六章 動き出す、日常。

6−1 判明した事実

――神宮かなみや小夜子さよこ、一四歳。


 神宮じんぐうと書いてカナミヤと読む。中等部二年生でクラスはA組で出席番号は八番だ。彼女は電車通学をしていて先日痴漢に会った処を僕が助けた。そして彼女に『グリード・ディスクリプション』を手渡されて僕は調査する事になった。


 彼女は渡辺由美子を救う為に自分からあのサイトへ投稿した。その結果、渡辺由美子は生きたまま無事に保護される事となった。そして彼女自身は周囲への被害が広がる事を避ける為に自分の存在を隠蔽してしまったのだ――。


 これらは全て分かった事実から推測しただけの事だ。彼女自身を僕が認識したのでは無く論理的に解明しただけだ。つまり僕の中にある記憶は全く戻ってはいない。


 現実では『名前が分かった』と言って記憶が全て戻る程ドラマチックじゃない。しかし思考によって導き出された結果については再び認識出来なくなる事は無い。例えば分かった名前について記憶が再び消える事は無かった。こうなってくると倉田先輩が立てた推論通り『フィルタリング』と言うのが正解なのかも知れない。


 推論が正しければ恐らく『グリード・ディスクリプション』とは日本語圏外から投稿された物である筈だ。それも漢字の無い地域。アジアではなく西洋の何処からか。


 そしてこの仕掛けは『物語の特性』と似通っている。物語で設定された事はその時点では効果が出るがその後の展開によってそれを乗り越えたり克服すれば過去にあった状況に戻る事は無い。継続した効果ではなく残っているのはフィルタリングの効果だけ。


 その『特性』に完全に騙されていたと言う訳だ。倉田先輩は技術者らしく持っている知識と技術でこの推論を立てた。僕も同じ知識があったのに『物語』と言う外見に騙された。


 つまり『願いが叶う』と言うのは完全に間違っている事の証明でもある。これがもし純然たる『願い』として叶うのなら今も僕は彼女『神宮小夜子』の名を憶えてはいない筈だ。


 人間はこれまでに生きた経験や環境によって思考し発想する。特に『物語』は突飛な発想から始まっても必ず万人が理解し納得出来る形に収束する。だから身勝手で突飛な解決は出来ない。如何に筋道を立てて論理的に結末に辿り着けるか。その為に誰かに答えを教えて貰うのは『物語』の規則に反する。あくまで切っ掛けを得るだけでそこから主人公となる人間が自分で答えを出す。それは現実に生きる人間が困難を克服する事に似ている。


 そしてオカルトであろうが状況、動機、行動、結果の法則は変わらない。書かれた事をどうやって現実化しているのかは分からないがフローチャート自体はこれで分かった。


 後は彼女、『神宮小夜子』を物語の登場人物から日常に生きる人間に戻すだけだった。




◇◇ 君への手紙 二 ◇◇


 願いなんて物は元々、誰かに祈ったり頼ったりする物じゃない。

 願いは目的を達成する為の動機でしか無い。だから人は願いを叶える為に気力を奮い起こし、立ち上がろうとする。それを人任せにして達成なんて出来る筈がない。

 君自身が勇気を出して、その実現の為に君自身が努力するしか無い。自分の願いは自分だけの物で、その願いの責任は自分が背負うんだから。

 だから僕の願いは、僕自身が背負おう。

 君を元の世界に戻した上で起きているトラブルも解決して見せる。その手始めに僕は君が何処の誰でどういう子なのか、名前を知った。

 理不尽な事に立ち向かう為に理不尽な力を使う必要なんて無い。僕は奇妙な力ではなく、自分自身と周囲の人達の力でそれを達成して見せよう。


◆◆




 あれから僕と倉田先輩は課に戻っていた。倉田先輩はやっていたPCの処理が終わってそのまま作業に突入している。僕は投稿を済ませると倉田先輩の席まで赴いていた。


「――それで、こっちはどうですか?」

「……やっぱ香港のサーバー経由してやがんなあ。どうせ現地スタッフもいるだろうからそっちに金が流れてるだろうしな。ま、そこら辺は刑事課の頑張り次第だろうよ」


 例の刑事課から送られてきた押収品の解析が随分と進んだのだろう。複数端末のストレージをケーブルで直接繋いでデータ吸い出しを行っている。この手の作業は普通に使う部分だけでなくシステム内に記録されているログ・ファイルまで確認する。余り知られていないがユーザーがどんな風に使ったのかまでシステム内に全て記録されている為だ。


 先輩は今もキーボードを叩きながら並行作業を行っている。その上で雑談まで出来るんだから凄い。一体この人はどれだけ出来るんだろうと思いながら僕は苦笑した。


「……そうですか。順調そうで何よりです」

「いや、全然順調じゃない。というか太一くん、さっきのお礼に手伝ってくれない?」

 妙に先輩の腰が低い。それで嫌な予感を覚えつつも僕は控えめに尋ねた。


「別に構いませんけど……何すればいいんですか?」

「ログ解析と紙への印刷。大丈夫、たった七万五千ファイル位しかないから!」

「な、七万五千……」

「大丈夫だって! その内半分以上は一五キロバイト程度のゴミだからよ!」

「は、半分でも四万近くあるじゃないですか!」


 ……結局、その日は二三時手前まで延々と確認作業する羽目になったのだった。

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