第51話
51 雪の女王と姫
ほのかに漂う甘い香りに鼻腔をくすぐられ、少女は意識を取り戻した。
「ん……」
今までに感じたことのないほどの、心地良い目覚め。
雲の上に寝そべっているかのような柔らかさに身体が包まれていたので、思わず二度寝したくなってしまう。
しかしもう、朝のはず……。
少女は誘惑を振り切るように身体を起こし、めいっぱい伸び上がった。
「んんーっ」
そして、目の前に広がる光景に、魂を抜かれる。
横になっていたのは、純白の聖櫃のような、天蓋つきのベッド。
布団も真っ白で、周囲は朝霧のような美しいレースに覆われている。
一発で目が醒めてしまった少女は、瞬きも忘れてあたりを見回す。
どうやらここは寝室のようだった。
レースの向こうにある室内は、雪景色のような白一色が広がっている。
カーペットはもちろん、広大な空間にところどころに置かれた机や椅子、タンスやシャンデリアにいたるまでのすべてが、曇りないエナメルホワイトの調度品。
さらにはそのどれもが、雪の結晶のような繊細なレース編みで彩られており、まるで自然の芸術品のよう。
なかでも、パイプオルガンのように壁一面にしつらえられたドレッサーは圧巻であった。
これを日常的に使っている人間は、確実にこの世界の頂点に君臨する人物であると思えるほどに。
しかも室温も、暑くもなく寒くもなくちょうどいい。
アロマのようないい香りが、どこからともなく爽風に乗って流れてくる。
少女は、突然放りこまれたこのゴージャス空間に、言葉もなかったが……。
やがて納得いったように、ぽんと手を打ち合わせた。
「あ、そっか。これって夢だよね。だったら……もっとねーちゃおっと。こんなお姫様みたいな素敵な寝室で眠れることなんて、現実では絶対にない……」
「あら、スッキリおっきした?」
雪の女王のような人影が現れ、少女は飛び上がる。
薄いヴェールの向こう。
ウエディングドレスのような格好で、花嫁のように微笑んでいたのは……。
このオリエンス賢者学園の、みんなの良妻……!
「み……ミルキーウェイ・フルムーン様っ!?!?」
思わずフルネームを叫んでしまうほどに、少女は仰天する。
「ええ。シトロンベルさん、もうムクムクおっきしても大丈夫そうね」
「えっ!? ええっ!? ええええっ!? ミルキーウェイ様が、どうして私の名前を……!?」
「セージさんが、シトロンベルさんをヨイショヨイショと運んできたときに、教えてくれたの」
「えっ!? ええっ!? ええええっ!? セージちゃんが!?」
「ええ。なんだかシトロンベルさんのことを、グルグル巻き込んじゃいけないから……。勝負が終わるまで、ここでシッカリ預かってほしいって、キッパリお願いされたの」
シトロンベルは、ミルキーウェイと話すのはこれが初めてであった。
というか、この学園の生徒の大半は、ミルキーウェイと話したことがない。
彼女のまわりにはいつも沢山の取り巻きがいて、近づくことすらできないのだ。
シトロンベルは彼女が醸し出す、
まるで園児に接する保母さんように、ゆっくりとやさしい声で、慈しむように話しかけてくれるのだ。
そっと頬を撫でられているような気分になり、思わずトロンととろけてしまうシトロンベル。
しかしあることを思い出し、その気持ちはすぐにパチンと弾けた。
「せ……セージちゃんとミルキーウェイ様って、本当にお知り合いだったんですね!? 噂では、セージちゃんが一方的にミルキーウェイ様に話しかけたってことになってますけど……!?」
セージは空気を読まないタイプなので、さもありんなんと少女は思っていた。
しかし彼女は、クスリと笑って首を左右に振る。
「ううん、あれはわたしの方からセージさんに話しかけたの。どうしてもハラハラ心配だったから、まわりの人たちが見ていないときに、コトコト抜け出して、トコトコセージさんの所に行ったの。ひさしぶりにパタパタ走っちゃったから、スッテン転んじゃったわ」
結婚式を抜け出した花嫁が、新たな幸せを見つけたような瞳で、ミルキーウェイは言った。
貞淑なお姫様のような彼女が、そんなことをするだなんて……とシトロンベルの胸に、小さな驚きがうまれる。
走っている姿も、ましてや転ぶところなんてまったく想像できない。
「ところで、シトロンベルさんがわたしの元にコロリンと来たとき……。シトロンベルさんはスヤスヤ気を失っていて、それに、ツルツルのハダカさんで布さんに包まれていたの。セージさんはそのままスタスタどこかに行っちゃって、聞けなかったんだけど……いったい、何があったのかしら?」
「それは、その……」
尋ねられたシトロンベルは最初は口ごもっていたが、やがて花がほころぶように話し始めた。
本来は胸にしまいこんでいたものが、この不思議な空間で、神々しい人物の前だと……。
おもちゃ箱の人形が意思を持ったかのように、次々と飛び出してくるのだ。
少女は俯いたままだったが、まるで生まれたままのような素直な気持ちになって、滔々と語る。
それは、セージ少年との出会いから始まるという、長いものだったが……ミルキーウェイは隣に腰掛け、何も言わずに静かに聴いてくれた。
セージちゃんと初めて会ったのは、この学園の入学式の日で……。
私が招待状をなくして落ち込んでいたところに、急に抱きついてきて……。
その……。
キス、しちゃったんです……。
もちろん事故だったけど、初めてのキスでした……。
そしてセージちゃんは私がなくしたと思っていた招待状を、見つけてくれて……。
その日はそのまま分れたんですけど、私のなかではずっとセージちゃんのことが、忘れられなくて……。
再会したのは体育の合同授業のときでした。
そこでセージちゃんは、私がパパから教わっていたのと同じ剣術で、大活躍して……。
私が危ないときに、自分がケガするのもかまわず、かばってくれて……。
私のなかでどんどん、セージちゃんが大きくなっていったんです。
でもセージちゃんは私より8つも歳下だったから、男の子というよりは、私にとっては近所にいる子供みたいな感覚でした。
たぶん……意識するのが怖くて、そう思い込んでいたのかもしれません……。
だって、私はパパ以外の男の人に、興味がありませんでした。
結婚するならパパみたいに落ち着いた人にしようって、ずっと思ってました……。
セージちゃんは剣捌きこそパパにそっくりでしたけど、性格は全然違ってて……。
なんていうか、喧嘩っ早くて、口が悪くて……。
そして……空気が読めなくて……。
相手が先生だろうが
自分が正しいと思ったら、そこにいる人間を全員敵にまわしても……。
信念を、ぜったいに曲げない男の子でした……。
でも私は、そんなセージちゃんと違って……。
素直に、なれませんでした……。
たぶん、男の人を好きになったことがなかったから……。
どう接していいのか、わからなかったんだと思います。
お姉さんぶることで、少しでもセージちゃんに触れようとして……。
保護者ぶって、少しでも一緒にいようとしました……。
それで後になって思い返すと、私はなんて恥ずかしいことをしたんだろう、セージちゃんを引かせちゃったんじゃないか、って……。
毎晩、枕に顔をうずめて、ジタバタしていました。
でもセージちゃんが私の作ったサンドイッチを食べてくれたときは、本当に嬉しかった……。
そのお返しでお家に呼ばれたときは、天にも昇る気持ちでした。
でも、でも……。
それでもやっぱり、素直になれなくて……。
そしてこの前、セージちゃんが捕まえた妖精をくれたんです。
その妖精が私の中に、入ったとたん……。
すごい力が湧き上がってくるのを感じて、それと同時に、抑えていた感情があふれてきて……。
もう我慢できなくなって、セージちゃんを押し倒してしまって……。
その……。
キス、しちゃったんです……。
それまでセージちゃんとは、何回かキスしてきました。
ぜんぶ事故でしたけど……。
私は部屋でひとりになった時に、セージちゃんの顔を思い浮かべながら、キスの練習をしていました。
いつかちゃんとキスできる日がきたら、素敵なキスをしよう、そう思っていました……。
でも私が、自分から初めてしたキスは、とんでもないものでした。
セージちゃんを食べちゃうくらいに、必死になって吸い付いて……。
セージちゃん、なんだか苦しそうで……でも、やめられなくって……。
多くの人たちに見られてるって気付いたら、もう、駄目で……。
それからセージちゃんには会えなくなりました。
あの時のことを思い出すだけで、顔から火が出るくらい恥ずかしかったんです。
でも……セージちゃんがドルスコイ様と、『スレイヴマッチ』をするって噂を聞いて……。
私はいてもたってもいられなくなったんです。
たとえ朝までかかったとしても、セージちゃんを止めよう、って……!
たとえ止められなかったとしても、好きだっていう気持ちを、ちゃんと伝えよう、って……!
それで……お泊まりの準備をして、夜にセージちゃんのログハウスに行ったんです。
でも、セージちゃんはお家にはいませんでした。
すぐに帰ってくるだろうと思った私は、セージちゃんをびっくりさせたくて、ベッドの中に隠れることにしました。
これは……ママに教えてもらったんです。
本当に好きな男の子ができて、その子が困っているときや、大変なときは……。
何もしないくていいから、一緒にいてあげなさいって。
ぐっすり眠れるように、そばにいてあげなさいって。
ママもそうやって、パパを励ましていたそうです。
だから私も、そうしようと思って……。
セージちゃん
なぜかいきなり、まわりが燃え始めて……。
それで逃げる間もなく火に包まれちゃったんです。
もう駄目だと思ったら、セージちゃんが助けにきてくれて……。
なぜかセージちゃんもハダカでしたけど、私は安心しちゃって……つい、眠っちゃったんです。
セージちゃんを安心させるつもりだったのに、逆に安心させられちゃいました……。
ひととおり話し終えたシトロンベルは言葉を区切り、顔をあげてミルキーウェイを見た。
とりとめのない話に、女王様は退屈しているだろうと、お姫様は思ったのだが……、
「な……なるほどぉ……! フムフムなるほどぉ……!」
あったか雪の女王様は、予想外の食いつきっぷりであった。
瞳孔の開ききった瞳をキラキラと輝かせ、なぜか熱心にメモまで取っている。
「事故を装ったキスさんに、ピンチな姿を見せて、守ってもらう……! 手作りのお弁当さんに、お姉さんっぽいスキンシップ……! それにお家さんのベッドさんに、ツルツルのハダカさんで忍び込む……! 他には? 他にはモットモットないの? 他にどんなことをすれば、セージさんとキャッキャと一緒にいられるの?」
それどころか、おかわりを要求してくる始末であった。
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