2−幕 作られた結末
警察の車はこれで二回目です。運転席には怖い原田さん、助手席には田所さん。後部席には私と太一さんがそれぞれ座っています。まさか二日連続で警察の車に乗る事になるだなんて思いもしませんでした。
真由さんに教えて貰ったのは二箇所だけ。学校の近くにある中央公園の遊具の下と近くにある河川敷の橋の下です。昔初等部の頃に野良猫を拾って二人で行ったそうです。
そして暗い道を走る静かな車の中で不意に太一さんが小さな声で話し掛けてきました。
「――小夜子ちゃん。実は教えて貰ったページ、『グリード・ディスクリプション』だけが見つからないんだ。どうやら削除されてしまったらしい」
「……え? え、でも……」
私はすぐに携帯電話を取り出して画面を表示しました。そこには今も変わらずあの『グリード・ディスクリプション』のテキストが表示されています。
「あの……私、まだ見れますけど……?」
「……えっ? え、なんで!?」
驚いた顔で太一さんは私に顔を近付けると画面を覗き込んできます。
それでドキッとしながら私は思い出して何とか答えました。
「……そう言えば私、これってページを保存してるんでした……」
「な、なんで保存してるの!? いや、助かるけど!」
「だって……ネットは繋がらないと読めませんし、毎回電話代も掛かっちゃうから……」
「……そっか。小夜子ちゃんはお話が好きなんだね。ごめん、送って貰って良いかな?」
私は登録してあった太一さんのメールアドレスを開くと保存していたページを添付してすぐに送信しました。送信ボタンを押した瞬間太一さんの胸元から着信音が鳴ります。
そう言えば太一さん、名刺の連絡先は警察じゃなくて自分自身の物だって言ってた気がします。それで少し嬉しくなって顔を見ていると太一さんは驚いた顔に変わりました。
「……なんだこれ、リンクから続きが読める……サーバーに接続してない筈なのに!?」
それが一体何の事なのか私には全然分かりません。だけど太一さんは驚きながら手帳を取り出すとあの時みたいに真剣な顔になってメモを始めました。あの時は怖いと思いましたけどこうして見ると真剣な顔はとても格好良く見えます。それに私が何かの役に立てているのなら凄く嬉しいです。
「……これは一度、運営者に問い合わせてサーバー上の全データを回収だな……」
そうしてあの予言みたいなお話を読み進める内に不意に太一さんの表情が険しく変わりました。いきなり携帯電話の画面から視線を上げると私の顔をじっと見つめます。
自分の頬が熱くなって来るのを感じます。薄暗い車の中ですから顔が赤くなっても分からない筈です。だけど恥ずかしくて顔を上げている事が出来ません。
そうしてモジモジしていると太一さんは真剣な顔になって私に言いました。
「――小夜子ちゃん。君は絶対に投稿しちゃ駄目だ。例えどんな事があってもこのサイトに投稿しちゃいけない。何が原因かは分からないけど、それだけは守ってくれ」
「……え、あ、はい……太一さんが、そう言うのなら……」
「よし。絶対に約束だからね? グリード・ディスクリプションも読んじゃ駄目だよ?」
「……はい、分かりました」
私が答えるのを聞いて太一さんは再び携帯電話の画面に視線を落としました。
こんな事件になっているのに何かをするだなんて出来る筈がありません。私は普通の何も出来ない子供だと自覚してますしあんな話を聞いて投稿なんて怖くて絶対に無理です。
だけどそれでもこんな風に私の事を心配してくれて気に掛けてくれるのならちょっぴり嬉しい気もしてきます。こわごわと顔を上げると太一さんは真剣な顔のままです。
もっと太一さんの役に立てたらいいのに。そうすればもっとずっと傍に居られるのに。
真由さんに教えて貰った場所以外でも大勢の人達が渡辺さんを探しています。警察同士で連絡を取り合っていて都内の公園や他の橋の下も捜索しているそうです。けれどそれでも連絡が無いと言う事はまだ見つかっていないと言う事でした。
教えて貰った場所のどちらにも渡辺さんの姿は見つかりませんでした。今朝登録したアプリを使って真由さんから追加で情報が送られてきます。地図の上にピンのマークが表示されているのはとても小さな神社。祠と言っても良い位に小さな場所でした。
『――野良猫が死んじゃって由美子と二人で埋めたところ』
そんな簡単なメッセージが書き添えられています。
どうやら真由さんは今、病院から出て家に帰る電車に乗っているみたいです。警察の人が送ってくれると言っていたのにわざわざ電車で歩いて帰っているのは道すがら思い出そうとしているからなのかも。だけどこうして居場所が分かって安心出来るだなんて。
そうしている内に私達は小さな神社に到着しました。けれどやっぱりそこにも渡辺さんらしい姿は見当たりません。完全に無人で誰一人いませんでした。
「くそ、小夜子ちゃん……他に何処か、心当たりとか無いかな?」
「……ごめんなさい。私、渡辺さんとは全然話した事もないから……」
私が俯いて言い難そうに答えると太一さんは黙り込んでしまいました。
人間が飲まず喰わずでいられるのは七二時間が限界だそうです。渡辺さんが行方不明になったのが一昨日の深夜。〇時から計算するともう四六時間が過ぎています。残りは二六時間で後一日と少し位しか時間が残されていません。
もし渡辺さんがご両親の死に関わっているとしたら精神的に大きなショックを受けている可能性も高いそうです。ですから幾ら時間があっても安心は出来ません。兎に角早く保護しないと精神的に追い詰められて発作的に自殺する事もあり得る、と言う事でした。
だけど全然見つからず見つかった報告も来ていません。車内では重い空気が流れ始めます。
そんな中で助手席の田所さんが静かに優しい声で声を掛けてきました。
「――こうなるともう、嬢ちゃんを連れ回す意味はねぇな。家……いや、元の病院まで送った方がいいか。一度倒れてるし家の人にも連絡した方が良さそうだが、どうする?」
そう言われて私は手の中の携帯端末の画面を見つめました。もう二一時〇七分。結局私は何の役にも立てませんでした。真由さんに何と言えば良いのか分かりません。
そうして沈む私を慰める様に田所さんは前を向いたまま口を開きました。
「……書いた事が現実になる、だなんてある筈がねえ。そんな事で簡単に願い事が叶うってんなら警察は要らん。犯人が見つかって欲しい、逮捕されて欲しい――そう書けば済むしそもそも『事件が無い』と書けば良いが、そんな事を書く奴なんていねぇのが現実だ」
「……はい……」
「けどな? 嬢ちゃんは頑張ったし良く手伝ってくれた。友達の為にこうして頑張れる奴はそうは居ねえよ。だからその……悪かったな。疑ったみたいに怒鳴ったりしてよ?」
申し訳無さそうな田所さんの声。怖い人だと思っていたのでとても意外でした。
けれど私は携帯電話を見ながら唇を噛んでいました。確かに田所さんの言う通りだと思うから。私は只の中学生で物語の主人公どころか登場人物ですらありません。何かが出来る人間じゃなくてきっと願ったり祈ったりしか出来ないつまらない人間だと思うから。
それでも私の事を『友達だ』と言って暮れた真由さんや気に掛けて心配までしてくれる太一さんが悲しんだり困ったりするのは見ていられません。
何も出来ない私に出来るのはやっぱり、願ったり祈ったりする事だけだから。
私は携帯電話のメモを立ち上げました。罫線の上で点滅するカーソルが見えます。
あのサイトに投稿されたのはきっと『こうなって欲しい』と言う事ばかりでその後にどうやって幸せになるのか結論が描かれていない物が殆どでした。きっとそれは都市伝説を信じて書かれた物だからでしょう。勿論その続きなんて描かれる事はありません。
だって人が望むのは切っ掛けになる特別な奇跡だけで後は消費する楽しさだけを求めている筈だから。手に入れた物をどう使おうと自分の勝手だと人間は思っている筈だから。
私はメモの上に文字を書き始めました。それはとても短くて簡単な内容でした。
◇◇ 不思議な願い事 ◇◇
願い事。欲望。野望。望み……色々な呼び方はあるけれどどれも同じ。
じゃあそんな『願い事』は一体誰が叶えてくれるんでしょうか。
それは『神様』に決まっています。けれど、それは本当なんでしょうか?
在る処に一人の女の子がいました。彼女はとても辛い境遇にあって『願い事なんて叶わない』と思っていたけれどそれでもやっぱり『願い事』を持っていました。
人はきっと幸せになりたいから願い、望むのでしょう。
女の子――彼女は学校の礼拝堂で疲れ果てて眠っていました。
怖くて、いろんな物から逃げ出したくて。
けれど彼女は無事に見つかって保護されました。
これは、『願い事』にまつわる不思議なお話です。
◆◆
文章を書き終えてから投稿欄にコピー・ペーストしました。作者名は小夜子のローマ字から頭三文字だけを取って『Say』。後は『投稿する』ボタンを押せば終わります。
だけど押そうとすると怖くて仕方ありません。ここに投稿した人は皆行方不明になったり命を落としていますし、それは渡辺さんも同じです。でもそれで太一さんや真由さんが喜んでくれるなら。私に幸せをくれた人達に返せる方法が他に思いつきません。
私は震える指で画面に表示された『投稿する』ボタンを押しました。画面に投稿完了のメッセージが出ると震える手で携帯電話を掌に挟むと目を閉じて胸に抱きました。
「……私の、学校に……」
「――うん? なんだ、どうした?」
私が小さく震える声で呟くと怪訝な顔をした田所さんが振り返って尋ねます。それで私は必死に目を瞑ったまま答えました。
「……学校の礼拝堂に……行って下さい……そこに、渡辺さんがいる筈です……」
助手席から身を乗り出して振り返ったまま田所さんは私を無言で見つめます。その訝しげな表情が驚きに変わると運転席の原田さんに向かって怒鳴り声を上げました。
「――原田ッ、学校だッ! 嬢ちゃんの学校、急げ!」
「う、ウッス、了解ッス!」
そう言うと車の上で赤色灯が回転を始めてサイレンが周囲に鳴り響きます。
無線のマイクに向かって怒鳴っている田所さん。車の無線機からは人の声がひっきりなしに流れ始めます。そんな中で太一さんだけは口を開けて震える私を見つめていました。
やがて私の手に握られている物――携帯電話に気付いた途端、太一さんは私から無理やり取って画面を見ました。そこに表示されている物を見て呻く様な声をあげます。
「……なんで……どうして!」
太一さんは喘ぐ様に呟くと片手で目元を覆って項垂れてしまいました。私も何も言えず黙って俯いていると怒った様子の太一さんが問い詰める様に尋ねてきます。
「……連れて来るんじゃ無かった……いや、でも……くそっ、どうしてだ!? 小夜子ちゃん、君は……何故約束を破った!? こんな犠牲を犠牲で補うみたいなやり方は……」
「……だって、早くしないと……渡辺さん、死んじゃうかも知れないんでしょう……?」
「君はバカか!? それを背負うのは僕ら大人だ! くそッ、どうすればいいんだ……」
それっきり太一さんは黙り込んでしまいました。私は……怖いよりも、太一さんを怒らせてしまった事が悲しくて俯いていました。
そして――その日の夜、二一時四八分。渡辺由美子さんは学校の礼拝堂の中で眠っている処を警察が発見、保護しました。きっと空腹と疲労の所為でしょう。彼女は気を失う様に眠っていました。そしてその服は赤黒く……多分ご両親の血で、染まっていました。
◇◇ グリード・ディスクリプション 三 ◇◇
少女は迫害を受ける身であった。そしてそれから逃れる事のみを願った。
彼女の望みは己を追い詰める理不尽の消滅、存在の否定。その願いは速やかに叶えられ、少女は物語りの語り手となった。そして少女の望み通り両親はこの世から永遠に失われた。
誰がそれを行ったのか。そんな事は決まっている。理不尽な出来事は理不尽を望んだ者自身によって引き起こされるのだから。理不尽は理不尽を呼び、理不尽によって理不尽に奪われる。それがこの世の摂理であり決まり事である。
そして少女は先の者と同じく語る事を辞めた。
物語りを語らぬ語り手なぞ存在する価値すらない。しかし少女の元に停滞による停止は訪れる事は無かった。なぜなら少女の物語りを簒奪する者が現れたからだ。
その者は無知蒙昧たる幼き娘。
昏き夜の道を歩むが如く幼き娘は少女から物語りを簒奪した。
潰える筈であった少女から語り手の権利を奪った者。
幼き娘は何を願い、望み、欲し、そして語るのか。
どのような結末を迎えるのか。
かつてない、新たなる『グリード・ディスクリプション』を始めよう。
願いとは、欲望を叶える為の物語り。
望み、得て、何を成し遂げるかまでの物語り。
愚かしき幼き娘が何を求め、望み、得るのか。
その経緯の物語り。
さあ、幼き娘の物語りを始めよう。
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