自分の音(愚者の正位置)
彼は風、誰にも干渉されず自分が思った道を次々と行く。その結果が良くても悪くても、彼の足が止まることはない。
それは時にひやひやするけれど、心のどこかでは羨ましいとさえ思っている。彼の行動はどれも潔いからだ。
「愚者さん、それどこから持ってきたの?」
「主か、これは最近立ち寄った海で見つけたんだ!」
彼が持っていたのは、貝殻。その中の一つに法螺貝があり、彼はそれを耳に当てて遊んでいた。
貝殻はどれも綺麗に磨かれており、アクセサリーに使えそうなものばかりだったが、法螺貝だけは薄汚れている。耳に当てられた法螺貝は、かなり大きめのもので、近寄ると海独特の潮の香りがした。
「何してるの?」
「これか、海の声を聴いているんだ!」
「海の声……?」
それを聞いて、一つ思い当たることがあった。法螺貝に耳を当てると、『ゴー』という音が聞こえるという話を聞いたことがある。
それを海の音だと言っている人がいるが、実際は自分の耳の中の音が跳ね返って聞こえるだけで、海の音というわけではない。きっと彼はそのことを知らないのだろうと、少し可愛らしく見えた。
「そうなんだ、海さんはなんていってるの?」
私の問いかけに、彼は驚いた顔をした。何か変なことを聞いてしまったのだろうかと不安になる。
「主も海の声が聴けるのか! 今までの者には自分の音が聞こえるだけだといって馬鹿にされたんだが、やはり聴こえるものもいるようだな!」
その言葉に、私の心が痛くなった。馬鹿にしたつもりはないが、きっと本当のことを話せば、また馬鹿にされたと思ってしまうだろう。だからといって彼に嘘をつきたくはない……どうしようかと悩んでいると、彼が言葉を続けた。
「実はな主、皆が言っていることは本当なんだ。ここから聞こえるものは海の声ではない、だが海の声だと思って聴くと、すごく楽しい気分になるんだ!」
「!」
「たまに息抜きしたくなるときがあるだろう? そんな時にこの音を聞くと、不思議な気持ちになって楽しくなってくるんだ! それに、自分の音ってことは、自分の声がちゃんと自分にも聴こえるってことだろう? 自分と向き合ういい機会になるじゃないか!」
「愚者さん……」
「主も、息抜きがしたくなった時には海の声を聴くといいぞ! 一番痛みを分かってくれるのは、自分だからな! それは記念に主にやる、好きな時に使うといいぞ!」
そう言って彼は立ち上がり、またどこかへ行ってしまった。
彼は本当のことを知っていたうえで、それが自分にとって何に生かせるのかを考えた。真実を交えながら、穢さないようにしながら……彼のことを思って嘘をつこうとした私に対して、真実を話したうえでこう考えればいいと提案してくれたのだ。
「……ごめんね、愚者さん……ありがとう」
こぼれる涙を拭きながら、彼と同じように耳に当てる。初めて聴いた海の声は、彼の言う通り不思議で楽しく、落ち着く音だった。
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