ヤーブス・アーカの冒険

lager

第8話

 こんな話を、聞いたことがあるだろうか。

 

 極東の島国に、古びた小刀を祀る一族の里がある。

 その刀は妖刀と呼ばれ、それを振るうものは代替わりを経ながら時代時代の苦難から里のものたちを守ってきた。

 

 葉桜。

 それは幻影を操る異形の刀。

 それを振るうは、運命に導かれし忍の戦士。

 家族のため。愛するもののため。誇りのため。使命を果たすため。


『葉太殿ーーーっ!!』


 様々なものたちが、その妖刀葉桜を振るってきた。

 それは、悲しくも美しい忍の物語。

 緑混じる桜の幻が見せた一夜の夢。


 そんなお話を。


◇◇◇


「ねえ、聞いたことはあるかしら?」

「ああ!? なんだそりゃ!?」


 余裕な表情を崩さずに奇妙な御伽噺フォークロアを語り出したハルカに、俺は思わず怒鳴り返してしまった。

 女性に対してなんて野蛮な、などと思わないでほしい。

 なぜならば――。


「もうっ。すばしっこいですね! いい加減当たってください! 『指からビーム』!!」

 ジャパニーズ・アイドルのような恰好をして猫耳猫尻尾を生やした女の子が、右手で指でっぽうを作り、こちらへ向けてきた。


 ばきゅん。


 そんなふざけた効果音と共に、スーパーマンの熱光線のような光が打ち出され、俺の頭を掠めた。

 その数秒後、なにか巨大なものが倒壊した音が背後から聞こえてくる。

 舞立つ粉塵。

 周囲からは人々の悲鳴。

 暮れなずむ夕焼けの町が、すっかり地獄絵図と化している。


「お前! 早くあいつなんとかしろよ!」

 相変わらず余裕な笑みを浮かべて立ちすくむ女――ハルカは今朝このトチ狂ったコスプレ少女を撃退したはずだ。それがなぜ、今は何もしようとしない?


「いやだわ。あなた警察官でしょう? あなたが何とかしなさいな」

「ふざけ――」

「『指からビーム』!!」


 咄嗟に横っ飛びで転がり、もう何度目になるか知れないビームを躱す。

 なんとかしなさいな、だと?

 ふざけるな。俺はただのしがない中年だ。ブルース・ウェインでもクラーク・ケントでもない。

 こんなバカげた怪物に立ち向かう力なんてあるわけがない。


 それなのに。


「もー! あなたなんでそんなにすばしっこいんですか!? ゴキブリかなにかですか!? M・O手術受けてます!?」


 俺は先ほどから、一度も光線に当たっていない。

 躱しているのだ。

 自分でも理解できないほどの反射神経と体捌きで、全ての光線を紙一重で躱している。

 頭も薄くなり、下腹の肉は年々たるんでいく一方の、この俺が。


 また一つ放たれた光線を、俺は上半身を僅かに傾けただけで避け、続けざまに放たれた第二射を、イナバウアーのような姿勢でやり過ごす。


 たとえ体力の全盛期であった若い時ですら、こんな動きはできない。

 そして、その原因は薄々分かっていた。


 どくん。

 どくん。


 幽かに感じる胎動。

 それは、俺が握り締めるこの古ぼけたジャパニーズ・ナイフから発されている。

 掌を通じ、腕を通じ、そして全身へ、熱いような、冷たいような、奇妙な力が流れ込み、俺の体を動かしているのだ。


「その葉桜はね。赤目の里に代々伝わる妖刀なの。所有者に力を授ける護り刀であると同時に、それに相応しきもの以外が抜けば、たちまち命を吸い取られる呪いの刀」


 ハルカ。

 この狂騒の中で悠然と立ち尽くす女。


「儚く、悲しく、そして美しい物語が、今もなお語り継がれているわ。でも、どうなのかしら。葉桜に関わった人間は、そんな物語の主人公になれる人たちだけだったのかしら」


 どくん。

 どくん。


「そんなわけはないわ。ねえ、こんな話を知っている? その刀に選ばれるために何人もの男たちが血みどろの争いを繰り広げたのに、最後に勝ち残った一人は、ただ行きずりのよそ者にその資格を奪われた。妖刀が選ぶのはその資格を持つものだけ。それを決めるのは葉桜自身。人間たちがなにをどう争おうが、葉桜には関係がなかったのね」


 どくん。

 どくん。

 

 右手の鼓動が力を増していく。


「あるいは、そうね。その妖刀の力を欲したよその里の若者がある日葉桜を盗み出した。その若者は自分の里を守りたかった。けど、赤目の里の人間はそれを許さなかった。葉桜は正当な所有者の手で取り返され、赤目の里は救われた。若者の里は滅んだわ」


 ハルカの昔語りに合わせ、俺の右手に波動が奔り、感覚を希釈していく。

「待て。お前、なんの話をしてるんだ?」


「あなたの話よ」

「……は?」

「正確には、話、かしら」


 その時。

「隙ありです!」

 いつの間にか眼前に肉薄していたコスプレ少女が、スカートを翻し、右手を振りかぶっていた。


 しまった!


「『指からビーム』!!」


 ずぱん!

 袈裟切りに振るわれた右手から伸びる光線が、俺の左腕、その肘から先を断ち切っていた。


「うあああああ!!!!!」


 鮮血が迸る。

 視界が真っ赤に染まる。

 頭に靄がかかる。


 痛い。


 切られた。そのショックの後の数瞬の空白。

 それが終わったのち、俺の左半身を絶望的な激痛が襲った。


「う。うぐぅぅぅぅ」

 痛い。痛い。

 痛い痛い痛い痛い痛い。


「あら。気のせいよ。しっかりなさい」


 頭上から聞こえたその呑気な声に、殺意が湧いた。

 ふざけるな。

 もとはと言えばこの女がここに連れてこなければこんなことには……。

「ほら。しっかりして」

 ハルカはそう言ってしゃがみ込むと、その細く柔らかな手で、を握った。

「は……?」


 女性らしい、柔らかな感触が、そこにあった。

 彼女の握る左手は、確かにその感覚を俺に伝えている。

 切り飛ばされたはずの俺の腕。

 その切り口から、鮮血の代わりに黒々とした靄が洩れ出で、俺の体とつながっている。


「な、なんですかそれは!?」

 それを切り飛ばしたはずの少女が、驚愕と恐怖の入り混じった声で叫んだ。

 俺だって分からない。

「え? え? ど、どうなってんだ?」

 混乱する俺の耳元で、優しく言い含めるようにハルカが囁く。

「ほら。落ち着きなさいって。すぐくっつくから」


 その言葉の通り、切り口を吸着させるように黒い靄は収縮し、俺の腕を繋いだ。


「ば、化け物……」


 そんな言葉が、遠くから聞こえる。


「ねえ、知っている?」


 そんな言葉が、耳元で聞こえる。


「その葉桜にはね。美しい歴史がある。そしてその裏には、血みどろの歴史が隠れてる。葉桜の力を求め、それでもそれを手にすることが叶わなかったものたち。愛のため、家族のため、正義のため、誇りのため、殺されたものたち。彼らの怨念は、いつしか一つの匣に集められた」


 繋がれた左手には、もう何の痛みもない。

 その代わりに、狂わしいほどの熱と悪寒が、同時に俺の全身を這い廻り始めた。


「私はその匣を盗み出したの。だってもったいないじゃない。こんなに上質なマイナスのエネルギー。腐らしておくだけなんて。なにごとにも使い道はあるわ。例えば、そう。


 なんだって?

 死んだ人間?

 誰のことだ?


「ねえ、あなた。変だと思わなかったの? 『ナイフが頭頂部に突き刺さって』、『傷は浅い。カミソリで切ったようなものだ』って?」


 やめろ。

 何の話をしてる?


「あなたのことよ。うふふ。ダメよ。自分を誤魔化しては。いい? 『妖刀葉桜は。散歩していた無関係の男の、薄い頭頂部に深く突き刺さった』のよ。ねえ、あなた、そんな人間が、まだ生きていると思う?」


 やめろ。

 やめろ。

 やめろ!


「私が通りがかったのは、本当に偶然だったわ。こういうことを奇跡と言うのでしょうね。目の前には妖刀に貫かれて命を落とした死体ジョン・ドゥ。私の手には、その妖刀を欲してやまない怨念の塊。私のやるべきことが他にあったかしら?」


 俺の視界が、熱く、冷たく、黒々とした靄に包まれていく。

 体は自然と立ち上がり、右手に握り締めたナイフの柄に、左手がかかった。


「さあ。存分に振るいなさい。それが、が欲した力よ」


 妖刀葉桜が、抜き放たれた。


  

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ヤーブス・アーカの冒険 lager @lager

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ