三章 歪められた、現実。――太一の章
3−1 釈然としない結末
結論から言えば『渡辺夫妻殺害事件』の犯人は娘の渡辺由美子じゃなかった。
彼女は日常的に父親から虐待を受けていた。それがこの事件に関係している。でも当然彼女自身が両親の殺害を計画したり実行したと言う訳じゃない。
彼女の母親もDV――家庭内暴力の被害者で母親に暴行を加えようとした父親を止めようとした結果、足を滑らせた父親が渡辺由美子が持っていた包丁――テスト勉強の為夜食を作ろうとしていたらしい――に自ら飛び込む形となって絶命。それを目撃した母親は錯乱状態に陥って娘から包丁を奪おうとして自分の胸を刺してしまった。
まるでたちの悪い冗談の様な、そんな死亡理由だったのだ。
彼女――渡辺由美子は日常的に親のストレス発散に使われていた様だった。彼女の全身からは青あざや火傷の跡が数多く見つかった。恐らく煙草の火を押し当てられた物だ。
それも目立たない部位に執拗なまでに。
平和な住宅地を突如襲った悲劇と騒ぎはこうして一応の決着となった。死傷者がいるものの結局は偶然による事故の様な物だ。犯罪として罪に問う事も出来ない。
マスコミにより報道された家庭状況等の理由から世間は渡辺由美子に対して同情的だ。
しかしそんな彼女自身は精神的に過度のストレスに曝された挙げ句、夢遊病患者の様に彷徨った結果で保護されている。メンタルケアが必要で今は入院して検査を受けている。
彼女には両親以外に身寄りも無い為に退院後は施設に入る事になるだろう。唯一救いなのは友人である同級生の足立真由が頻繁に見舞いに訪れている事だ。社会復帰して再び元気になるまでそれ程時間は掛からないんじゃないかと僕は考えている。
そんな本来なら管轄じゃない事件を終えて、僕は再びとあるインターネットサイトに関する情報を収集調査していた。このサイトでは投稿された事が現実になると言う実に馬鹿げた話で、しかしそれが事件として現実に発生していると言う恐るべき事態になっていた。
サイト上からは見えないデータが存在する為に運営者に協力と言う形でサーバー内にある全データを提供して貰っている。流石に胡散臭い理由でサービスを停止させられない。
それにそんな理由で停止させれば警察だっていい笑い者だ。だからこうやって僕みたいな末端構成員がひたすらデータのチェックを続けている訳だ。
そんな中に『グリード・ディスクリプション』と言う記述があった。
あったと言うか正確に言うと僕の携帯端末にあったデータだ。それに手帳に僕の字で書かれた『重要資料』の文字。一体何処で入手したのか憶えて居ないし思い出せなかった。
「――よう、太一。そっちはどんな按配だ?」
手帳に書かれた自分の文字を眺めていると同じ部署で働く倉田先輩が声を掛けてきた。
倉田先輩はいわゆる叩き上げで海外企業で開発をしていた経歴がある。各地を転々とした後に選んだのが警察組織と言う少し変わっているけれど凄い技術者だ。
僕は先輩の方に振り返ると苦笑して答えた。
「先輩……いえ、中々厄介ですね、これは。スクリプトが組んであって投稿されたファイルの場所が変則的で分かり難いですよ。これを組んだ奴を殴り倒したい気分ですね」
僕が軽口を叩いて返すと倉田先輩は苦笑いをして言った。
「まあ許してやれよ。エンジニアなんてそんなモンだ。データベースの方はどうだ?」
「主にユーザー管理ですね。でも仕様変更があったみたいでスパゲッティになってます」
「あーあるある。クライアントの都合で仕様変更。それも依頼する側に知識がねーから滅茶苦茶な事要求されんだよなあ。入れ替わり激しいから基礎組んだ奴いねーだろうしな」
そう言って笑いながらコーヒーの紙コップを片手に倉田先輩は僕が操作するコンピュータの画面を覗き込んだ。そこに表示されている物を見て少し呆れた顔に変わる。
「……何だ太一、お前またこれ見てんの?」
「ええ、まあ……これは続きの分なんですが……」
「けどそんな興味湧くかねえ、これ……『不思議な願い事』、だっけか?」
僕が見ていたのは例のサイトに新しく投稿された物だ。『不思議な願い事』と言うタイトルで作品と言うよりも手記に近い。自問自答する内容はまるで日記みたいだ。だけどその内容が何処か引っ掛かる。例えば――
「――でも変なんですよ、これ。どう見ても書かれているのは渡辺由美子の事で最初に投稿されたのが当日二一時三六分……発見保護した直前に投稿されてるんですよね」
「へぇ……サーバー側の内部時間設定は?」
「タイムサーバーに同期してますからズレは無いみたいですね」
「ふぅん……ま、偶然なんじゃねーの?」
倉田先輩は適当にそう言うけれど僕はとてもそうとは思えない。手元にある携帯端末と手帳を広げて見比べる。そして僕は画面に表示した『不思議な願い事』の二話を眺めた。
◇◇ 不思議な願い事 二 ◇◇
彼女が見つかってからすぐ、私は誰にも見えなくなってしまいました。私の事を知っている人達から忘れられて、誰も私の事を憶えていません。
私に関わってしまうときっと、あの人も大変な目にあってしまうだろうから。それに私は多分、嫌われてしまったから。怒らせてしまったから。
嫌われている事と忘れられてしまう事……どちらがマシなんでしょう。だけど憶えられていて私の事で悲しませるのはもっと嫌。そう考えれば、こうなって一番良かったのかも知れないと思います。もし私に関わればあの『物語り』がどうなるのか分かりません。
人の願い事を歪な形で現実にしてしまう……でも、私は書き続けるしか出来ません。
誰にも憶えられていない、思い出にすらなれないのは寂しいけれど。そんな時は私を助けてくれたあの人の事を思い出します。
あの人が……私の事を褒めてくれたら、嬉しいな。
◆◆
この手記には明らかに渡辺由美子に関する情報が記述されていた。発見された場所まで具体的に書かれている。それに事件のストーリーラインに沿って同時進行している様だ。
それはつまり、第三者が事件に介在していた可能性を示している。
最初に投稿された一話が二一時三六分。そして今見ている二話が二二時一四分。一話の直後に僕達は渡辺由美子を発見保護、その後二話が投稿された直前に病院へ搬送している。
これを書いた人間はもしかしたら渡辺由美子や僕達をずっと見ていたのかも知れない。この事は勿論報告したけれど事件は解決している為に上に受け入れられる事は無かった。
「――一番の問題はこの『グリード・ディスクリプション』のオリジナルが何処にあるのか分からない事です。続きのページがリンクされているのに場所が表示されない。回収した全ファイルを検索してもヒットしません。ですからもう手動で探すしかありませんね」
僕がそう言うと倉田先輩は心底嫌そうな顔に変わった。
実際この『グリード・ディスクリプション』には例の大学生、佐藤雄一の事件について記述されている。その自殺の理由についても詳細に触れられていた。内容も残されていた遺書と一致している上に不明な部分にまで言及している。
だが大学生が残した遺書は一般公開されていない。それを無関係と言うには余りにも乱暴過ぎる。あの謎の文章を書いた人物は全ての事情を知った上でわざと曖昧な書き方をして誤魔化している様にも見える。それに投稿されたのも四年前とあからさまに怪し過ぎた。
「……俺ァこれ、やりたくねぇなぁ……三百万ファイルを手作業かよ……」
「仕方ありませんよ。これが僕らの仕事です。陽の目を見る事は無いでしょうけどね」
画面に表示されたファイル数を見て倉田先輩は嫌そうだ。元々僕らの部署はこういう地味な作業が多い。世間で騒がれるコンピュータ犯罪と違って地道で根気のいる作業だ。
そんな仕事を倉田先輩はどうして選んだのかふと疑問に思って僕は尋ねてみた。
「――倉田先輩はどうしてうちの部署を選んだんですか?」
「ん? 俺か? なんだ、いきなりどうした?」
「だって地味で大変じゃないですか。ネット犯罪と言っても実際は延々作業ですし……」
「例えばコンピュータの世界だと俺ら技術者は魔法使いになんだよ。誰も知らない呪文を使って誰も予想出来ない事をする。ソースコードは魔導書みたいなモンだ。最近注目されるAIだって結局技術者が作る仮想知性体だ。そう考えたら魔法使いそのものだろ?」
「……はあ……魔法使い、ですか……?」
「海外じゃ悪いハッカーを『黒い帽子』って意味でブラックハット、正義のハッカーをホワイトハットって言うんだよ。不思議な言葉を操るウイザードってな? 日本じゃ技術者は扱いが低いが世界じゃ尊敬される。警察なら正義の公務員で給料も安定するしな?」
そう言って先輩はニヤリと笑う。僕はただ曖昧に笑うしか無かった。
警察組織が正義だと言うのは幼稚に聞こえるけどシンプルで強い。実際その部署で倉田先輩はトップクラスの技術と知識で活躍している。子供じみた目標はバカにされ易いけれどきっと子供の頃に本当に思った事が大人になった後でも一番強い動機になるんだろう。
そんな事を思いながら僕は再び件の『不思議な願い事』を眺めた。兎も角これは他の投稿作と比べても特に異質だ。明らかにグリード・ディスクリプションを意識している。
それに何だか良く分からないけど胸の奥でモヤモヤとした何かが渦巻いている。それが一体何なのか分からず考えていると再び倉田先輩が画面を覗き込みながら呟いた。
「……けどこれ、書いた『Say』、発言者って意味か? それにこいつはきっと学生だな。それも女じゃねえかなあ……」
「え? 先輩、なんでそう思うんです?」
「だってよ、最初の方で渡辺由美子を『彼女』って言ってるし学校の礼拝堂なんて物まで知ってる。あの学校確か女子校だろ? それに二つ目なんて青臭い恋バナっぽいし年上の野郎に憧れてる風に見えるんだよ。だから渡辺って子の同級生とか同い年じゃねえか?」
「じゃあ……渡辺由美子の協力者か共犯者があの学校にいる、と?」
僕が真剣な顔で尋ねると倉田先輩はキョトンとした顔になって軽い調子で笑う。
「そりゃもう終わった事件だぞ? 上がそう決めたんだから掘り返す意味がねぇよ」
「まぁ……そうなんですけど……」
「被害者がそれで救われるならまだしも、もうどう転んでもあの渡辺って子は今よりマシにゃならねえよ。頭切り替えて頑張れや。こっちの件が終わりゃ手伝ってやるからよ?」
どうやら納得していない事が顔に出ていたらしい。倉田先輩は僕の肩をポンと叩いて自分の作業を再び始める為に背中を向ける。
「――ええ。取り敢えず今は文書の関連をまとめる事から進めていきます」
「おう。全く匿名で偽情報登録だなんて、やる事が昔と変わってねえからな」
立ち止まって僕の答えに満足そうに笑うと倉田先輩は自分の席へ戻って行った。
例の大学生の事件に『不思議な願い事』、そして『グリード・ディスクリプション』。
他にも判明した二三件の失踪事件と死亡者リスト。そして彼らの投稿した内容。宝くじの高額当選者は当選前に投稿していてやはり既に自殺している。
これらの情報を線で結びつけて関連性を検証していくしかない。投稿すればそれが現実になるだなんてあり得ない。きっとそのメカニズムが何処かに隠されている筈だ。
結局僕はいつもの仕事と並行しながらこの調査解析作業を進める他に手が無かった。
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