2−5 渡辺さんの家へ
私達が並んでスクール・ゲートを出たのは丁度一六時を過ぎた頃でした。
「その……なんだかごめんね。付き合わせちゃったみたいで……」
「いえ、大丈夫です。私もちょっと気になっていましたし、それに……」
足立さんはさっきから何度も申し訳無さそうに謝ってきます。だけど私も気になっているのは本当ですし、何よりもお友達――そう言い掛けて私は言い淀みました。
私は足立さんの『お友達』なんでしょうか。だけど彼女はそんな私の苦悩に気付いた様子もなく嬉しそうに笑っています。さっき保健室で見た思いつめた表情とは打って変わっていつもの明るい様子です。さっきまで沈んでいたのがまるで嘘みたいでした。
そんな彼女は私が言い淀んた事に気付かず明るい調子で話し始めます。
「――さっき見たアレね。最初に由美子が思い浮かんだの。あの子、派手に見えるけど実はすっごい寂しがりでね。初等部から一緒なんだけど昔はチョー地味だったんだよね」
「へえ、そうなんですか?」
「うん。私が転入してすぐ一緒に遊ぶ様になってね。あの子、お母さん似で派手な顔してるから悪目立ちし易いのよ。だから人目を凄く気にしててファッションとかね?」
足立さんが一生懸命話そうとしているのを見てやっと気付きました。彼女は人について色々と話す人じゃありません。きっと今は不安でそれを誤魔化そうとしているんでしょう。
それで私は話題を変えようとポツリと呟きました。
「――お友達、なんですね。私は余りそう言うのはありませんから……」
目線を外して私が俯くと足立さんは『へ?』と言う声を上げました。それでいきなり笑い始めて私は少し驚いて彼女の顔を見つめます。すると足立さんは笑って言いました。
「なぁに言ってるのよ。小夜ちゃんと私もずっと友達でしょ?」
「え……えっと、そ、そう……なんですか?」
「え、小夜ちゃんはそう思って無かったの? うわ、私傷付くわー……」
「あ、あの、ごめんなさい……」
「冗談だって、別に責めてないし? 小夜ちゃんってホント、真面目だよねえ?」
戸惑って狼狽える私を見て彼女は悪戯っぽい目で笑うと不意に穏やかに話し始めます。
「……朝も言ったけど小夜ちゃん、クラスじゃ人と関わろうとしないでしょ? だけど皆、大人っぽいお淑やかな子で本当に『お嬢様』だと思われてるんだからね?」
「……え……私が、大人っぽくて……お淑やか、ですか?」
「うん、そうだよ? 髪の毛長いのに毎日ちゃんとブラシしてるし。身だしなみきっちりしてて付け入る隙が無いでしょ? なのに気弱そうで男にも受けるだろうなーって」
いきなりそんな事を言われて私は俯いてしまいました。
私は陰気で無口だから余り人と関われないだけです。いつも一人で本を読んだり最近は電子書籍も増えましたが変わりません。大人っぽく無いですしお淑やかな訳でも無いと思います。だけど足立さんは道の先を眺めながら思い出す様に楽しそうに言いました。
「――ほら、前に図書委員決める時ね? うちの図書館って大きくて作業がかなり大変だって有名じゃん? だから皆遣りたがらなくてさ。全然決まらなくてどうしようかと思ったら小夜ちゃんスッと手を上げて『私がやります』って。あれで皆『あ、この人実は格好良い系?』って思ったみたいで話題になったのよ」
「え……え、あの時……ですか?」
「うん。まあ私は小夜ちゃんがお話とか好きなの知ってたからそうでも無かったけど?」
突然そんな事を言われて私は変な声を出しそうになりました。あの時は単にやりたい人がいないならやってみたいと思っただけで別に誰かの為にやろうとした訳じゃありません。
なけなしの勇気を振り絞って手を上げただけで、本が沢山読めるかと思って内心小躍りしていたんですが実際は読める時間なんて殆ど無くて結構ショックを受けた物でした。
それがまさかそんな風に思われていただなんて。どうしましょう、改めて言われると何だか凄く恥ずかしくなってきました。
余りの恥ずかしさに居た堪れず俯く私に向かって足立さんは厭らしい笑みを浮かべます。
「小夜ちゃんって考え事多いじゃん? なのにあんまり喋らないし。私は思った事はすぐ言っちゃうからね。だから皆『この人は何かある』みたいな? そう言うのあるよ?」
「……う、うう……」
「まあほら、私と違って落ち着いた大人っぽい子だなあと、ずっと思ってたし。それに小夜ちゃんって同級生相手にも敬語でしょ? そう言うのもかなり関係あると思うよ?」
こんなタイミングで発覚した新事実にもう恥ずかしくて死にそうです。
私が敬語なのは小さい頃にお母さんからそう教えられた所為です。今では家族と話す時も癖になって直りません。それで幼稚園の先生からも褒められた事があったらしいです。
それに思っている事を余り言わないのも道徳の教科書で『何気ない一言が誰かを傷つける事がある』と言うのを見てその通りだと感動してしまった所為です。元々本を読むのが好きだったので道徳の教科書や聖書も関係なく読んでいた為にかなり無節操です。
そんな項垂れる私を見て足立さんは笑うと少し寂しそうな小さな声で呟きました。
「……さっきだって私、一杯一杯だったのに。小夜ちゃん冷静だし。敵わないよ……」
それを聞いた瞬間、私は頭の中で全力で言い訳を始めていました。
――私は単に寂しい子ですし言わないだけで冷静じゃないです。さっきも確かめたいって思っただけで私もそれなりに動揺してましたし、だから全然変わらないです――。
でもそこまで考えて結局考えるだけで何も言っていない事に気が付きました。きっとこんな風だから人に誤解されてしまうんでしょう。言わなければいけない事をちゃんと言えていないと言う事で、勇気を振り絞って『友達だ』と言ってくれた足立さんに言いました。
「あ、あのですね……その、足立さんは……」
だけどそう言い掛けた処で足立さんはにっこり笑顔で答えます。
「あ、待って? 小夜ちゃん、先ずそれを辞めようよ?」
「……はい?」
「私は小夜ちゃんって呼んでるでしょ? だから小夜ちゃんも『真由』って呼んでよ?」
勇気を振り絞ったのにいきなり止められて、その上難易度まで上がってしまいました。足立さんも凄く期待した目で私を見ています。それで私は頑張りました。
「……あ、あの……えと、その……ま、真由、さん……」
「……おー……なんだか新鮮……うんうん、それで? さっき何言おうとしたの?」
足立さん――じゃなくて、真由さんは笑顔満面で頬を赤くしながら尋ねてきます。私は首を竦めて色々諦めながら彼女に言おうとした事を口にしました。
「――えと、真由さんは、凄く良い人だと思います、よ?」
それはきっと本当に何気なくて大した事じゃないと思います。だけど真由さんは目を丸くすると恥ずかしそうに俯いてしまいました。指先で前髪をくるくると絡めながら本当に恥ずかしそうにしています。そして私を見るとはにかみながら答えました。
「……あ、いや、ほら……そんなの、言われる事って……あんま無い、って言うか?」
そんな彼女の反応を見て私は初めて気付きました。
人は言って欲しい事を言って貰えない物です。確かに言葉は人を傷つける事もありますが逆に喜ばせる事もある筈です。きっと真由さんも面と向かって言って貰える事が無くて自分に自信を持てない部分もあったのでしょう。言葉にしなければ相手を傷つける事もありませんが、相手に本心を伝える事だって出来ません。
それで気を良くした私は思い切って思った事を素直に言う事にしました。
「――真由さんの良い処は相手に踏み込み過ぎない処です。表情もくるくる変わってとても可愛らしいと思います。それに渡辺さんの事を本当に心配していて優しい女の子だとも思いますし、そう言うお友達がいる渡辺さんはとても幸せなんじゃないでしょうか?」
思いつく限り思っていた事を私は言葉にしてみました。すると真由さんはその場でいきなり立ち止まると顔を真っ赤にして俯いてしまいました。
――あれ? 私、何か酷い事を言ってしまったでしょうか?
「……あの、真由さん……?」
恐る恐る声を掛けると真由さんの視線が宙を泳ぎます。やがて私と目が会った途端に両手で顔を覆ってその場にしゃがみ込んでしまいました。
「……うう、何これ……小夜ちゃんに私、チョー口説かれてる? そんな気がする……ふ、普段あんまり、そう言う事言わないのに、可愛いって……そんな、不意打ち過ぎ……」
そう言ってモジモジしながら恋する乙女みたいに私を見上げる真由さん。やっぱり私はこの人がちょっぴり苦手な気がします。
傾いた陽の中で長く伸び始めた影を私は溜息を付いて眺めました。
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