて情報を集めて来たし彼女宛てに投稿している。だから小夜子ちゃんも知っているし何より『物語』の構成として先に提示した伏線、『予告』を違わずに実行しているから破綻も無い。これだけ大規模な異常現象があれだけで解決する筈が無かった。
そして彼女は自分の携帯端末を取り出してテーブルの上に置いた。
「……それにもし思い出していたら……きっともう連絡が来てると思いますから……」
「あ、そうか。携帯電話があるんだし、思い出していたら絶対に連絡して来るか……」
もし娘が居ないと親が気付けば時間を問わず連絡を取ろうとするだろう。それに彼女はいわゆるお嬢様だ。こうして今も連絡が無いと言う事は存在が消えたままだと判断すべきだろう。彼女の事を完全に認識出来るのは今の処僕一人しか居ないと言う事だ。
頭の回転の早さに軽く驚いていると今度は小夜子ちゃんが頬を赤くし始める。
「それに……太一さんは、特別ですから!」
「え……そ、そうかなあ……?」
まるで尊敬する様な妙な期待の籠もった視線がむず痒い。確かに僕は倉田先輩に助けて貰って何とか小夜子ちゃんの名前まで調べたけれど結局思い出せたのは彼女自身がそう誤解したからであって別に僕自身の力でも何でもない。本当に只の幸運、偶然の産物だった。
だけど今回の事が僕にだけ作用したのかどうかは分からない。何より大人としても職業倫理としても社会的にこのままと言うのはかなり問題がある。
「……まあ、一度家や友達に連絡した方が良いと思う。もしかしたら今回の事を切っ掛けに『舞台進行』の力が弱くなってるかも知れないからね」
「……え? 『舞台進行』、ですか?」
「ああごめん。その事もちゃんと説明するよ。だから一度は連絡する様にね?」
「……はい、分かりました……」
僕がそう言うと彼女は少し沈みながらも小さく頷いた。
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