2−6 無人の家
学校を出てから四〇分程歩いた位でしょうか。閑静な住宅地の中はどれも大きな一戸建てばかりが立ち並んでいます。そんな中に渡辺由美子さんのお家もありました。
夕陽で辺り一帯が朱に染まって路上には人の姿が全く見当たりません。何処か遠くで犬が吠える声だけが響いています。微かに周囲の家からはテレビかラジオらしい音が聞こえてきますがそれ以外には何も聞こえてきません。とても寂しくて少し怖い場所でした。
そんな中で渡辺さんの家は不自然なまでに静まり返っていました。窓から見えるのはカーテンだけ。一階も二階も照明が点いている様には見えません。何よりも玄関の鉄柵が薄っすらと開いたままで私と真由さんは思わず顔を見合わせました。
「ここ、なんだけど……なんか、変な感じがする……」
見た目には綺麗なお家なのにまるで廃墟の様な静けさが漂っています。郵便受けにも幾つか入れられているのにそのままではみ出しています。それは明らかに異常に見えました。
「……あの、真由さん? 渡辺さん、実は引っ越されたとかじゃ……無いですよね?」
「ううん、そんな筈は無いんだけど……」
そして真由さんがインターホンに手を伸ばした処で突然家の中から鮮明な音が聞こえてきて彼女はビクッとして動きを止めました。聞こえて来るのはプルルルと言う電話の着信音。家の中で鳴っている筈なのにくぐもってなくて妙にはっきりと聞こえてきます。
「……あ。真由さん、あれ……玄関の扉が開いてるみたいです」
「え……な、なァんだ、びっくりした……なんでこんな大きく電話の音が聞こえるのかと思っちゃった。でも……お留守にしてもちょっと、不用心過ぎるよね、は、はは……」
私が指差して言うと彼女は少し顔を引きつらせて笑いました。きっと真由さんも違和感を覚えているのでしょう。渡辺さんのお家に来た事がある筈なのに少し怯えが見えます。
だけど初めて来た私から見ればどう見てもこれはおかしいです。普通じゃありません。人がいれば電話が鳴れば出る筈ですしお留守だとしても留守番電話をセットして行く筈です。それにお留守なら玄関や鉄柵が薄っすら開いているなんてどう見ても変です。
「……おかしいなあ。由美子も、それに小母さんだっている筈なのに……」
そう言って真由さんは鉄柵に手を乗せて開きました。金属が擦れるキィ、と言うきしんだ音が少し耳障りで私は顔をしかめます。何だか胸騒ぎがして私は彼女に言います。
「……あの、真由さん? これ、今日はもう帰った方が……」
けれど真由さんはカバンからプリントホルダーを取り出すと笑って答えました。
「んーまあ、お留守なら仕方ないし。せめてこれだけでも届けて扉を閉めとくよ」
そう言うと彼女は鉄柵を開いて一歩中に足を踏み入れました。もしかしたら私が言わなくても一人で来るつもりだったのかも知れません。渡辺さんとは初等部の頃からお付き合いがあるみたいですし何度か遊びに来た事もあったのでしょう。
私も何だか取り残されたくなくてその後ろに続きました。お守りみたいに携帯電話を取り出すと胸に抱えて恐る恐る玄関前に向かって歩いて行きます。
そしてふと、私は玄関脇から見えるお庭に顔を向けました。小さなお庭で手入れされた鉢植えに花が咲いていますが少し萎れているみたいです。そしてその正面にはリビングがあるみたいで大きなガラス窓がありました。白いレースのカーテンが掛かっていて夕陽の赤に染まっていて周囲の静けさと相まって不気味です。そこで窓の下に視線を向けました。
カーテンに妙に皺が出来ていて裾に何かが引っ掛かっている様に見えたからです。
――あれ? 何でしょう、あれ……サボテン? 室内用の観葉植物?
赤い光の中で艶々とした毛玉みたいな物が赤黒く光っています。私は目を凝らしてそれが一体何なのか……でも次の瞬間私は真由さんの裾を掴んでその場で座り込んでいました。
「わっ!? え、え、何!? ちょっと、どしたの小夜ちゃん!?」
丁度ドアノブに手を掛けようとしていた真由さんが驚いて振り返りました。だけど私は首を横に振るしか出来ません。胸が痛い。息が出来ない。膝が震えて立っていられません。
「ちょ、小夜ちゃん!? 顔真っ青じゃん!? どうしよ、私が無理させちゃったから……」
すぐ私の脇に来てしゃがみ込む真由さん。だけど私はもうそれどころじゃありません。
俯いていると胸に抱いていた携帯電話が目に入ります。それで私は震える指で取り落しそうになりながら画面に触れると真っ先に一番頼れる人――昨晩登録したばかりの番号をに触れて耳元に押し付けながら強く目を閉じました。プルルル、プルルル――何度目かのコール音の後に安心出来るあの優しい声が聞こえてきます。
『――はい、もしもし。権堂です』
「……たいち、さん……?」
掠れて震える声で、あの人の名前を呼びます。頭が真っ白になって何を言えばいいのか分かりません。自分の名前を言う事も出来ずにいると向こうから声が聞こえてきました。
『――え? その声は……小夜子ちゃん? 何、どうしたの?』
私の声に、気付いてくれた。それだけでもう泣きそうです。私は電話にすがる様に小さく何度も同じ言葉を繰り返しました。
「……太一さん、たすけて……たすけて……」
『――今、何処だ!? 何があった!?』
真由さんが驚いた様子で私の顔をじっと見つめています。だけど私はさっき見てしまった物を思い出すだけで身体が震えて意識が霞み始めます。
さっき見えた、毛玉。黒くて、艶々していて……そして見開かれた、目――。
「……太一さん……人が……多分、人が……死んで……」
そこまで言うと私の目の前がぐるんと反転して。もう何も考えられなくなりました。
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