3−3 オカルトの仕組み
「――お? 太一お前、昼飯も喰わずに何してんだ?」
部署の部屋に戻って猛烈に書類を探しまくる僕に倉田先輩が声を掛けてきた。
「先輩、先輩は僕がいつからあの『グリード・ディスクリプション』を調べ始めたか知って……憶えてませんか!? 先輩も見てますよね、あの変な予言みたいな文書です!」
机の上に報告書の書類をぶちまけながら僕は倉田先輩に尋ねる。
あの写真はきっと痴漢事件の現場写真だ。対象を中央に映る様に意識している。きっと僕は証拠写真を撮影した筈だ。と言う事は報告書を書いて提出している筈だった。
警察は事件に関する行動を全て記録に残す。誰も憶えていなくてもその時に報告書を書いて提出した筈だ。しかし書類を探す必要は倉田先輩の一言で失くなってしまった。
「――あー、お前が遅刻して来たあン時から、だろ?」
それは僕が憶えてすらいない事で、それを先輩が口にしたからだ。
僕はそれで勢いよく身を乗り出した。問い詰める様に近付くと先輩は身を仰け反らせる。
「……ちょっと待ってください! なんで倉田先輩が憶えて、知ってるんですか!?」
「え、そりゃあ……お前、出勤途中で痴漢を現逮して鉄警隊に引き渡したんだろ? それで連絡してきたじゃん。榊班長に『見習え』つって言われたからな、良く憶えてンぞ?」
それを聞いて僕は目を剥いた。
――まさか、その記憶が無いのは僕だけか!?
昼が終わる前だけど珈琲を飲みながら書類を読んでいる榊班長に僕は顔を向けた。詰め寄る様に近付くと班長は気配に気付いたらしくゆっくりと顔を上げる。
「――うん? どうした、権堂?」
「榊班長。僕が遅刻して来た時、何と報告したか憶えていらっしゃいますか?」
いきなりの僕の質問に班長は訝しげな顔に変わるけどそれでも教えてくれた。
「いや、そりゃあ……痴漢逮捕して、現場で鉄警隊に引き渡し。所轄に連絡を入れて被害者の女の子を病院へ搬送したんだろう? その際にその子の希望でお前が同行して、その時に今やってる案件の情報があったと……私に調査の提案報告をしたじゃないか?」
勿論僕にはそんな憶えなんて無い。いつもと同じくルーチンワークの様に職場に来て作業を続けていた記憶しか残っていないし痴漢を逮捕した事も全く憶えの無い事だった。
それで僕はあの写真の女の子について再び尋ねた。
「……すいません、榊班長……その被害者の女の子って名前は分かりますか?」
「いや? 中学二年生の女の子、としか聞いてないが……」
それを聞いた瞬間頭の中で思考が渦を巻いて形を取り始める。
違う、僕だけ記憶が無いんじゃない。あの写真の少女に関して少女個人を認識していない倉田先輩や榊班長は憶えている。その瞬間『不思議な願い事』が脳裏をよぎった。
――誰も、『彼女』を『認識』出来ない――。
それはつまり僕自身が彼女個人と面識があって認識していたと言う事だ。彼女を個人として知っているからこそ、僕自身が『関係者』だからこそ記憶が改ざんされている。
「……榊班長……有難う、ございました……」
「い、いや……どういたしまして?」
榊班長に頭を下げるとそのまま自分の机に戻った。班長は首を傾げるだけで再び書類に目を通し始める。僕は机の上を片付けながら得られた情報を整理し始めていた。
あの写真に写った長い髪の少女が『Say』だ。あの『不思議な願い事』を書いた本人。それはもう疑いようが無い。そして知っている僕から彼女に関する記憶が欠落している。
逆に個人を認識していない人間――榊班長や倉田先輩はその記憶がある。それはあくまで『女の子』『女子中学生』と言うカテゴリ認識であって個人を特定出来る情報が無い。
こんな不思議で異常なオカルティックな出来事が現実で起きている。こんな異常現象に気付く事が出来たのは本当に偶然だ。でないと僕自身違和感に気付く事は無かっただろう。
そしてその原因は恐らく――あの『グリード・ディスクリプション』だ。
失踪や不審死を遂げた人達が書いた物と比べるとあの文書だけは明らかに視点が違う。
僕はこれまで思想書や禁書と言った類の物でそれを見た人間が影響を受けて事件を引き起こし『現実化』してきたと思い込んでいた。だけどこれはそんな生易しい話じゃない。
実際に自分の身に起きて初めて理解出来た。佐藤雄一――例の大学生も渡辺由美子も書いた事が本当に現実になってしまったのだ。そして恐らく『Say』と言う少女も。
――いや、違う。あの『Say』と言う長髪の少女はこうなると分かって書いた筈だ。
最初に彼女が書いたのは『渡辺由美子が発見されて無事に保護される』と言う内容だった筈だ。渡辺由美子は発見されたあの時点で発熱と酷い脱水症状を起こしていた。もしあれ以上発見が遅れていれば恐らく命を落としていた。共犯や手引ではなく『Say』と言う少女は渡辺由美子を救う為に書いて投稿した。恐らく全ての事情を理解した上で。
だけどそんな『犠牲を犠牲で補う』やり方は被害だけが増えて根本が解決しない。生贄を助ける為に自分が生贄になる様な物だ。あの長髪の少女『Say』だけが被害を受ける。
それに『誰も自分を認識出来ない』『憶えていない』と書いたのは彼女自身だ。しかし何故自分の存在を隠そうとするのかが分からない。もし倉田先輩が言う通り渡辺由美子と同じ女子中学生なら厳しいだろうし警察の僕と知り合いなら頼ってくれても良い筈だ。
良い事をしているつもりならどうして自分の存在を隠蔽しようとするのかが分からない。
考えていると小さなパックを手にサンドイッチを頬張りながら倉田先輩が尋ねてきた。
「……え、何……太一、どうした? えらく怖い顔して?」
「あ、先輩……そうだ、もし仮に何でも出来る万能の力みたいなのがあるとして、それを使える自分を世間から隠そうとする理由って何だと思いますか?」
「えー、そりゃあつまり神様みたいに何でも出来るとしたら、って事か?」
そう言うと倉田先輩は楽しそうな顔に変わった。先輩はこういう荒唐無稽で子供じみた馬鹿げた話でも真面目に考える。技術者なのに発想が柔軟でそれがある意味救いでもある。
先輩は天井を見上げながら真剣な顔になって考え始めた。
「んだな……逆に言やあ力持って表に出てくる奴って基本的に自分を誇示したり自慢して周囲に認められたい奴だろ? ほら、例の自殺した宝くじ高額当選者、いたよな?」
「ええ、僕が今担当してるアレ、ですよね?」
「ありゃあ典型的な浮かれた奴だ。金があるってバラしゃあ嫌でも人が寄ってたかって来るしムシろうとする奴も出る。だから銀行も身内にも『当選を隠せ』って指導してる」
宝くじの高額当選者である自殺した若者は最後には殆ど金銭を持って居なかった。周囲に知られた為に家族関係や人間関係が破綻して精神的に追い詰められた。そうして最後には崖の上から海へ身を躍らせる結果を迎えてしまったのだ。
「大抵は仕事を辞めるなとか家族に教えるなって指導すんのは要するに隠さなきゃトラブルに巻き込まれるからだよ。大抵金遣いが荒くなってバレるんだけど、不思議なモンで自力で稼いだらそう言う事は無いのに運良く手に入れた金はタカられるんだよなあ?」
そう言って倉田先輩は意地が悪そうに笑った。
確かに金銭も結局は『力』で有利になる物だ。そう言う意味では先輩の例えは現実的でとても分かり易い。もし『願い事を叶える手段を持っている』と個人を特定されれば人が殺到するだろうしあれを書いた『Say』もそう言う影響力に危惧を抱いたのかも知れない。
「それじゃあもし、書いた事が現実になるとしたら先輩は何を願いますか?」
何気なく僕が尋ねると先輩は自分の机を眺めた。机の上は相変わらず付箋が山程付いたバインダーや資料が溢れ返っている。それを見て苦笑すると先輩は僕を見て言った。
「そりゃお前、俺なら『被害者が出ません様に』だな?」
「へぇ? そりゃまた……どうしてですか?」
思わず僕は疑わしい目で先輩を見つめた。先輩ならば金や女と言いそうだと思ったのに意外と警察官らしい殊勝な事を答えたからだ。だけど僕のそんな顔を見ると先輩は憤慨した顔付きになって僕を睨んで来た。
「そりゃお前、被害者がいねえなら事件もねえ。つまり作業が無くなる。世間は平和で俺ら警察が暇になりゃあ楽しく過ごして給料だけ貰えるんだぞ? 一石二鳥、最高だろ?」
「……な、成程……そう言う事ですか……」
一見素晴らしく健全に見えても実はその裏に打算的な理由が隠れている可能性も無視出来ないと言う事だ。友人や誰かを守る為に『Say』が姿を隠したと思い込むのは早計かも知れない。兎に角今は解決する為にも僕自身の記憶を何とかするのが最優先だった。
◇◇ グリード・ディスクリプション 四 ◇◇
幼き娘は物語りを読む事がとても好きだった。
それは自分に何もない事を自覚していたからだ。
人は欲望が無ければ生きてはいけない。だから幼き娘は淘汰される側の人間であった筈だった。欲望とは人を生かす糧であり、人を殺す咎だ。
神は言う、『欲望を持つなかれ』。それは即ち、人に『死ね』と言っている。
幼き娘は欲望のままに願い、生きる道を選んだ。
やがて幼き娘にはつがいとなる者が現れるだろう。
斯くして、幼き娘によって新たなる物語りが紡がれる。
望み、願う事によってのみ物語りは進むのだから。
物語りは必ず終焉を迎え、終わらねばならないのだから。
◆◆
翌日――あれから調べているとグリード・ディスクリプションが新しく更新されていた。
不思議な事にサイト上にアクセスした形跡が無いのにページだけが更新されている。端末の通信をオフにしていても保存してあるファイルから最新ページが閲覧出来る。それはもうオカルト『みたい』ではなく完全にオカルトだった。
最新の内容を開いて睨んでいると突然後ろから声を掛けられた。
「――なんか、すっげえ間抜けな事が書いてあんな、これ」
「うわ、びっくりした! って何ですか、先輩……驚かせないで下さいよ……」
それは例によって例の如く倉田先輩だった。いつの間に後ろにやってきたのか僕が見ている携帯端末を肩越しに覗き込んでいる。僕はまだ先輩に自分の記憶が怪しい事を伝えられていない。そしてその原因がこの怪しい文書と関係しているらしい事も。
それで何とも言えず黙っていると先輩は画面の該当箇所を指でなぞって話し始める。
「ここだよ、これ。『物語りは必ず終焉を迎え、終わらねばならない』、ってトコ」
「はぁ……それの何処が間抜けなんですか……?」
「お前、お話なんぞ完結してナンボだろ? オチの無い話なんざ話じゃねえだろ?」
そう言われて何となく納得した。
実際の処、あのサイトに投稿された話はどれも未完が多い。特に最新話以降半年から一年以上続きが投稿されていないのが大半だ。特にその中で事件が判明した物は必ず一、二話程度で勿論未完結のまま。失踪したり死亡するまでの間結構な時間があったにも関わらず続きが投稿されていない。これは元々の目的である『書いた物を人に見せる』と言うのが都市伝説的に広まった『願い事が叶う』にすり替わってしまった為だろう。
そして渡辺由美子も同じく命の危機にあったがこの怪文書によればあの『Say』と言う少女がそれを乗っ取ってしまった。例えるなら主役交代が起きた為に渡辺由美子は脇役へと転じ、彼女の事件は『Say』の導入として扱われたから何もしない限り危険は無い筈だ。
そうして物思いに耽っていると倉田先輩が何やらボソボソと言い始めた。
「んー、そのなんだ。太一、俺のすっごい個人的な感想、言っていいか?」
「はぁ……何ですか?」
「これ書いた奴、ちゃんとオチまである話が読みてぇ、って言ってるだけなんじゃね?」
それで僕は呆気に取られて先輩の顔を凝視した。
「……は? 先輩、何を言ってるんです?」
「だから『個人的な感想』って言っただろ? 根拠なんてねーよ。でもなんか小難しい言い方してるだけで結局『最後までちゃんと見せろ』って言ってる様には見えねーか?」
余りにもくだらない、と言うか日常的過ぎる意見だ。いや、僕らの仕事は本来日常的であってこう言う事件でなければ至極当然だけど。それでも首を傾げて黙った僕に先輩は身振り手振りをしながら説明を始める。
「例えば――俺らみたいな技術者はスクリプトを書くけど完結してねーと動作自体しねぇよな? だから完成してないと未完成、そりゃあ何も無いのと一緒って訳だよ」
「……ああ、まあ……そう言う事になりますね」
スクリプトと言うのは要するにプログラミングの事だ。開発言語の場合記述された順番通りに物事が処理されていく。分かり易く言うとドミノ崩しと同じで隙間が空き過ぎていたりするとそれ以降は倒れない。つまり正常に処理されずに終わってしまう。先輩が言う処の『何も無いのと同じ』とは最後まで崩れないドミノ倒しは評価されないと言う事だ。
「――んで、こういう『お話』って最後まで書かれなくても出だしや途中まで面白けりゃ評価されンじゃん? 推理モノでそれやられると俺は速攻ぶん投げるけどな?」
「はぁ……まあ、それは確かにそうですけど……」
「だからよ――それって要するにデバックモードでテストランさせてる様なモンなんじゃねぇのか? 処理が成立するか実行してみろって感じで。俺にゃそうとしかみえねーよ」
そう言えば……『グリード・ディスクリプション』は一番最初から『物語り』と言う単語を頻繁に使っている。全てを物語になぞらえて書き記されている。英語のディスクリプションは記述や説明と言う意味でネット用語では概要と言う意味だが英単語の成り立ちとしてはDe-Scription――つまり僕達技術者の使う『スクリプト』と語源が同じだ。
投稿された物語を一つのプログラムと見立てて正常に動作するかを確かめる『テストラン』――つまり『現実化』する事で不具合を確認していると考えれば分かり易い。
当然不具合があればそこで『現実化』は強制終了して願いを書いた執筆者本人、つまり主人公は物語が打ち切られた様に単純で悲惨な最期を遂げる。打ち切りに理屈は不要だ。
もしそれがこの事件の本質だとすれば充分対処は可能な筈だ。僕らはその道での専門家であり先輩が言う処の『ホワイトハット』、ウイザードになれる筈なのだから。
「――倉田先輩、貴重なアドバイス助かります。そうか、そんな解釈もあったんだ。その発想は僕にはありませんでしたよ。こんな事件を現実的に考えても意味が無いんだ……」
「えっ? いや……だからあくまで『個人的な感想』であって、別に大した話じゃ……」
「いえ、流石倉田先輩です。僕ももっと先輩みたいに柔軟に考えられないと駄目ですね」
僕が素直に感謝を言うと倉田先輩は少しずつ調子に乗り始める。
「え、あ、そう? まあ……俺は凄いからな! ふはははは!」
結局先輩は自分の仕事をする為に意気揚々と戻っていく途中で女性職員に自慢する様に自分が役に立った事をアピールし始める。当然訳の分からない女性職員達から『キモイ』と散々言われてしょげて自分の椅子に座るのが見えた。
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