2−4 保健室

「――んじゃあお話読んでて気分悪くなっちゃったんだ?」


 放課後、保健室のベッドの上。結局私は午後の授業を受けられず横になっていました。

 教室からカバンと差し入れのゼリーを持って足立さんが来てくれました。私を保健室に連れて来てくれたのも足立さんです。貰ったゼリーのチューブをぼんやりとしながら吸っていると柑橘系の甘酸っぱい味が口の中に広がります。


「……はい。何ていうか……ちょっと色々と酷い内容で……」

「ふぅん。でもちゃんとご飯は食べないと駄目だよ? ダイエットとか言って食べない子もいるけどちゃんと食べて寝ないと。身体の内側から不細工になっちゃうんだからね?」

「……はい、ごめんなさい。それと有難うございます……」


 単純に食が細いだけなんですが腰に手を当てて怒っているポーズの足立さんを前にもう何も言えません。私は黙り込むと手に持った携帯電話に視線を落としました。


 だけど書いた事が現実になるのならこれを書いた『Yumi』と言う人も危険な目に会ってしまうかも知れません。自分の周囲を全部無かった事に、なんて実際に現実になったとしたら一体どんな事になるのか想像も出来ません。

 そんな事を考えている私を見て気落ちしていると思ったのでしょう。足立さんは急に明るい調子になって私に尋ねてきました。


「それで? そのお話ってどんなのだったの?」

「……え?」

「いや、だからね? 読んで気分が悪くなったってお話、私にも見せてよ?」

 驚いて顔を上げると足立さんは笑っています。それで私は手元の携帯電話の画面を見ると首を横に振って言いました。


「えと……ですけど多分、読まない方がいいと思います……けど……」

「えー、そんな事言われたら余計に見たくなるじゃない?」


 きっと足立さんみたいに面倒見が良い人が読めば酷く落ち込む事になるでしょう。だってどう見てもこれは家庭内暴力とかそう言う事だと思うから。だけど私が変な言い方をした所為で足立さんは余計に興味津々になってしまいました。


 こうなってしまったらもう仕方ありません。私は自分の携帯電話にあの物語を表示して彼女に手渡しました。その画面を見ている内に足立さんの表情がどんどん曇り始めます。


 あの悲鳴じみた文面を読ませてしまう位なら何も言わなければ良かったと私は落ち込みました。幾ら足立さんだってあれを読めば気分が悪くなってしまうに違いありません。

 でも俯いている私に足立さんが声を掛けてきました。それで顔を上げると彼女の顔は真っ白になっていて私は後悔しました。だけど彼女は小さな声で呟きます。


「これ……もしかして、由美子……じゃ、無いよね?」

「……え? 由美子さん、って……渡辺さんの事ですか?」


 彼女の言った事は私が全然考えていなかった事でした。そう言えば今朝、登校する時に聞いたお友達も『由美子』ですから『Yumi』としていてもおかしくは無い筈です。

 私が何とか返事を返すと足立さんは思いつめた様子で口を開きました。


「うん。願い事なんて叶わないって良く言ってたの。これ、書いた人も似てるし……」

「え、でも……まさか、そんな事は無いんじゃ……?」


 咄嗟に『大丈夫』とはとても言えませんでした。私はクラスメートの渡辺由美子さんについて殆ど知りません。同じクラスの子について私はほぼ何も知らないのです。

 でも足立さんは少し迷いながらまるで告白する様に話し始めました。


「――私、昔ね。初等部の頃、あの子の身体に殴られた跡みたいな痣があるの、見た事があるの。体育で着替える時に一人だけ着替えるの遅くて気になって戻ったのよ。それで私どうしたの、って聞いたのね。そしたら躓いたとか笑って言うのよ。だけど躓いて転んでも背中にまであんな沢山、青痣なんて出来る筈が無いもの……」


 流石にそれを聞いて私も青褪めました。

「ちょ、ちょっと待って下さい。足立さん、それじゃあ渡辺さんは家庭内暴力を受けていたって言うんですか? そんな、幾ら何でもそれは流石に無いと思いますけど……」


 私が薄っすらと知っている『渡辺さん』は少し強気な子でお化粧やファッションに興味のある可愛らしい子だった筈です。でもそう言えば足立さんと一緒が多いけれど時々避けている事もありました。足立さんを避けるなんて珍しいと思った事があって憶えています。

 それに書かれているタイトルと作者の名前。だけどそれが一致したとしても渡辺さんが書いたとは限りません。何よりそんな事が身近であるなんてとても信じられませんでした。


 でも足立さんは泣き出しそうな顔になって言ったのです。

「……由美子ね、言ってたの……先週位に、ネットで願い事が叶うおまじないがあるからやってみる、って……私、ネットは良く知らないけど……これもネットなんでしょ?」


 おまじない――ネットで『願い事』が叶うと言うおまじない……つまり『都市伝説』。

 それを聞いた途端目の前が薄暗くなった様な気がしました。感想欄にも書かれてあった事で私が知らなくてもきっと大勢の人達は知っていたに違いありません。このサイトに書いて『投稿』すれば願い事が叶う都市伝説がある――あの事件の自殺した大学生も書いていました。でもあの『グリード・ディスクリプション』に書かれてあった通りに自殺してしまっています。それに太一さんの言葉も符号している様で気になって仕方ありません。

 そんな処でもし渡辺さんが書いていたのだとしたら――。


「――足立さん、渡辺さんって自宅通学されてましたよね? お家はご存知ですか?」

「……え? うん、知ってる……けど……」

「なら、これから一緒に行ってみませんか? きっと思い過ごしです。実際会ってみれば大した事のない理由です、きっと」


 私はそう言うと枕元に置いてあったポーチをカバンにしまいました。手に持っていたゼリーの空き容器をゴミ箱に入れるとそのまま上履きを履いて立ち上がります。そんな私に反応出来ない足立さんを見ると安心出来る様ににっこり笑って見せました。


「え、小夜ちゃん……?」

「大丈夫です。偶然が重なっただけですよ。ネットは身近な人達だけじゃなくて日本や世界の何処からだって出来るんです。この世界はそんな狭くは無いですよ」


 私は自分を励ます様にそう言いました。そうです、きっと太一さんが言った通りこんなのは只の思い込みです。きっと全てがはっきりすれば何でも無い事で笑って終わる話です。


――でも……もし、何かあったら――?


 一瞬脳裏に浮かんだ思いを私は頭を振って振り払いました。

 大丈夫、きっと太一さんが言った通り。それに幾ら連絡してもいいと言われてもこんな事でお電話なんて出来ません。太一さんは警察の人できっと忙しい筈です。

 私は制服の上着に入っている生徒手帳をポケットの上からそっと押さえました。

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