2−8 『物語』の仕組み

 しばらくして太一さんが病室に入ってくると開口一番に田所さんが尋ねました。


「太一。いや、権堂警部補。お前、このお嬢さんとどういう関係だ?」

「田所さん。カナミヤさん――小夜子さんは僕が担当する事件の情報提供者です」

「じょ、情報提供ってお前……まだ中学生の女の子だろうが……」


 太一さんの落ち着いた言葉に田所さんはがっくりと項垂れます。と言うか私もまさか情報提供者だなんて言われると思っていなくて驚いて太一さんの顔を見つめました。でも太一さんは私をチラッと見て笑い掛けると再び田所さんの方を向いて話し始めます。


「刑事部にも話が行ってる筈です。彼女はとても有効な情報を伝えてくれました」

「……は、はあ?」

「ですから例の大規模な失踪死傷者多発事件です。その関連サイトに関して彼女は警察も把握出来ていなかった重要情報を提供してくれました。情報技術犯罪対策課にて現在、小夜子さんの提供情報を元に調査解析を行っている真っ最中です。例の『ユミル』ですよ」


 だけど太一さんの言った『ユミル』の名を聞いた途端田所さんは呻き声を上げます。

「……佐藤雄一……例の大学生の、アレか!?」

 そしてそれだけ呟くと額を手で押さえたまま俯いてしまいました。


 佐藤雄一――確かそれは自殺した大学生の名前です。あのサイトで物語を投稿していて、軟禁された女の子の遺体が消えたと言うあの事件。まさかそんな風に繋がっているだなんて思っていなくて私はとても驚きました。

 何よりも私が『情報提供者』になっていただなんて。

 ぼんやりと太一さんを眺めていると私の後ろで隠れていた真由さんが私の肩を揺すり始めます。それで振り返ると彼女は驚いた顔で小さく感嘆の声を上げました。


「……か、かっこいい……」

「……はい、そうですね……」

 私は頷くと太一さんを見つめました。太一さんを格好良いと思われるのは複雑ですけど私もそう思います。こんな風にまた助けて貰えるだなんて思ってませんでしたし。

 だけど真由さんは首を横に振ってキラキラした目で私を見つめながら言いました。


「……小夜ちゃん、凄い格好良い……そんな事してたなんて、凄すぎるよ……」

「え? あの……はい?」


 どうやら真由さんは太一さんが言った『情報提供者』と言う話を鵜呑みにしてしまったみたいでした。確かに太一さんの言い方だと私がまるで重要人物みたいに聞こえます。

 だけど居心地が悪いと言うか。私も知らなかったですし単に電車で痴漢にあって助けて貰った後に相談に乗って貰っただけです。その上私は昨日、車の中で泣いてしまいました。

 とてもじゃありませんが恥ずかしくて、そんな事を説明する勇気もありません。


 曖昧に微妙な顔で苦笑していると太一さんがじっと私を見て声を掛けてきました。

「それで……小夜子ちゃん。あのサイト、見ちゃったんだね?」

「……はい。その……ごめんなさい……」

 真剣な顔で尋ねられて私は俯いてしまいました。約束を破ってしまって叱られると思って沈んでいると太一さんは私の頭に手を乗せてホッとした溜息をつきます。


「……本当に無事で良かった。極秘調査中だからちゃんと説明出来なかったんだ。こんな事になるならちゃんと上に許可を取って話しておくべきだった。本当にごめんね」


 けれど私は俯いたまま黙って首を横に振るしか出来ませんでした。だってあの時、車の中で言われた事は私を守る為だと知ってしまったから。嬉しくて泣いてしまいそうです。


 それにこんな風に誰かが私の事を心配してくれるなんて思ってませんでした。きっと私が電話を掛けてすぐに来てくれたんでしょう。私は倒れちゃってましたけどそれが本当に嬉しくて。それに拗ねていた自分が情けなくて太一さんに申し訳なくて。こんな事が現実にあるだなんて。まるで物語の登場人物になったみたいな気分でした。

 太一さんは私が泣き止むまで優しく頭を撫でてくれました。それでやっと顔を上げると田所さんが呆れたような、少し怒った様な顔で私と太一さんを睨んでいます。


「……それで? どうして渡辺夫妻が死んでいると分かったんだ?」

 それで私は真由さんに自分の携帯電話が何処にあるかを尋ねて渡して貰いました。そこで画面を操作してあの『叶わない願い事』と言う投稿を表示します。


「――これがネットで投稿されてたんです。多分これ、渡辺さんが書いて投稿したんだと思います。ですからきっとご両親が亡くなったんじゃないかと思いました」

 そう言って太一さんに携帯電話を手渡すと隣で田所さんが忌々しそうな顔になりました。


「……携帯電話でインターネットが出来るとか、もう俺にゃさっぱり分からねえな……」

「ですから田所さん、僕らみたいな専門チームが必要なんですよ――って、これか」


 そして中身を読み始めると太一さんの表情が険しく変わって行きます。その肩越しに眺めていた田所さんの顔もどんどん怖くなっていきました。そうして太一さんが深く溜息を吐き出すと田所さんは語気を荒くしながら驚いた声をあげます。


「――オメェ、こりゃあ……見方によっちゃあ犯行予告じゃねえか!? おい原田、ガイシャ二人、渡辺夫妻の死亡推定時刻はいつだ!?」

「ウッス、ええと……一昨日前の深夜から早朝に掛けて、ですね」

「これを書いたのが二時五二分……朝の三時前、ドンピシャじゃねえか!」

「って事は田所さん、ナガシじゃ無いって事ッスか!? まさか、中坊の娘が!?」


 刑事さん二人は興奮した様に話し合っています。まるで渡辺さんが犯人であるかの様に話が流れそうになった時、それまで黙っていた太一さんが首を横に振って遮りました。


「二人共、それは早計です。こんな物は感受性豊かな女の子が書いたポエムみたいな物ですよ。これを渡辺由美子が書いたとしても、それが親を殺す動機にはなりませんよ」

「いや太一、これを見てそう言う訳にゃいかんだろう!? 現に渡辺由美子は失踪して姿を眩ましてる。まだ見つかっちゃいない。虐待されてたんなら復讐だって考えるだろ!?」

 興奮して怒鳴る田所さん。でも太一さんは首を横に振りながら静かな声で答えました。


「……いえ、この一連の事件はそこが問題じゃないんです。余りにも非常識で異常過ぎて、だから思い込みで分かった気になると大変な事になります……あの大学生の様にね?」

「……くそッ……」

 それを聞いて田所さんは苦い顔で口元を歪めると黙り込んでしまいました。


 後で聞いた話ですがあの自殺した大学生は加害者ではなくて事件に巻き込まれた被害者である可能性があったそうです。その為に警察の中で調べていた人達がいたけれど結局自殺してしまって迷宮入りになると言う事でした。田所さんもそれを知っていたんでしょう。


 微妙な空気の中で無言のまま太一さんは私の携帯電話を返してくれました。そして重い沈黙が漂う中、太一さんは私に話し始めました。


「――こうなった以上君達にも話しておくよ。このサイトに投稿した人、特に『宝くじが当たる』みたいな欲望を書いて続きを投稿しなかった人は皆失踪したり不慮の事故で命を落としたり……自殺してる。追跡調査しても二〇人位しか身元が分かっていないんだよ」

「……え、二〇人も……ですか?」

「でもそれは身元を特定出来た人だけで実際はもっといるかも知れない。匿名と虚偽登録が多すぎて身元の確認や調査が難航してる。僕が話したのは二人がもうこの事件に関わっているからだ。だから小夜子ちゃんも足立さんも絶対にあのサイトに関わっちゃ駄目だ」


 それはまるで冗談みたいな事件が現実で起きていると言う話でした。

 書いた事が現実になる――そんな都市伝説が実際に起きていて、それも必ず不幸な結末を迎えていると言うのです。それを聞いて楽しんで見る事なんてもう出来ません。

 けれどそれを聞いていた真由さんが真っ青になって小さく呟きました。


「そんな……それじゃあ、由美子も……死んじゃうの……?」

 そんな呆然とした声に太一さんも田所さんも何も言おうとはしませんでした。

 だけど私は少し考えると励ます様に答えます。


「――真由さん、多分まだ渡辺さんは……生きていると思います」

「……えっ? 小夜ちゃん、どういう事?」


 私が携帯電話で画面を見ながら言うと真由さんは泣きそうな顔を上げました。同じ様に太一さんと田所さんが私の顔をじっと見て絶句しています。

 もしかして私、また何か言っちゃ駄目な事を言っちゃったんでしょうか――そう思って居心地悪く首を竦めていると太一さんと田所さんが驚いた様子で尋ねてきました。


「小夜子ちゃん……どうしてそんな事が分かるの?」

「そうだ、嬢ちゃんがそう思う理由は、根拠は何だ?」

「だって……渡辺さんは『自分が消えたい』だなんて書いてません。両親を消して欲しいって書いてるだけです。きっと自分が死ぬ事は考えてないと思うんです、けど……?」


 そう言いながら私は携帯電話の画面を指差しました。

 もし渡辺さんがこれを書いたのなら慰めたり面倒見が良い友達は真由さんです。二人は初等部の頃から仲が良くてこうして真由さんもとても心配してます。それに何より――


「――もし私がお話を書いたとして『これで主人公が死にました』だと物語じゃなくて只の事件です。突拍子が無さ過ぎますし実際に書かれている感想だって訳が分からないとかそう言うのが多いです。もしかしたらこの後で主人公は幸せになれるかも――」


 そこまで言い掛けた処で私はハッと思い出しました。

 そう、これは『物語』。あの感想コメントでも書かれていた事です。このサイトに投稿すれば本当になると言う『都市伝説』。そしてあの『グリード・ディスクリプション』にはっきりと書かれている事でした。


 物語は結末まで描かれるから幸福や不幸が訪れる。けれどそれが描かれないからそれは現実にならなくて帳尻を合わせる様に幸運になった分不幸になったんじゃ無いでしょうか。

 渡辺さんは『おまじない』としか考えていない筈ですから続きを書く事は考えられません。語り手が語り手でなくなったからあの大学生は自殺してしまったのですから。


 グリード・ディスクリプション。『欲望』の達成方法が書かれた物。だけど続きが描かれなければそれ以上進みません。打ち切りと同じでどうなるかなんて誰も分かりません。


「――そうか。物語として書かれているから、なぞらえて進む、って事なのか……」

 太一さんがやっと理解出来たと言う風に愕然と呟きます。

「はい。だけど続きが無いと事情も説明されません。グリード・ディスクリプションにも確かそう書かれてました。もしかしたらそれで『謎の残る終わり方』をするのかも……」

「そうか……そんな解釈も出来るのか。確かに辻褄は合ってる……」

 太一さんは感心した顔になると再び腕を組んで何やら考え始めます。だけどその横から今度は訳が分からない様子で田所さんが大声を上げました。


「さっぱり訳が分からん! 要するに渡辺由美子を発見、保護せにゃならん事だけは全く変わらんと言う事だろう!? それでお前ら、友達なら行き先とか思いつかんのか!?」

 でもその途端、不安そうだった真由さんが顔を上げました。


「わ、私も一緒に由美子、探します! すぐは思い出せないけど、何か分かるかも……」

 それで田所さんはすぐに原田さんに大きな声で指示を出し始めました。

「よーし原田、玄関に車回せ! 嬢ちゃんは家にこれから警察が送ってくれるって連絡しとけ! そのついでに教えて貰う! やっぱ捜査は足でせにゃあ意味がねえ!」

「は、はい!」

「ウッス、了解しま――」

 そして田所さんは原田さんと一緒に扉を出ていこうとしました。真由さんも慌てて置いてあったカバンに手を伸ばした時、私は大きな声で止めたのです。


「――それは絶対に駄目です!」

「――それはやっちゃ駄目だ!」


 同時に太一さんも血相を変えて怒鳴りました。その途端に真由さんの動きが止まります。

 扉の前では田所さん達が驚いた顔で振り返ったまま凍りついています。私もまさか太一さんが同じ事を言うとは思っていなくてじっと見つめました。太一さんは全員の視線を受けながら真由さんを見るとはっきりと言います。


「――いいですか。もし小夜子ちゃんの言う通りだとしたら……足立さん、君は渡辺さんの書いた『物語』に既に登場している。下手にこれ以上関われば完全に事件に巻き込まれる可能性がかなり高い。だから君はもう、これ以上絶対に関わっちゃいけない」

「え……そ、そんな……私、友達なのに……」

 それで絶望した顔の真由さんが今度は縋り付く様に私を見ます。太一さんからも見つめられて私は頷くと彼女に向かって言いました。


「……渡辺さんは『自殺しない』とは書いてません。顔を合わせたり慰められる位なら消えた方がいいって書いてます。なら真由さんが会えば、その場で自殺しちゃうかも……」

 そう言うと真由さんは顔を真っ青にしてしょげてしまいました。


 でももし本当に『投稿した事が現実』になってしまってそれが『物語』として扱われるのなら事態はもっと深刻です。書かれた事が伏線になって真由さんが会おうと動いた時点で渡辺さんの死が確定してしまいます。物語での『伏線』はそうなる為の説得力を付ける物です。筋が通ってしまえば説得も何も意味を持ちません。必ずそうなってしまいます。


 現実なら止められても『物語』は違います。提示された事は厳格に守られるのです。となれば――答えは簡単です。主人公が存在を認識していなければ描写されませんから。

 私は打ちひしがれた真由さんを見つめると出来るだけ優しい声で言いました。


「ですから――私が代わりに行きます。もし何か思い出したら連絡してください」

「え……小夜ちゃん?」


 驚く彼女に私は自分の携帯電話を見せました。電話番号は知らなくても今朝インストールしたアプリで連絡は取れる筈です。それにこれなら相手が誰か特定もされません。私と真由さんが登録し合った事を知っているのは私達以外に居ないんですから。

 けれど驚いた太一さんは怒った様子で私を睨みました。


「小夜子ちゃん、君は何を言ってる!? 駄目に決まってるだろう!?」

「多分、私は大丈夫です」

「何が大丈夫なもんか! 大体どうしてそんな事が言える!? 君だって渡辺由美子とはクラスメートで知り合い、友達なんだろう!? それなら君も足立さんと同じだ!」

「だって……私は渡辺さんとお友達じゃありません。きっと苗字しか知らない筈です」

「……えっ?」


 私が苦笑して答えると太一さんは呆気に取られた顔になりました。本当は余り言いたくなかったんですけれど私は交友関係がとても狭いです。クラスの人とも真由さん以外にはまともにお話した事がありません。エスカレーター式の学校で知り合いも変わりません。

 実は友達の居ない寂しい子だと思われるのがちょっと嫌ですけれど仕方がありません。


「ですから真由さん。全部終わったら私に渡辺さんを紹介してくださいね?」


 真由さんにそう言うと私はベッドから降りました。邪魔で纏められていた髪留めを外して指を通すと髪がするんと垂れ下がります。そのまま真由さんからすぐに思いつく場所を今朝インストールしたアプリで教えて貰うとカバンを持って田所さんに尋ねました。


「そう言う訳ですから……田所さん、私でも構いませんよね?」

「……いや、まあ……それでも別に構わんが……しかしなあ……」


 白くなった髪を掻きながら田所さんは何と答えて良いか分からない様に渋い顔になりました。その目がじっと太一さんを見ています。


「太一さん、早く行きましょう? 渡辺さんの事も心配ですし」


 そう言って田所さんの傍まで歩いていくと太一さんは諦めた様に息を吐き出しました。

「――ああもう分かったよ! でも僕も行きます! 田所さん、いいですよね!?」

「い、いやぁ……お前ェ、そりゃあ越権行為……」

「女子中学生を自宅に送る名目で捜査に駆り出したってバラしますよ!?」

「……ッ、か、勝手にしろッ……いくぞ原田、車回してこい!」


 忌々しそうに太一さんと私を見ると田所さんはすぐに原田さんに指示を出して、こうして私達は病院を後にする事になりました。

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