3/招待状

 一週間の接近禁止令が解かれると、校内に緊張が走った。といっても、一部の教師陣と、対立している生徒たちに限った話だが、彼ら以外にとっても、抗争はいいことがない。…それも、一部を除いてだが。


「ティーリン!」


 陽気な声が、背後から聞こえた。振り向きたくはない。声の主は誰だか見当がついている。


「…シャノ」

「なんだ、そんな硬い顔しないでよ。禁止令からの解放おめでとう!」

「正確にはゾマーに出た禁止令だ」

「同じ事じゃん!」


 やけにテンションの高いシャノに、ティーリンは一刻も早くここを立ち去りたいといった表情をした。


「ってことで、なにか困ったことがあったら俺に言ってくれていいんだからな」

「それがいいたいだけだろ。結局は自分の利益ばかり…」

「それっていけないことかなぁ? みんなも俺もハッピーで最高じゃない?」

「……鬱陶しい」

「そんなに眉間に皺寄せてると、取り巻きたちが怖がっちゃうよ?」


 シャノは、親切心で囁くように言った。


「君のベールをはぐ大役、俺は引き受けたくないんでね」

「それなら一層、用事がないときは僕の前に来るな」

「今日のところはもういいか。あ! でもこれは受け取って」


 シャノはそう言うと、一通の手紙を渡した。何かの招待状のようだ。


「今度、カフェ・ジジでパーティーするから、君も来てよ」

「何のパーティーだ…?」

「メイズの誕生日だよ。南寮の。知ってる?」

「ああ。でも僕が行っても、みんなつまらないだろう」

「何言ってるんだよ。表向きのあんたはカリスマ優等生だろ? 近代派だって、それくらい知ってるさ。君の姿を、なんだかんだみんな求めるんだよ」

「…考えておく」

「よろしく!」


 シャノは、そう言うと猫のような笑顔で去って行った。ティーリンは、招待状を胸ポケットに入れると、飛行学のために遊戯場へと向かった。

 今日の飛行学の授業は、いくつかのクラス合同で行うことになっている。教師の一人が、箒レースのために特訓をしていたところ、張り切りすぎてけがをしてしまったようだ。

 そのため、教師が足りなくなり、臨時の措置となった。

 ティーリンは、自分の箒を手に取ると、先に準備をしていたダニーの隣に並んだ。


「遅かったな、ティーリン」

「厄介な奴に捕まった」


 ティーリンは、制服のシャツの袖をまくると、ため息を吐いた。そのため息を近くで見ていた女子生徒は、美しい憂いの表情だと、惚れ惚れと見ている。


「今日はどこと合同だ?」

「どこだったかな…」


 ダニーは、周りの生徒を見回した。


「ああ。エルテたちだ」

「…はぁ」

「おいおい。今日ため息多いぞ?」


 ダニーは、ティーリンを励ますように見る。


「それでは、はじめます! 今日は箒での古代型飛行に加え、リケッジによる近代型飛行も行います」


 担当教師のウーシュナーが、威勢よく声をかけた。


「近代型飛行の学びは、まだみなさんにそこまで馴染みがないかもしれませんが、いずれ箒と同じくらい自在に操れるようになるでしょう」


 ティーリンは、黙って授業を受けている。


「近代型飛行だって…」

「ハイディいるのにまじかよ」


 いつもは異なるクラスの生徒たちは、こそこそと互いに耳打ちをした。


「それでは、まずは箒から」


 ウーシュナーの呼びかけで、生徒たちは一斉に箒を構えた。


「今日は、校内の敷地にいくつかのぬいぐるみを隠しました。それを見つけて取ってきてください。リケッジによる訓練もあるので、上位10名が戻ってきたところで一旦笛を鳴らします。そうしたら、何の成果がなくても戻ってきてくださいね」

「今日は対戦なしかよ」


 エルテが、ぼそっと呟いた。


「これは余裕だね。なんだか中等部の頃を思い出すな」

「そうだな」


 ダニーの言葉に、ティーリンも頷いた。


「では! 各々気を付けるように!」


 先生の掛け声で、皆は一斉に空へと飛び立った。高等部にもなると、もう箒で飛ぶことには慣れている。入学の前に、すでにそれぞれの家庭で練習する者もいるのだから、当たり前だ。

 地上を歩くことと、何ら変わりなかった。


「じゃあダニー、あとでな」


 ティーリンはそう言うと、一段と加速をつけて左斜め前方へと向かった。ティーリンに苦手な科目などはないが、飛行学も得意な方だ。他の生徒を引き離すほどの圧倒的な速度と正確な方向性の差を見せて、そのままティーリンは校内を巡った。

 ふと中央の庭を見ると、授業が始まっている時間なのに本を読んでいる女子生徒がいる。美しい夜空のようなシフォンの着物の羽織を着て、何やら没頭して読書をしているようだ。


 この時間に授業を取っていないだけかもしれない。


 ティーリンは、深く考えずにその生徒から目を離した。たとえ彼女が授業をサボっていようと、自分には関係のないことだ。見たところ、古代派にも見えないし。

 気を取り直して、中庭を離れた。少し上昇すると、時計台が見えてきた。時計の長針に違和感がある。

 ティーリンは、時計台に近づき、長針に器用に乗せられたピンクのテディベアを取った。


「こんなところに。かわいそうにな」


 ティーリンはそう言ってテディベアをそっと撫でると、大事に抱えた。

 遊戯場に戻ると、まだ他の生徒は戻ってきていなかった。


「流石に早いですね、簡単すぎましたね?」


 ウーシュナーはそう言ってぬいぐるみを受け取った。


「久しぶりに楽しんで飛べましたよ」


 ティーリンはそう答えると、リケッジの準備をした。リケッジは、靴、もしくは裸足の足の裏に装着する楕円の器具だ。ティーリンは、革靴の底にリケッジをつけると、耳にアクセサリーのようなイヤーカフをつけた。万が一装置が外れた場合、このイヤーカフで僅かな時間だが補える。強力な魔法の能力がないと、生身で長時間空を飛ぶことは難しい。

 ティーリンは、他の生徒が帰ってくるのを待った。


「集合です!」


 ウーシュナーの声が響くとともに、笛が鳴り響いた。ティーリンの後には、ダニー、そして数人のほかの生徒、七番目にエルテが戻ってきた。

 10名が戻ってきたところで、ウーシュナーは宣言通りに笛を鳴らした。


「準備はよろしいですか? リケッジ飛行はまだ新しい技術ですから、まずは箒と何ら変わりなく飛べるようになることが大事です。校内の飛行コースを、レース形式で飛んできてください。そうですね、時間があまりないので、50kmのコースでお願いします」


 ウーシュナーはそう言うと、再び笛を鳴らした。生徒たちは、先ほどの箒の時とは違い、少しふらつきながらも上空へと向かった。


 その中でも、やはりティーリンの安定感が素晴らしかった。通常、クラスの違う生徒たちは、古代派のティーリンが、いとも簡単に近代魔術を使いこなしている様を見て、目を見開いた。ティーリンは、古代、近代関係なく単純に能力が高いようだ。他の生徒たちは、その能力の違いを密かに羨んだ。能力に不自由することがないのであれば、対立する必要なんてないのに。そう思う者もいた。しかし中には、そんなティーリンが主張するからこそ古代魔法の方が優れ、素晴らしいものだと思う者もいた。このティーリンの高い能力こそが、学内の古代派の士気を高めているのは事実である。一種の洗脳じみたティーリンへの崇拝は、見方を変えれば最強の動機になり得る。


 ティーリンは、またしても他の生徒を大きく離し、空を駆けた。ダニーも、リケッジの扱いはまだそこまで得意ではない。他の生徒と同じく、悪戦苦闘しながら後をついてきていた。


「なんだ、近代魔法も普通に使うんじゃないか」


 周りに誰もいなくなったはずのティーリンは、すぐ後ろから声が聞こえて少し驚いた。飛行学の時間は、大抵他の生徒はついてこれない。

 右をちらりと振り返ると、エルテがつまらなそうな顔をしてこちらを見ている。ポケットに手を入れ、左足を軽く後ろに蹴ると、エルテはすぐにティーリンの隣に並んだ。


「古代派の王子は、なんでもできるんだなァ」


 全くもって興味のなさそうな声色に、ティーリンはエルテから視線を逸らした。


「君もなかなかのものじゃないか」

「王子に褒められるなんて光栄だ」

「…思ってもないことを」

「正直、普通のあんたには興味がないんでね。ただ、近代魔法を使ってるところを初めて見たもんで、少し興味が出てきたよ」

「君に興味を向けられると、碌なことがなさそうだけど」

「ハハハ。王子は良く分かってるな」


 エルテは、微かに口角を上げる。ティーリンとエルテは、お互いにあまり話すことはない。同じクラスの授業もなく、エルテが興味あるのはどちらかというとマゴス・カルテルの中にいるティーリンだろう。


「君は、近代魔法が得意なのか?」

「俺は強い魔法が好きなだけだ。古代も近代も、強ければどっちだって構わない」

「…ある程度能力があるから、君はそんなことが言えるんだ」

「どうだかね?」

「古代魔法は、近代魔法と違って多くの人が個人の能力だけで自然に扱うことができる。生物として、自然との関係は断ち切れないからね。使う者への負担も少ない。近代魔法は、それに比べて負担が大きすぎる。代償も大きい。人間が、勝手なエゴで作り出した。科学だなんだと言って、都合の良い解釈をして、その犠牲を厭わない。敬意もない。そのうちに扱いきれなくなるだろう。偽りの善で作られたものは、いずれエゴを超え、破壊をもたらす。僕は、そんな結末は好まないが」


 ティーリンは、静かに、自分に言い聞かせるように呟いた。


「王子様は考えすぎじゃないか?…まぁ俺には、どうなったっていいことだ」


 エルテはそう言うと、急に速度を緩めた。


「じゃあ王子様、お先にどうぞ」


 ティーリンは、エルテをちらりと見ると、すぐに正面の方を向き直した。エルテ・ロッド。何を考えているのか分からない男だ。

 その後、50kmレースを終えたティーリンは、ぶっきらぼうにリケッジを外した。エルテが戻ってきたのは、10番目だった。



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