第8話

08 マッハダッシュとドロップティアー

 シュタイマンの目の前に突如として現れた少年。

 革ジャンに革ズボンに革の指切りグローブと、シュタイマン以上に山にはふさわしくない格好をしている。


 しかし金色の髪は野山をはしる獣のように、無造作ながらも流麗。

 顔つきは若き狼のように、未成熟ながらも精悍であった。


 そしてなによりも目を引いたのは、鋭く尖った耳。

 そう、彼は『エルフ族』であった。


 少年はシュタイマンの構える音叉に、大ぶりのナイフをギリギリと食い込ませながら、ニヤリと笑う。


「この俺の一撃を受け止めるとは、なかなかやるじゃねぇか。

 ……でも、コイツはどうかな!?」


 少年はパッと飛び退くと、姿勢を低くしてナイフを逆手に構えなおす。


 来る……! とシュタイマンはスキルの発動を察し、音叉の柄をジャキンと伸ばした。

 音叉は彼の武器でもあり、伸縮式の柄を伸ばすと刺叉さすまたのように使うことができるのだ。


 次の瞬間、無数の刃の雨が降り注ぐ。


「そらそらそらそらあっ!」


 少年はナイフをめちゃくちゃに振り回して斬りつけまくる。

 それは剣術もなにもあったものではないケンカ殺法であったが、太刀筋は剥き出しの鋭さがあった。


 ふたつの力がぶつかりあうたびに、鈍い金属音と火花があたりに散る。


 しかしシュタイマンは防戦一方。

 阿修羅が放つような斬撃を受け止めるので精一杯で、じりじりと後ずさりしていた。


 シュタイマンの額にひとすじの汗がつたう。

 これは、命の危機を感じたからではなかった。


 彼は身を持って、たしかに感じていたのだ。


 『スキルの劣化』を……!


「へへっ、コイツまでしのぎきるとは、ずいぶんはりきってんなオッサン!

 じゃあ、そろそろ本気でいくとするかっ!」


 少年はついにナイフを投げつけてきた。

 顔に向かって飛んできたそれを、シュタイマンは刺叉の先で弾き飛ばす。


 少年は吠えた。


「……どこまでも、トバすぜっ!

 ワイルド・ファァァァァァァァァーーーーーーーーーーーーング!!」


 ……ゴッ!


 振りかざした手が青白いオーラに包まれ、狼爪のように変貌。

 青き狼となった少年の一撃は、瞬きよりも速くシュタイマンの首筋をわし掴みにする。


 その首の皮一枚ほどの寸前で、止まっていた。


 少年はまた、ニヤリと笑う。


「ここまでだ。あとは俺がその気になれば、オッサンの首はいい音で鳴くだろうな」


「その瞬間を、キミはブーツにキスしながら見るつもりかね?」


 少年は「なに?」と眉をひそめる。

 気付くと、彼の首には刺叉の先が押し当てられていた。


「この刺叉にもなる音叉は、特殊な金属でできていてね。

 狼藉者の首をこうして押えるだけでなく、大バサミのようにちょん切ることもできるのだよ。

 もちろん、わたくしがその気になればの話だが」


 少年は鼻で笑った。


「フン、そういうことか。山の中でオッサンと心中なんてゴメンだな」


「わたくしも同感だ」


「ならこうしようぜ、いっせーので同時に離すんだ」


「いいだろう」


「よーし、それじゃいくぞ。……いっせーの!」


 しかし、ふたりともピクリとも動かない。


「おいおい、なんで離さねぇんだよ!?」


「キミこそなぜ離さなかったのだ?」


「チッ、しょうがねぇな。ならもう一度だ、今度こそちゃんと離せよ!

 いくぞ、いっせーのっ!」


 しかし、ふたりともピクリとも動かない。


 少年はとうとう吹き出し、シュタイマンも珍しく口角を吊り上げてしまっていた。


「あっはっはっはっはっ! シュタイマン、相変わらずだな!」


「そういうダッシュ君こそ、元気そうでなによりだ」


 ふたりはまるで古くからの友のように笑いあう。

 示し合わせてもいないのに、同時に武器をおさめながら。


 『マッハダッシュ』、通称『ダッシュ』。

 彼こそがスキルフル帝国を立ち上げた初代帝王であり、ヒート族たちの手によって追放された前王であった。


 見た目は高校生くらいだが、それはエルフ族の特性によるものである。

 シュタイマンのリクニス族が中老年の姿のまま生き続けるように、エルフ族は青少年の姿から変わらない。


 そのため、ふたりはほぼ同い年だというのに、親子ほども歳が離れているように見えてしまうのだ。


 ダッシュはシュタイマンの肩をポンポン叩きながら、山小屋へと案内する。


「で、ジェントルマンはいったい何しにこんな所に来たんだ?」


「わたくしも流刑に処されたのだ。

 我らがスキルフル帝国を立ち上げたこの地なら、皆に会えるだろうと思ってね」


「なんだ、お前もとうとう用済みか! そういうことなら歓迎するぜ!」


 シュタイマンと仲間たちが暮した山小屋。

 そこには追放された仲間たちが集まっていて、昔と変わらぬ暮らしをしてるであろうと思っていた。


 しかし中は、誰もいないかのように静まり返っていた。


「ダッシュ君、他の者たちは出かけているのかね?」


「出かけてるっていやあ出かけちまってるかな。もう二度と戻ってこねぇだろうけど」


「なに? なにかあったのかね?」


「なんかわかんねぇけど、そうなっちまった。

 帝国を追放されて、みんな気が抜けちまったんだろうな。

 この俺もそうさ、昔みたいに『やってやろう』って気にならなくなっちまった」


「まさか、ティア君も……?」


「いや、ティアは奥で寝てるぜ。

 アイツは出て行く力も無くしちまって、ずっと眠れるお姫様さ」


 シュタイマンはすぐさまティアの部屋へと向かう。

 そこには、ひとりの美しい少女がベッドに横になっていた。


 『ドロップティアー』、通称ティア。

 ダッシュの妹で、長い銀髪の少女。かつてはスキルフル帝国を代表する聖女であった。


 透き通るような白い肌はさらに白く、もはや幽霊のように実体がないかのようであった。

 湖のように大きな瞳は開くことはなく、死人のように静かに閉じたままであった。


 シュタイマンは、後悔の念に打ちのめされるようによろめく。


「まさか、スキルを調律チューニングせずに放置してしまうと、『劣化』がここまでに達するとは……!

 わたくしがもっと、もっと早くにここに来ていたら、ここまで酷くはならなかったのに……!」


 背後にいたダッシュが「なに?」と声をあげる。


「それは、どういうことだ? ティアが寝たきりになったのと、スキルがどう関係があるんだ?」


 シュタイマンは『通常ノーマルスキル』と『固有ユニークスキル』の概念ついて、ダッシュに説明した。


「なに? それってつまり、人間の身体はぜんぶスキルでできてるってことか?」


「その通り。スキルというのは調律チューニングしないと不調をきたすことがあるのは知ってのとおりだ。

 それは今までは、『固有ユニークスキル』のみのことを示していた。

 しかし新たに『通常ノーマルスキル』の概念が発見され、人間の身体はスキルでできているということが新たにわかったのだ」


「マジかよ!? そんなの初耳だぞ!?」


「そうであろうな。近年になってわたくしが提唱した理論であるから」


「お前かよ!? でもまあそれならティアが寝たきりな理由もわかるぜ!

 街の医者をさらってきて診せたことがあったけど、原因不明って言われたからな!」


「『通常ノーマルスキル』は人間本来が持つものであるから、自然治癒の力が働く。

 また医療でも治すことは可能だが、深い絶望などに囚われたりすると、それもかなわなくなるのだ」


「深い絶望、だと……!?」


「それはともかく、すぐに調律チューニングしないと大変なことになる。

 こうなったのもわたくしの責任でもあるから、なんとかやってみせよう」


 シュタイマンはベッドから布団を剥ぎ取り、ネグリジェ姿のティアに手をかざす。

 触るか触らないかのギリギリのところを手を這わせながら、何度も音叉を鳴らした。


 静かな部屋のなかに、ポーン、ポーン、ポーンと、時を刻む鳩時計のように規則的に、音叉が鳴り響く。


 それは長時間にわたる。

 そばにいたダッシュはシュタイマンがなにをやっているのかさっぱりだったが、手術に立ち会う家族のように固唾を飲んで見守っていた。


 やがてシュタイマンは、額の汗を拭いながら顔をあげると、


「ふぅ、これでもう大丈夫だ。時間が経てば、起き上がれるようになるであろう」


 ベッドの上の消えかかっていた少女は、少しだけ実体を取り戻したかのように見えた。

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