5−幕 彼女の名前は
足立真由を自宅の前まで送り届けた後、それまでひょうきんなおじさんを装っていた倉田先輩が突然真面目な顔付きに変わった。
「――さぁて。まぁ、まさかこんな事が本当にあるとはな。驚かされたぜ……」
「あの、先輩? 僕には良く分からないんですが……何か異常がありましたか?」
「……うへ、やっぱマジで気付いてすらいねぇのな……」
そう言うと先輩は黙って車を走らせる。それで僕も何も言わずに黙っていた。
やがて何かを考えていた先輩は静かに話し始めた。
「いきなりヒットだ。考えてみりゃあ一度でも同じクラスにならねえと友達なんてなりにくいしな。同じクラスから始めたのが大正解だった、って訳だ」
そう言うと倉田先輩は道の脇へ車を寄せる。停車した処で持っていた手帳を広げるとそれに目を通しながら独り言を呟く様に話し始める。
「しっかし珍しい名前だな。ジングウって神社かなんかの家系か?」
「ああ、『神宮』と書いて『カナミヤ』って読むんですよ。珍しい苗字でしょう?」
何気なく何処かで聞いた様な事を僕は笑いながら答えた。しかし――
「……へえ、そりゃ珍しい――って、おい、太一、お前……もしかして分かンのか!?」
倉田先輩は驚いた顔になって僕の顔を見つめる。だけどその意味がよく分からない。
「……はい? 何がですか?」
それで先輩は呆けた様に口をあんぐりと開けたままで確認する様に尋ねる。
「えっとな――……今、俺が言った事は理解出来たか?」
しかし助手席から見ていても単に口を開けて言葉に詰まった様にしか見えない。今言った事が理解出来たか……それが何を差して言った事なのかが分からない。
「ええと……神宮を『カナミヤ』と読む事について、ですか?」
そしてしきりに首を傾げる僕から視線を離すと先輩は手帳に何やら書き始めた。その横顔が次第に面白そうに笑みへと変わり始める。
「……フィルタリングが日本語の漢字に対してまともに機能してねえのか。まあ音読訓読ってのは海外の奴からすれば訳分からんらしいしな……成程な、面白いじゃねぇか……」
「あの、先輩? ですから一体何の事を言ってるんです?」
流石に訝しむと僕は再び先輩に尋ねた。だけど先輩は少し考えるとニヤリと笑って言う。
「要するにマッチしねぇ要素や自分で解析した結果ならお前の『認識出来ない』ってフィルタリングの適用外になるって事だよ。インプットに対してフィルタリングを掛けてるだけだからな。内部演算の結果やマッチしねぇ要素は素通りするって訳だな」
「いえ、ですから……何ですか、コンピュータの話ですか?」
「待てよ……って事は最初に記憶領域に干渉してマッチした要素を偽装した可能性も考えられるな。そうすりゃ入力に対してフィルタリングすりゃあ認識出来ねえ事になる……」
しかし尋ねても先輩は僕に答えようとしてくれない。その横顔が仕事している時と同じで瞳だけが爛々と光って見える。難解な状況を解析している時に良く見せる表情だ。
そうしてそろそろ苛立ってきた頃、突然倉田先輩は僕に向かって奇妙な事を言い出した。
「――いいか? 意味は『優しい子』『自立出来る子』って意味だ。百人一首にも出る単語で夜に産まれたからそう名付ける親もいる。一見逆の意味に見える古臭い名前だ」
「……はあ?」
「季節で言えば夏だ。夜が短くて太陽の光が出来るだけ長く差して欲しい、いつも日溜まりの暖かな中に居て欲しいって親の願いが込められている名前でもある」
「あの……先輩、一体何を言ってるんです?」
「いいから。ここまではいいか? ちゃんと理解出来たか?」
「……は、はあ……まあ、分かりましたけど……」
言葉の意味は理解出来るけれど何を意図しているのかが分からない。あのグリード・ディスクリプションの影響が先輩にも出たのかと思わず警戒した。そんな風に僕は訝しんだが次に先輩が言った一言――
「――夜が短いってのは『小さい』って事だ。そんで――純和風の名前って何だ?」
それを聞いてやっと気付いた。素直に名前を教えられても僕はそれを認識出来ない。だから先輩はわざわざ僕に思考させて答えを自分で導き出す様に仕向けようとしていたのだ。
知覚認識出来なくても自分で導き出した答えであれば認識出来るのだから。
それで倉田先輩が言った事を僕は再び頭の中で整理し始めた。
――確か『グリード・ディスクリプション』にも書かれていた。彼女の事を『幼き娘』と呼び、『昏い夜の道を歩く』と形容していた筈だ。そして先輩の言葉と彼女が投稿する時に使っている『Say』と言うハンドルネーム――。
「――
僕が答えた名前を聞くと倉田先輩は勝ち誇った様にニヤリと笑みを浮かべた。
そうか、だからハンドルネームが『Say』だったのか。あれは英語の『Say』、『告げる』と言う意味じゃなくて単にローマ字で書いた頭三文字を取っただけだったのか。
カナミヤ……神宮小夜子――そうか、君は……そう言う名前だったのか。
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