2/好きにはなれない
ティーリンは、西寮へと戻り、自室に入るなり着ていた外套をベッドの上に放り投げた。今日は、腹の虫が治まらない。してやられて終わるなんて、絶対に許せない。
ティーリンは、窓の外の夕陽に目をやった。美しい光が、この表の世界のヨーロッパをテーマとした西寮に降り注いでくる。ティーリンは、しばしの間それを見つめ、心を鎮めようと努力した。
ゾマーは、中等部のころから犬猿の仲だった。最初は、お互いに歩み寄れるのではないかと期待していた時もあったと思う。しかし、ハイディ家が古代魔法の保護と進化のための施設を建てると、ゾマーもハイディ家のことを鬱陶しく思ったのだろう。中等部の後半からは、ほとんど対立関係にある。
ゾマーは、良く言えば天真爛漫で人懐っこく、明るい少年だ。しかしその内には、隠しきれない野望がメラメラと燃えている。ティーリンは、それも気に入らなかった。
なんとかして、古代派の人間を集めなければ。
躍起になったティーリンは、マゴス・カルテルというグループを立ち上げ、古代派の人間を率いている。これは、もちろん学校内部での組織だが、他の学校や学生ではない人からも志願者が来る。
ティーリンは、古代魔法の祖と言われるハイディ家の養子だ。もとは婚外子だったが、祖父がリモンシェット校に入れる前に養子として迎え入れたのだ。
容姿端麗で、人当たりもよく、成績も優秀なティーリンは、人を自然と率いることができる才能があった。しかし、本人も気づいてはいるが、頑固で短気な性格は、今にもそんな自分のメッキをはがしてしまいそうだった。
「ティーリン」
扉を叩く音がした。
「ダニー?」
「そう。お邪魔するよ」
そう言うと同時に、扉が開いた。友人のダニー・ランバートだ。グレー系の髪の毛に、清涼感のある顔立ちで、知的な雰囲気を纏っている。
「今日もお疲れ様」
「ダニーもな」
「そうだね」
ダニーは、朗らかな笑顔で部屋を見回すと、近くの椅子に腰を下ろした。
「指の具合はどう?」
「…気づいてたのか?」
「当たり前だろ。お前、顔に出やすいんだから」
「みんなは気がつかないよ」
「俺はティーリンと一番長い友人だからな」
「…君の勘がいいだけじゃないのか?」
ダニーの得意げな顔に、ティーリンはため息をついた。ダニーは、リモンシェット校に入ってから、ずっと寮も一緒の仲だ。当然、古代派の人間でもある。
「なぁなぁ、あいつ、今日ずっと居残りで反省魔法受けてるらしいぞ」
「興味ないよ」
「そんなこと言うなって。今夜なら、あいつも弱ってるんじゃないか? 禁止令を破った分、いつもより神経すり減らされるだろ。疲れて、そのまま倒れこむだろうし、ちょっとした仕返しのチャンスじゃない?」
「…一応、接近禁止令が出てるから、僕から近づくのは愚かすぎないか? 僕の方にも、その禁止令は有効だ。…それに、今日はそんな気分になれない」
「ん? なんで?」
「……今日は、なんだか疲れた。それに仕返しって言葉も、野蛮だ。僕は好きじゃない。石を売ったのはどうせシャノだ。中立派の顔して、どちらにもいい顔をする。こちらにも恩恵はあるが、そろそろあいつの存在も厄介だな…」
「シャノを敵に回すのは得策じゃないな」
「分かってる。ただ、気に食わないだけだ」
ティーリンは、再び窓の外を見た。先ほどより夕陽が近い。
四時間にも及ぶ反省魔法を終えたゾマーは、ふらふらとした足取りで北寮へと戻ろうとしていた。北寮は、所謂、スチームパンクと総称される文化をもとに造られた寮だ。他の寮と比較してしまうと華やかさに欠ける寮だが、人工的なところが気に入っている。
ゾマーは、途中、中寮にあるカフェ・ジジに目をやった。まだ煌々とした明かりがついていて、賑やかな声が漏れ聞こえてくる。思わず、寄りたくなったが、どうも頭がパッとしない。
ゾマーは、そのまま中寮を通り過ぎて北寮に向かおうとした。
「よっ! ゾマー!」
そこに、明るい声が聞こえてきた。シャノだ。
「今終わりか?」
「そう。えらい目にあった」
「分かっててやったことだろうに」
「そうなんだけど、結局大したことできなかったし。あの石、不良品じゃないのか?」
「そんなわけないって。ゾマーの力が未熟なのか、ティーリンの反射神経が良すぎるのか…」
シャノは、意地の悪い顔をして笑った。ゾマーは、むっと頬を膨らませる。
「あいつと俺の力は互角だよ」
「そうでしたねぇ」
「もっと興味持てよ」
「君たちの悩みには興味があるけどねぇ」
「嫌な奴…」
ゾマーは、がくっと肩を落とした。今日はひどく疲れた。
「まっ、俺の責任もなくはないから、これ奢るよ。リモンシェット校をイメージしたドリンクだよ。リモンチェッロ、あっちの世界ではお酒らしいんだけど、これはジュースだから」
「また模倣品か」
「しょうがないだろ、俺たちはあっちの文化が大好きなんだから」
シャノはそう言って笑うと、銀髪を光らせて寮へと戻って行った。
「まったく…」
ゾマーは、うつろな瞳でシャノを見送った。なんだかんだ憎めないやつだ。
ゾマーは、手に持ったリモンチェッロを一気に飲み干した。思ったよりもおいしい。これはレモンか。
「ルーザクナ」
ゾマーがそうつぶやくと、飲み干したコップが光の粒となって消えていった。ゾマーの右腕にしっかりとつけられている細めの腕輪にはめ込んである、ゴールドの鉱石がそっと光っている。この鉱石が、各個人が持つ魔力を活かして魔法を生成してくれる。
「…はぁ」
再び、寮へと歩き出した。
-わかっている。わかっているんだ。
ゾマーは、頭を掻きむしった。本当のところ、魔力ではティーリンに勝てない。だからこそ、あの力が疎ましくて、欲してしまうのだ。
寮に戻ると、同室のツィエがソファで居眠りをしているところだった。ツィエは、ゾマーの親友だ。同じ近代魔法科学研究所の見学で出会った。
「あっ! ゾマー!」
物音に気付いたツィエは、ゾマーを見ると嬉しそうに立ちあがった。
「遅かったな」
「まぁそりゃそうなるよね」
「違いない!」
ゾマーが吹き出すと、ツィエもつられるようにして笑いだした。こうすることで、今日の出来事が笑い話へと変わる。
「なに? メイゼル先生?」
「そう。後半先生も疲れちゃったのかやつれちゃってたよ」
「あははは。先生も大変だな」
「ほんとだよな。俺たちの抗争なんて放っておけばいいのにさ」
「でもお前、この前図書室荒らしたから、そうもいかないだろう」
ツィエは、お腹を抱えて笑い出した。その時のことを思いだしたようだ。
「この前って、二年前だろ!」
ゾマーも、ベッドに倒れこんで笑った。当時の驚いた自分たちの顔が、今でも忘れられなかった。
思えば、あの頃から“問題児”のレッテルを貼られてしまった気がする。しかしゾマー自身には、その意味がよく分からなかった。より良い世界のために、より高度な魔法技術の発展のために、それの何が悪いのだろうか。
ゾマーは、表の世界に思いを馳せた。彼らのことを救えるのは、きっとぼくらなのに。
南寮では、エルテが魔法で作り上げた仮想の砂浜に寝っ転がっていた。実際、ここは南寮の庭だ。南寮は、表の世界のリゾート地に焦がれて作られた。こちらの世界は、あのような穏やかな気候の場所はない。魔法でコントロールできなくもないが、あまりにも精神と労力を必要とする。恐らく、そんなことをすれば力尽きてしまうだろう。
いくら能力の高い者でも、限界を超えてしまうだろう。一部の人を除いては。
エルテは、自分で作り出した波の音に満足していた。エルテの腕輪の漆黒の鉱石がほんのりと光っている。
「エルテ」
心地よい波の音に、雑音が混じってきた。エルテが目を開けると、そこには同じ南寮の生徒、メイズ・ダンテがいる。
「なんか用か?」
「砂浜が見えたから来たの」
「放っておいてやろうという考えはなかったのか?」
エルテは、不機嫌そうに眉を吊り上げる。
「ないね。エルテが勝手に公共の場所に砂浜つくるのが悪い」
「勝手にしろ」
エルテは、くすくすと笑うメイズから顔を逸らした。
「夜空がきれいだね」
メイズは、そんなエルテの態度など気にならない様子で空を見上げる。
「あの星が取れる魔法は、古代魔法になるのかな…?」
「そんな魔法はない」
エルテは、ぶっきらぼうにそう言うと、再び目を閉じた。
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