一部

1/投げた石

 リモンシェット校。地域で言えば、派閥の抗争もあまり起きない、中立派の多い、堅実な地にその学校はある。3年制の中等部と、4年制の高等部によって構成される共学校である。

 生徒はみな、初等部を卒業する際に、進学を希望する学校の試験を受ける。リモンシェット校は、落ち着いた立地の良さからも人気が高く、毎回多くの生徒が試験を受けている。そのため、自然と高倍率の学校となり、その校風もきっと誇れるものだろうと、周囲の人は、そう思いがちだった。

 実際のところ、優秀な生徒も多いことは確かだが、その内部は、そこまで理想とするものではないかもしれない。

 治安や教育内容が悪いということではないが、リモンシェット校では、世間と違うことはなく、古代魔法と近代魔法の派閥に分かれ、たびたび校内で抗争が起きている。

 優秀で、意識の高い生徒が多いこともあいまって、その様相は、外の世界と何ら変わりがなかった。むしろ、閉ざされた空間であることが災いして、対立意識も育まれやすい。

 何より、古代魔法の由緒ある家柄の息子がいるとなると、その事情もややこしくなる。

 それぞれの考えを尊重したい学校としては、誰が悪いということもないだろう。

 しかし、抗争を避け、平穏な学生生活を送りたい生徒にとっては、この上なく厄介な話だ。




―リモンシェット校 中庭


「おい、あいつまたハイディに喧嘩売ったんだってよ」

「本当? 一週間接近禁止令出てなかった? まだ二日目じゃない」


 生徒たちが、ひそひそと話声をあげる。

 その声は聞こえていないのか、当人はいらいらした様子で考え事をしていた。


「ゾマー!」


 中庭のベンチに座り込み、前傾姿勢で眉をひそめていた少年に、友人らしき生徒が話しかけてきた。少年は、不機嫌な視線を友人に向ける。

 所々つんと跳ねたオレンジ系統色の髪の毛に、黄土色のアーモンドアイをしたその少年は、健康的な身体を起こし、血色の良い人差し指を立て、こちらに来る友人を制止した。


「…今、考え事してるんだから、来るな」

「そんなこと言うなよゾマー。どうせ接近禁止令破ってまた居残りさせられるんだろ?」

「うるさいな。ツィエ」

「せっかく新しいゲームを取り寄せたのに、ゾマーのせいでお預けだよ」

「勝手にやればいいだろ?」

「それじゃつまんない」


 ツィエは、少年から距離を取ったままけらけらと笑った。少年の名は、ゾマー・ミッジ。近代科学魔法研究所の研究員の息子で、言わずもがな近代魔法派の代表的な存在だ。3年生の彼は、同じく3年で、古代派閥の長、ティーリン・ハイディとたびたび問題を起こすため、常に教師陣が目を光らせている存在でもある。


「ねぇ、次の占星術の授業受けないのか?」

「……行くよ」


 ゾマーは、親友であるツィエ・イセルの自分を同情するかのような笑顔を見て、ため息をついて立ち上がった。

 ツィエは、赤毛をさらりと掻くと、再び笑った。




―リモンシェット校 校舎4階渡り廊下


 ゾマーが次の授業に向かう頃、ティーリン・ハイディは、仲間たちに囲まれて何かを話していた。


「ティーリンさん、また災難でしたね」

「お怪我はないですか?」

「ばか、ハイディさんがケガするはずないだろ。あんなやつに絡まれたくらいで」

「こらこら、言葉は慎みなさい。心配してくれる気持ちは、とてもありがたいのだから」


 中心にいる、長身で細身の男子生徒が、口元を緩ませて微笑んだ。

 少し長めの髪の毛は、美しい深い青緑色で、陽にあたるとキラキラと輝いていた。青紫の凛とした瞳は、涼しくも優しい眼差しをしている。


「ゾマーのやつ、今日は何をしたんですか?」

「何も。ただ僕のことをずっと睨んでいたね。指一本触れられない今、遠くから電光石を投げようとしたようだけど、先に先生に見つかったみたい」


 ハイディは、右の人差し指をそっと見る。少し赤くなっている箇所があった。


「ああ、嫌だなぁ! なんで近代魔法のやつって野蛮な奴が多いんだよ」

「気持ちはわかるけど、決めつけは良くない。いずれ彼らにだって、古代魔法の崇高さがわかるさ。野蛮な生物は、いずれ淘汰されるものさ」

「ティーリンは寛大だなぁ!」

「さすが、ハイディ家!」


 生徒たちは、ティーリンの言葉一つ一つに沸いた。

 ティーリンは、そんな生徒たちに微笑みを向けると、「そろそろ時間だね」と言って次の授業へと向かった。

 一人になると、ティーリンは小さく舌打ちをした。


「ゾマーのやつ、好き勝手やりやがって、行儀の悪いやつめ…」


 ティーリンは、宙をにらんだ。そしてもう一度右の人差し指を見た。小さな赤い痕が、忌々しい。それは、先ほどゾマーが投げた電光石がかすったものだった。

 ティーリンは、端正な顔立ちを憎悪の表情で歪め、足早に教室へと向かった。




―リモンシェット校 薬学教室


 午後の授業が始まった。多数の生徒たちが、迫りくる睡魔と戦いながら授業を受けている中、今日、エルテ・ロッドは機嫌がいい。濃いブロンドの短髪を、鼻歌交じりに掻いた。その理由は単純だ。

 昼の時間に、校舎と校舎をつなぐ大きな橋で山々を見ていたエルテの目に、ゾマーが映り込んできた。しかも、願ってもないことに、何かしでかそうとしている様子だ。

 エルテは、同学年のゾマーがティーリンに電光石を送るところを目撃し、背筋がぞくっとした。その快感が、たまらないのだ。古代派と近代派の抗争によるつぶし合いは、エルテの大好物だ。

 自分自身はどちらの派閥もくだらないと思っているが、互いを煽ってその争うさまを見物するのはやめられなかった。むしろ、もっと争ってほしいところだ。

 エルテは、この表の地球の世界では有数な大学をモデルにしたリモンシェット校の今のデザインはあまり好みではなかった。入学したときは、もっと遺跡のような外観をしていたので、エルテの好みだったが、リモンシェット校は不定期的にその外観や内装をガラッと変える。中等部の途中で今の造りに変わったときには、心底がっかりした。しかし、その中で行われる争いごとは、年々過激になっていき、そこは変わらず魅力的だった。


 エルテは、整った骨格を覆う薄い肌に左手を当て、頬杖をついた。そして、無意識のうちににやりと口角を上げる。ゾマーが接近禁止令を受け、退屈していたところに、なんていう収穫だ。ああ、本当に今日は機嫌がいい。




―リモンシェット校 寮路地


 「シャノ、ゾマーに石あげたのあんただろ?」


 寮へ向かう道で、今日の授業を終えたシャノ・マーニャは、ほぼ白に近い銀髪の頭を反対側に向ける。


「まあね。ゾマー、困ってたみたいだし?」


 シャノは、猫のような目で友人を見ると、得意げに笑った。


「そんなこと言って、いくらであげたんだよ?」

「人聞きが悪いなぁ。俺は、困ってる人は放っておけない性質なんだよ。飛行学が同じクラスのゾマーのことだ。尚のこと放ってなんておけないよ」

「まったく、うまいこと言いやがって」

「あんたも困ったことがあったら、真っ先に俺を頼ってよね」

「はいはい」


 呆れたような笑顔で立ち去る友人を見送ると、シャノはおもむろにポケットに手を突っ込んだ。

 ジャラッという音が聞こえ、シャノはほくそ笑んだ。ゾマーからもらった代替金だ。正直言って、大したお金ではない。しかし塵も積もれば山となる。シャノは、そのことを熟知していた。

 今日のいくばくかの収穫に満足し、シャノは寮へと向かった。


 リモンシェット校は、完全寮制だ。ほとんどの学校が全寮制のため、この世界では普通のことだった。リモンシェット校の場合は、中等部の三年間はランダムに振り分けられた寮に入る。全部で三つあり、それぞれの寮で特に特徴もない。

 そして高等部に上がるときに、今度は五つの寮のうち希望する寮を選択する。だいたいが希望通りの寮へと入れるが、年度によっては一部抽選となる。

 五つの寮は、表の世界の文化に憧れている様が見て取れる。中寮を中心に、放射状に広がった通路は、他の四つの寮まで続いている。


 シャノは、中寮を選んだ。中寮は、表の世界にあるアメリカという国の、もっとも繁栄へと向かう時期である”古き良き時代”をテーマにしている寮だ。

 各寮の外観デザインや内装、調度品は、それぞれのテーマに合わせたものになっている。校舎とは違って、こちらはそれほど頻繁にデザイン替えはされない。


 中寮の特徴といえば、カフェ・ジジだ。

 五つの寮の中心に位置することもあり、生徒たちはこのカフェを利用することが多い。カフェ・ジジでは、古き良き時代のダイナーをイメージし、生徒たちも校内通貨を稼ぐために働くことができる。しかし、それができるのは中寮の生徒だけだ。そのため、中寮にかける予算はほかの寮よりも潤沢で、生徒たちも自身の寮を愛していた。


 シャノは、カフェ・ジジに入り、いつも頼んでいるデザートをオーダーした。




―リモンシェット校 東寮


 東寮は、主に東アジアの伝統的なデザインを取り入れた寮だ。他の寮よりも比較的落ち着いていて、生徒たちも温和な性格が多い。しかし同時にプライドが高い生徒も多く、神秘的な聖域にもなっている。


 ここで生活している生徒の一人、レティ・ラザは、一学年上の先輩であるゾマーたちの話を聞き、きょとんとした顔をしていた。


「レティ、聞いてる?」


 友人の声も、もはや聞こえていないようだ。

 レティは、表の世界で言う着物風の羽織を脱ぐと、物思いにふけった。


 -どうして近代と古代で争うのだろう。


 友人は、脳内籠りモードに入ったレティをそっとしておこうと、席を立った。レティは、それにも気がつかなかった。レティの脳内では、その大人しい表情とはかけ離れた議論がなされている。


 彼女は、魔法研究が趣味で、幼いころから特に呪術にのめりこんでいた。魔法は、次々に新しいものが作れる。レティの夢は、それを合法的に行える魔法研究学者だ。しかし、それには問題がある。

 レティが嵌っているのは、シャドウハイルと呼ばれる暗黒の闇魔術だ。こちらの方面の魔法研究は、表の世界での世界大戦をきっかけに、現在は行われていない。もちろん、表立って使うことも許されてはいない。

 だがレティは、シャドウハイルこそ世の中を救える魔術だと信じ、破壊したり、傷つけるためのものではないと提唱している。

 こっそりと独学で研究と改良を進めるレティは、古代近代以前に、シャドウハイルにしか目がなかった。


 レティの長いふわふわとしたハイトーンのラベンダーアッシュの髪の毛が前に垂れた。毛先に近づくにつれ、グラデーションのような明るいハイライトが入っている。

 レティは、指に顎をのせて深く深く考え込んでいった。



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