第1話 後継者

「後継者を決める」


 椅子に座る髭を蓄えた、恰幅のいい男。

 その横に直立する、片眼鏡を装着した執事。

 華美な調度品で彩られた室内には、その二人のみが存在している。


「……後継者、でありますか」


 執事は一つ瞬きをし、頷く。

 その脳内では、濁流のように思考が渦巻いている。

 しかし、最も当然な言葉を発した。


「てっきり、わたくしは、ズイト様がそうなるものだと」

「そうだ」


 執事は、再び思考の波に捕らわれる。

 仮に、目の前の人物が、並の人間であったのならば、この一見矛盾したように考えられる言葉は、その通り矛盾しているのだろう。

 しかし、目の前の男。執事が仕える、その男はそのようなことはしない。


「もしや、シューライト様自身の?」

「ほう……」


 男の口が歪む。

 しかし、その目は新しい玩具を貰った純朴な少年のよう。

 顎鬚を撫で、執事と改めて向かい合う。

 その瞬間、確実に、男は執事のことだけを考えている。


「その通り、わたしの後継者だ」

「なるほど……」


 『シューライト』という名を耳にした時、多くは同時に悪評を思い浮かべる。

 曰く、逆らった者はその国で生涯取引することはできない。

 曰く、一国の資産を全て奪い取った。


 世の噂は『シューライト』の誹議で溢れかえっている。

 直接、損害を蒙った者達が吹聴しているということもあるが、『シューライト』を一目見た時に受ける印象は総じて良くはない。

 肥えた身体に下品なほどに装飾品を纏うなど、嫉みによる悪印象が目立つ。


「何をいたしましょうか」

「養子を迎える」

「要件はどういたしましょう」

「味覚試験の1級合格を、そうだな3回は経験。歳は、どう考える?」

「後継者とのことでしたら、最低でも二十代前半までかと」

「ふむ。そうか、ならばそうしろ。今の段階で絞り過ぎても仕方がない。まずはこれで探せ」

「畏まりました」


 執事は一礼し、廊下へ出る。

 歩みを止めることはなかったが、後継者候補探しについては、既に諦観していた。


 シューライトの口にした味覚試験とは、シューライトの経営する『アンドリュー商会』が全面的に資金提供をしている全域味覚試験のことである。

 食材、料理を食べ、その値段を予想する。

 ただそれだけの簡単な試験だが、最高峰の難易度を誇る。

 シューライトも毎年その試験を受け、1級合格をしている。


 しかし、そのことこそが、全域味覚試験の一般受験者の減少に繋がっている。

 不正にシューライトを合格させているのではないか。

 その噂は全くの事実無根であり、むしろ、彼はそのようなことを許すことはない。



$$$


 

「こちらになります」


 執事が、3枚の用紙を机上に並べる。

 一人目、18歳男性、クック・リンソン。

 配偶者あり。『アンドリュー商会』の取引先ともなっており、主に貿易を得意事業としている、『キュウエル貿易会社』の会長の一人息子だ。『キュウエル貿易会社』の特筆するべき点と言えば、使役している1匹の海竜だ。

 竜種は使役がほぼ不可能と言われるように、現在、キュウエル貿易会社以外で成功例は確認できていない。しかし、近年、海上を高速で移動可能な魔導船の発展も目立つ。これから先、新たな強みを得なければならない。


 二人目、22歳女性、ディレン・バレル。

 配偶者なし。『ディレン工房』の経営者。パンを中心とした安価な食事を提供。15歳で『ディレン工房』を設立。形態は現在まで一貫しており、2年前に借金を完済。現在は従業員14人、2つの支店を持っている。両親は『ヒア国』で食堂を経営。


 三人目、21歳女性、アウギウ。

 配偶者なし。『ヴィッツ商大学』を2か月後に首席で卒業予定。『トラベラ商会』に内定。在学中に『エイウィ出版』の『リトニ・フェランの経営論』の誤りを指摘。11歳の時、父親は他界。その後、母親と二人暮らし。母親は『トラベラ商会』勤務。


「……以上か」

「はい」

「そうか」


 シューライトは不思議そうな顔をしているが、執事は当然だと思っていた。

 執事は、主が自己評価を、一部を除き、正当に下すと考えている。


「ウチの従業員は除いているのだな?」

「はい。念のため、1級合格を2度経験している方々の情報も用意していますが」

「いらぬ」


 一度口に出したことは、よほどのことがなければ曲げない。

 それは理解したうえで、執事は提案も兼ねて口にした。


「ですが、3名というのは……」

「よい。この3人の中に適任者がおるかもしれん」

「はい」



$$$



「……ふむ」

「いかがしましょう」


 シューライトは落胆していた。

 3名とも彼の眼鏡に適わなかった。


 クック・リンソンは、融資。

 ディレン・バレルは、自身の工房の拡大。

 アウギウは、現代経営体系の論文作成。


 それぞれが目的を持ち、それを達成するために希望していた。

 これが彼の後継者を決めるものでなく、『アンドリュー商会』の従業員の採用面接であったのなら、即座に採用の決断を下しただろう。


「うまくいかないものだ……」

「年齢と合格経験の条件を変更しては」

「確かに、年齢上限を下げ、先に定めた合格経験数を後に達成するという手もある」


 執事は、次の言葉を待つ。

 自身の思いつくことなど、既に主は思考を終えたものであると知っている。


「しかし、それならば、合格数の要件など撤廃し、幼子を連れてきた方が良い」

「確かに、シューライト様が英才教育を施すことができますな」

「孤児院や貴族、商家から招いた場合、優遇せんとも限らない」

「……奴隷の生涯雇用はいかがでしょうか」


 執事は躊躇いつつ提案する。

 奴隷というのは、一定の国家に所属しておらず、保護を受けることのできない人間が身を落とすものだ。

 保護を受けられない原因は様々存在しているが、幼子においては、重大犯罪者の親を持つ、国家に所属しない少数民族が放棄したなど考えられる。

 そのような子ども達は、孤児院で育てられることなく、奴隷商が預かる。

 奴隷商はその者達を養育し、買い手を探す。


 奴隷は、良く言えば、家などに対し、しがらみがない。

 悪く言えば、身分が保証されていない。

 そのような者を提案するのは、ひとえに主が求めているためだ。


「それらも考えていたが、今一度検討することにする」

「畏まりました」

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