第15話

15 土作りは国作り

 ゴッドブレイドがようやく、己の凋落の要因を探り当て、自分に本当に必要だった者の名を、命と引き換えに叫んでいた頃……。


 シュタイマンは山小屋の居間で、上半身裸のダッシュの身体に手を這わせていた。


 少しくたびれた感じの大きな手が、痩せマッチョな肉体を行ったり来たりする。


 ダッシュは時折、「うっ」とか「くっ」とか、悔しさと切なさが入り交じった声とともに、身をよじらせていた。

 そこに、ふらりと人影が現れる。


「お兄ちゃん、いったいなにを……?」


 ハッ!? と振り向くダッシュとシュタイマン。

 そこには、壁にもたれかかるようにしてティアが立っていた。


 ティアは起きだしたばかりなのか、まだ寝ぼけ眼であった。

 瞳はぼんやりとしていたが、やがて焦点を結ぶようにハッキリとしたかと思うと、


「ごっ、ごめんなさい、お兄ちゃん! 本当にごめんなさい!」


 ポッと頬を染めながら、サッと引っ込んでしまった。


「ちょっと待て! なに謝ってんだお前!?

 さては、また勘違いしてるな!? コイツはシュタイマンだよ!」


 『シュタイマン』という単語に、壁際から覗くエルフ特有の長い耳がピクンと跳ねた。

 ティアの顔半分が、おずおずと覗く。


 目が合った途端、シュタイマンは頷き返した。


「どうやら、もう歩けるほどに回復したようだな」


 その渋い声に、ティアは首を絞められた小鳥のように、「ヒイッ!?」と引きつれた悲鳴をあげる。


「まっ……ままっ、まさか、まさか……本当に、おじさまなのですか?」


 ティアのおおきな瞳が水鏡のように揺らいだかと思うと、あっという間に溺れそうなほどに潤みきった。

 シュタイマンは念を押し返すように、もう一度頷く。


「ああ。久しぶりだな、ティア君」


「おっ……おっおっおっおっ……おじさまっ! おじさまぁっ!」


 ティアはおぼつかない足取りで壁際から飛び出すと、父親に向かう赤ん坊のようにヨチヨチと向かっていく。

 シュタイマンに再開できたのがよほど嬉しいのか、滝のようにドバドバと涙を流し、呼吸困難のようにハァハァと息を荒くしていた。


 彼女にとって、シュタイマンは憧れの存在であった。

 想像するだけで胸が高鳴り、夢に見た翌朝などは頬が赤くなってしまうほどの。


 そんな足長おじさんに十数年ぶりに再会したとあって、、彼女は大変なことになっていた。

 一歩、また一歩と距離を詰めるたびに、全身が燃えるように熱くなっていくのが傍目にもわかる。


 まるで、大空に昇っていく天使のように。

 そう、少女にとってはシュタイマンは太陽であったのだ。


 ティアが今にも倒れてしまいそうだったので、シュタイマンは抱きとめようする。

 その広げられた両腕は、少女にとっては雲間から差し伸べられた太陽の手も同然であった。


 ティアはまだ爪先ほどもシュタイマンに触れていないのに、そのまばゆい光芒に焼かれてしまったかのように、


「おっ……おじさまっ……! おひさまっ! おひさみゃぁぁぁ……!」


 彼女以外には理解不能な言語と、直視もはばかれるようなアヘ顔。

 そのままガクガクと引きつけを起こしてしまい、出会って数秒だというのに少女は昇天してしまった。


 次にティアが気が付いたときには、ベッドの上であった。

 少女は天井を見つめながら、ふぅ、と溜息をつく。


「おじさまのことを想うあまり、また、夢に見てしまいました。

 それにしても、いままで以上に現実的な夢で……。

 おじさまはいつも以上にご立派になられていて、素敵でした……」


 ほぅ、と満足そうな溜息とともに寝返りを打つと、ベッドサイドにいた人物と目が合う。


「ティア君、あまり無理をしてはいけない。

 キミは固有ユニークスキルはあまり劣化していないようだが、通常ノーマルスキルのほうが著しく劣化し……」


「おっ、おひさまぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーっ!?」


 こんなことを何度か繰り返して、ティアはようやくこれが現実であると理解した。



 ◆  ◇  ◆  ◇  ◆



 オールドホームの山小屋で、ダッシュとティアの兄妹と暮し始めたシュタイマン。

 自然に囲まれたこの地は自分を見つめ直すには最適で、もともと質素な暮らしをしていたシュタイマンにとっては、なにひとつ不満はないかと思われた。


 しかし、たったひとつだけよろしくない点があった。

 それは食事である。


 毎日の食事はマッハダッシュがたまに獲ってくるという獣を干し肉にしたもので、あとは木の実や草のみ。


「コーヒーは嗜好品であるからいいとして、せめて卵……いや、野菜だけでもないものかね?」


 すると、兄妹は真逆のリアクションを返してきた。


「なに言ってんだよオッサン。このヘルボトムじゃ卵も野菜も、街でしか売ってねぇ贅沢品だぞ。

 そんなに食いたけりゃ、街で盗ってくるんだな。

 朝メシくらい朝メシ前に盗ってこれなきゃ、ここじゃ生きていけないぜ」


「すみません、おじさま。わたしの聖女時代のローブを売ったら少しのお金になるかと想いますので、それで買ってまいりますね」


 シュタイマンは「うーむ」と唸ったあと、食卓を立つ。


「卵も野菜も買ってくる必要はない。ましてや盗るなど言語道断である」


「なんだよ、我慢する気になったのか? 我慢は身体に良くないぜ?」


「いや、紳士たるもの、手に入れるための最大限の努力をするまでだ」


 シュタイマンは山小屋の裏にある、雑草に埋もれた納屋から、農作業用の道具を引っ張り出す。

 どれもサビ付いていたので砥石で研ぎ直すと、まずはカマを使って山小屋のまわりの雑草刈りを始めた。


 兄妹はその様子を、ポカーンと眺めていたが、


「おじさま、わたくしもお手伝いさせていただいてもよろしいですか?」


 ティアの申し出を皮切りに、ダッシュも草刈りを手伝ってくれた。

 3人がかりで山小屋のまわりの草を刈り終えると、シュタイマンが次に手にしたのはクワ。


 山小屋の目の前の空き地でクワを振るい、畑として耕しはじめた。


「なにをするかと思ったら、自給自足するつもりかよ!? 枯れた顔して青い野郎だな!」


「その通り。まずは野菜を手に入れるための努力を、わたくしはしているのだ」


「タネは、どうされるおつもりなのですか?」


「おそらくこの山には野生種の野菜がいくつかあるだろうから、それを植えることにしよう」


「まったく、気の長ぇ話だな」


 するとシュタイマンは振り下ろしたクワを止め、ふたりを見つめた。


「その通り。でも我々は、こうしてひとつの国を興したではないか」


「そういえば、キッカケは畑づくりだったよな」


「そうですね。それで少しずつ人が集まってきて、だんだん賑やかになっていったんですよね」


「土を作ってたら、いつの間にか国ができちまってた……。

 まぁなんでもいいや、ヒマだから手伝ってやるよ。

 眠気覚ましくらいにはなるだろうからな」


「ではわたしは植えられそうなお野菜を探しに、森のほうに行ってまいりますね」


 それはひとりの紳士の『野菜が食べたい』という、些細なキッカケにすぎなかった。

 しかし、少年と少女はたしかに取り戻していたのだ。


 かつて多くの人々を力強く導き、そして多くの人々を慈愛に包んだ、あの頃の表情を……!

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