四章 彼女だけの、物語り。

4−1 不思議なやり取り

 彼女『Say』は渡辺由美子の悲惨な結末を回避させた。その為だけに危険を覚悟であのサイトに『不思議な願い事』を投稿した。それは僕以外の誰でも読む事が出来る物だ。


 匿名で投稿している事もあるだろうが誰からも『認識』出来る。つまり本人を特定する必要の無いやり取りは可能だ。だからメールや電話と言った特定の個人と結びつく手段は一切が『願い事』の制約を受ける事になる。


 携帯端末のGPS情報を追跡しても残像を追い掛ける様な物だから意味が無い。何より本体を認識出来ないから発見出来ない。だから現在『執筆者』の権限を持っている彼女と接触する事は不可能に近い。スクリプトを書き加えるならそれなりの権限が必要になる。


 つまり僕が技術者――『ウイザード』としてスクリプトを操作する為には僕自身も彼女と同じく『執筆者』になるしか無い。簡単に言えば投稿して願い事を書くしか無いのだ。


 これ以上あの『グリード・ディスクリプション』による被害者は出させない。彼女が僕の名を呼んで助けを求めたんだから絶対に助ける。それが僕のやるべき事だ。


 問題はどう書けば被害を無くせるかだが迷っている時、携帯端末に新着通知が届いた。




◇◇ 不思議な願い事 三 ◇◇


 これが願いだと言うなら、叶って欲しいけれど、叶って欲しくない。

 望んでいるのに、望んでいないなんて……これは願い事でしょうか? 

 これはそんな、不思議な『願い事』のお話です。


 私の事をもう誰も憶えていないし、気にも掛ける事はありませんでした。人が大勢いるのに、自分はその中に数えられていないのはとても寂しいです。

 けれど……あの人は私に電話を掛けてきました。絶対にありえない事なのに、それでも嬉しく思ってしまったんです。伝えるつもりは無かったのに私は伝えてしまいました。

 もしかしたら私は、誰かがこうして答えてくれる事を望んでいたのかも知れません。けれど私に関わって危ない事をして欲しくないし、思い出して嫌われたくありません。

 私はどうしたら……何を願えばいいんでしょうか。


◆◆




 画面の上には彼女の新しい投稿が表示された。内容に目を通して僕は確信する。


 僕が憶えていない見えなくなってしまった少女。彼女は自分の友人や家族、それに僕を危険から遠ざける為にたった一人で背負おうとした。自分を知る全員から自分と言う人間がいた記憶を消して生きていた世界から自分を消してしまったのだ。恐らく書いた事で出る影響と被害――渡辺夫妻の様な事件が起きる事を恐れて。


 もし足立真由や渡辺由美子と同学年なら中学二年生の筈だ。そんな女の子が全ての不条理を背負い込んでいる。大人で警察である僕すらも守ろうとして。そう思うだけで自分の不甲斐なさと憤り、怒りの感情が湧き上がって来る。

 自分の生きるべき平和な世界から隔離されてたった一人で――でもそう考えた瞬間僕は彼女が置かれている状況と現在について疑問を抱いた。


――ちょっと待て……彼女は今、一体どうやって生活してるんだ!?


 認識する人間――彼女を知る人間は全て彼女を忘れていて見る事も出来ない。当然家族からも『家族』として認識されない。子供がそんな状況でまともに生活出来る筈が無い。


 少し前にも同じ事を考えた事があったがその時は『願い』の力の所為で余り深く考える事が出来なかったのかも知れない。彼女の置かれた状況も『認識』出来ていなかったのだ。


 僕はPCに表示していたデータを一旦保存終了させると自分の携帯端末を取り出した。送る前に内容が分からなくても何とか出来る方法を考えてから彼女にメール送信する。


《――行く処がなければ僕の処へ来い。生活出来る様にする、必要なら生活安全部の情報技術犯罪対策課に来て封筒を受け取れ。判ったら空メールを二度、返信してくれ》


 それですぐ茶封筒を準備すると僕の家までの地図と鍵、そして少し考えた上で一万円札を一枚。メモに『必要な物があればこれで購入して』と書いて放り込んだ。何せ女の子の事だから必要な物も色々あるだろう。僕にはそれを準備する事が出来ない。


 そして後は僕がここに居ると問題だ。僕は彼女を認識出来ないから他の誰かに頼む必要がある。彼女を知らない人間でなければ手渡す以前に来ても全く分からない。それで部屋の中を見回して女性職員の一人で年齢も近い森野さんに頼む事にした。


「――すいません森野さん。ちょっとお願いしても構いませんか?」

 声を掛けると森野さんは事務作業の手を止めて顔を上げる。

「うん? 何、どうしたの太一くん?」

「あの、これから僕は資料室に行かなきゃいけないんです。それで僕を尋ねて中学生位の女の子が来る筈なんですよ。だからもし来たらこの封筒を渡して貰えませんか?」

 そう言うと森野さんは座ったままでじっと伺う様に僕の顔を見上げてきた。

「……え、何? 女子中学生? JC? って何、太一くんは妹とかいないよね?」


 不審と警戒の籠もった声。倉田先輩と仲が良い所為か森野さんの声のトーンが下がる。それで苦笑しながら僕は前もって決めてあった言い訳をそのまま口にした。


「実は親戚の子が上京して来るんですよ。受験の下見らしくて。でも僕、仕事が忙しいままでお正月とか休みでも帰省してなくて。それでお小遣いとか要求されたんですよ」


 実際僕は正月や休暇を貰っても実家に帰る事が殆ど無かった。親戚との付き合いは母さんに全部任せていて親戚と顔を合わせる事自体殆ど無い。それにこの職場はデータ処理が兎に角多くて休む事が余りないから説得力もあったんだろう。森野さんは苦笑して頷いた。

「そっかあ……分かったわ、それじゃ渡しといてあげる」


 それで茶封筒を渡すと僕は準備していた資料とノートパソコンを持って資料室へと向かった。勿論後付けの理由じゃなくて本当に用事があったからだ。それで丁度課を出た辺りで携帯端末が連続して二回震える。どうやら思った通りだ。意味のあるメッセージは駄目だけど『意味を持つ行動』は阻害されない。その結果に満足すると僕は資料室へ向かった。



 資料室で僕は最近発生した事件の確認作業をしていた。サイトのデータは出来る限りプリントしているが流石に全部は無理だ。例の大学生の事件直後、特に一、二話だけの投稿が膨大に増えている。それ以降投稿が一切されていないし明らかに都市伝説目的だ。


 継続して投稿が続いている物は一旦保留にしてそれ以外をピックアップする。しかしそれでも充分量が多い。調べれば調べる程国内だけでも相当数の投稿がされていた。


 恐ろしい事に投稿は日本国内だけに限られていない。数える程ではあるが英語や多国語で書かれた物まで存在している。ネットの恐ろしい処は地域や国単位で範囲が制限されない事だ。もしかするとそれらを投稿した人間も被害にあっているかも知れない。だけど海外での事件に日本警察は動けないし何かあっても不審死や失踪で片付けられている筈だ。


 それに海外からの投稿は内容を調べてみるとどれも歴史的な内容を含んでいる。過去の出来事に対してはきっと現実化する事は無い。何故なら歴史が変われば全てに影響が出るし自分が今生きている歴史が改ざんされた物かどうか確認出来ないからだ。第一それで歴史が変わればこの事件自体無い可能性もある。恐らく『願い』は今後の展開だけで経過した物を変更出来ない。これは事件を調べていくとある程度予想出来る事だった。


 そうやって可能な限り印刷すると僕はダンボール箱に入れて抱えて課に戻った。これを全部これから検証するのかと思うと頭が痛いが仕方ない。関連性を検証する上では画面の中だけだと効率が悪い。そして半ば諦めの心境で戻ると森野さんが笑顔で話し掛けてきた。


「――あ、太一くん? 言ってた子が来たから封筒、渡しといたよ?」

「あ、有難うございます」


 ちゃんと来て受け取ったと聞いて僕はホッと胸を撫で下ろした。もし来ていなかったらどうしようかと思っていたから余計に安心した。だけどふと思いついた事があって僕は森野さんに尋ねてみる事にした。


「それで……取りに来た子、どんな感じでした?」

「ん? なんで?」

「いや、随分会ってませんし。他の人から見てどう映るのかなあと思いまして」

 そう言うと森野さんは首を傾げて考え込み始める。


「ええと……可愛かった、と思う……んだけど……あれ?」

 そしてそれ以上森野さんは答える事が出来なかった。


 残っているのはあくまで印象だけ。それも曖昧で個人を特定出来る記憶が残っていない。

 僕は彼女が長髪である事を携帯端末の写真から見て知っているが森野さんはそれすら憶えていなかった。それに僕が知っているのは『知識』であって経験から来る『認識』とは違う。彼女に関して何も憶えていないと言う事は僕は知人だった筈だ。それでも記憶していると言う事は知覚記憶は残らなくても自分で導き出した答えなら問題無いと言う事だ。


 そして僕自身今でもちゃんと彼女の存在を把握している。と言う事はその都度存在を忘れさせられる訳じゃない証明でもある。状況としては相当厄介だけど全く対処出来ない訳じゃない。最初は存在すら分からなかったのに今では確実に彼女が居ると『知って』いる。


 僕は森野さんに曖昧にお礼を言うと自分の机に戻って行った。

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