第50話

50 生まれいでし炎

 それから、シトロンベルもチャン兄妹も、俺の家には来なくなった。

 3人とも気まずくて、合わせる顔がないのかもしれないな。


 ドルスコイとの勝負までの1週間は、特になにもやる気がしなかった。

 塔を探索する気も起きなかったので、ヒマ潰しに授業に出たりする。


 それと、温泉探しをやった。

 このオリエンス賢者学園の敷地内はかなり広大で、ビーチや山まであるのだが、俺の住んでいるログハウスの裏山には温泉があるらしいので、それを探してみることにしたんだ。


 温泉は山の中腹あたりで見つけたんだが、森の湖畔のように静かで、しかも見晴らしも良かったので、一発で気に入った。

 しかも源泉だったので、お湯が綺麗で広々としている。


 その温泉を見つけたのは昼間だったんだが、入るなら夜だろうと思い、日が暮れるのを待った。


 そして、2周目の人生における、初めての風呂は……。

 変な声が出るくらい気持ち良かった。



「くあぁぁぁ~!」



 きっとこの先に同じように生まれ変わったとしても、この気持ちよさだけは変わらないだろうな。


 いままで溜め込んできた疲れが、お湯に溶けていくようだった。

 よく考えたら……このおかしな世界に放り込まれて、ずっと突っ張りっぱなしだったような気がする。


 傲慢な先輩に、見下すクラスメイト。盗みを働く子供たちに、子供たちを悪用する大人たち……。

 そしてこの世界を支配している、賢者フィロソファーのヤツらに……。


 この世界では『当たり前』だったことに対し、ずっと反発し続けてきた。


 もし俺の人生が1周目なんだったら、この世界の異常さには何ら気付くことなく……。

 他のヤツらと同じように、賢者フィロソファーにヘーコラしてたんだろうな……。


 しかしこの俺がまさか反体制なんていう、カロリーを使うわりにワリに合わない事をするだなんて……。

 これも、女神アイツがよこした賢者の石コイツのせいなのか……?


 俺は、眼上に広がる満点の星空と、眼下に広がる学園を眺めながら……。

 贅肉ひとつない、女みたいな身体をこすっていた。


 いまごろは、学園のヤツらも風呂に入ってる頃かな。


 ちなみに寮のほうは共同浴場らしい。

 賢者フィロソファー候補生の寮には、それに加えて個別の部屋風呂と、山から引いているという温泉設備があるらしい。


 もしかしたら……俺がいま浸かっているお湯が、ヤツらの所に流れて行っているのかもしれないな。

 そう考えると、いくぶん気分が良いかもしれない。


 なんてどうでもいいことを考えながら、ほっこりしていると……。

 ふと山の麓から、オレンジ色の光が立ち上っているのが見えた。


 なんだ、アレ……?


 すぐにその正体に気付いた俺は、シッポを踏まれた猫のように温泉から飛び出した。


 アレは……火だっ……!

 しかも……俺の家ログハウスの方からだっ……!!


 俺は身体も拭かず、服も着ず、コートだけ羽織って転げるように山を駆け下りる。

 そして、目にしたものは……。


 空を焦がすほどに、天高く燃え上がる大火……!

 熱したガラスに閉じ込められたように、赤黒い炎に包まれる、丸太小屋だった……!


 離れていても伝わってくる熱気に、肌をヒリつかせながら……。

 俺は思案する。


 くそっ……!

 火の元になるものなんて、なにも置いてなかったはずだぞ!?


 いや、違う……!

 この局地的で、段階のない燃え方は、放火……!


 どっかのバカが、火を付けやがったんだ……!

 しかも、魔法で……!


 魔法……?

 そうだ、魔法を使えば……!


 俺は延焼を防ぐために、『発火ファイヤリング』の魔法を使うことを決める。

 いわゆる、爆風消火ってやつだ。


 しかしそれを思いとどまらせるに十分すぎるものが、燃え落ちる音に混ざって、俺の耳に届いた。



「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーっ!! 助けてっ!! セージちゃん!! セージちゃぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーんっ!!!!」



「……シトロンベル!? 中にいるのか!?」



 俺は脊髄反射のように叫んでいた。

 そして……危険性とかそんなものを考えるヒマなく、飛び込んでいた。


 夏の虫よりも速く、炎の中へ……!!


 ログハウスの裏口は、ご丁寧に置き岩によって塞がれていた。

 正面の玄関のほうに回ることも考えたが、その時間も惜しい。


 俺はドラゴンの舌のような、真っ赤な炎が噴き出す割れ窓にダイブした。



 ……ガシャァァァァァーーーーンッ!!



 ガラスの破片が頬をかすめ、赤い筋が走る。

 そんな手荒い歓迎ですら、生ぬるいと思えるほどの炎が、室内には広がっていた。


 火というのは、這うよう上に向かって伸びる。

 天井はすでに蹂躙しつくされており、壁すらも飲み込んでいた。


 床は虫食いのようになり、灼熱がじわじわと侵食している。


 俺の視界は、熱気で蜃気楼のように揺らぎ、濃霧のような煙も手伝って、先はほとんど何も見えなかった。

 音だけが頼りだ。叫ぼうと息を吸い込んだが、煙をモロに吸ってしまう。


 むせながらコートのフードを深く被り、口を押さえると呼吸がだいぶ楽になった。

 布ごしに、俺は叫ぶ。



「シトロンベルーーーーーーっ!? どこだーっ!?」



「せっ……セージちゃ……!? ごほっ!? ごほっごほっ!? げほっ!!」



 か細い返事は、屋根裏の寝室のほうからだった。


 俺はコートのポケットから取り出したグローブを、急いで片方だけはめる。

 燃え残った柱めがけ、糸を放つ。



 ……シュバッ!



 錬金術で補強していたおかげで、糸は炎に触れても燃えない。

 柱も崩れることはなく、俺を一気に屋根裏へと運んでくれた。



「……シトロンベルっ!!」



 お嬢様はベッドの側に倒れ、気を失っていた。

 そして、なぜか全裸にシーツ1枚だった。


 その華奢な身体に、燃え落ちた木片が降りかかろうとしていたので、俺は咄嗟にコートを広げ、覆い被さる。

 よく考えたら、俺もコートの下は何も着ていない。


 しかし彼女はすでに意識朦朧としているようで、全裸で抱き合うハメになってもなんともないようだった。

 焦点の定まってない薄目で、彼女はうっすらと唇を開く。



「……せ、セージちゃん……助けに来てくれたの……?」



「ああ。白馬の王子様じゃなくて変態少年だが、我慢してくれ」



「……なんで……なんでハダカなの……?」



 本当はおしゃべりをしているヒマなどないのだが、お嬢様を安心させるために、俺はつとめて普通の口調で返す。



「そういうお前こそ、なんで人ん家でハダカなんだよ」



「パジャマに……着替えようと思って……」



「なんだそりゃ」



 しかしそれ以上の返事はない。

 安心したのか、まるで眠るように意識を失った。


 ……って、寝かせてよかったのか?

 でも、まーいっか。


 どうせ起きてても寝てても、これから夢みたいな事が起こるのには、変わりないんだからな……!


 ……とは言ったものの、どうするべきか……。


 この寝室は、まだ燃え残っているほうだが、それも時間の問題……。

 早くいい手を考えて、ここから脱出しないと、崩れ落ちるぞ……!?


 このコートは女神サマが気を遣ってくれたのか、火のそばにいても熱くないし、燃えることもない。

 しかし、ふたり分の身を守るには小さすぎる……。


 俺は知恵を絞る。

 なにか使えるものはないかと、あたりを見回した。


 すると……手を伸ばせば届くくらいの距離に、紫色の布が落ちていた。

 業火の中においてもなお、その高級そうな光沢は失われていない。


 あれは……相撲部そうぼくぶから奪った、『魔法遮断の布』……!

 そうか、この火事は魔法によるものだから、あの布は燃えないのか……!


 俺は布を引きずり寄せ、シトロンベルの身体を包んだ。

 コートと違ってかなり大きいので、お嬢様の身体も全身すっぽりと覆うことができた。


 赤ちゃんのように顔だけ出した状態にして、お姫様抱っこをする。

 しかし、



「ぐぎぎぎぎ……!」



 かなり、重いっ……!


 いや、彼女はスレンダーなんだが、将来性じゅうぶんに、出ているところは出ている。

 14歳にして、誰もがうらやむプロポーションをしていて、まだ6歳の俺にとっては色んな意味でツラい。


 しかし、火事場の馬鹿力のつもりで必死に持ち上げる。

 屋根裏部屋から助走をつけ、一気に下の居間へと飛び降りた。



 ……ドシャッ!



 崩れ落ちそうになったが、なんとか踏みとどまる。

 衝撃で天井が崩れ落ちてきたところを、



 ……ドォンッ!!



 発火ファイヤリングの魔法で、思い切り吹き飛ばしてやった。


 さぁて……!

 お姫様が腕の中にいる以上、もう遠慮はいらないよな……!



 ……ドガァッ!! ドゴオッ!! ドバァァァァーーーーーンッ!!



 俺のまわりで、次々と大規模な爆発がおこる。

 天井がガス爆発を起こしたように弾け飛び、壁はコントのセットのように砕け散り、柱がロケットのように打ち出された。


 開けた視界の向こう……。

 ログハウスの玄関前にある広場には、ふたり組の男がいて、



「うわぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーっ!?!?」



 と腰を抜かしていた。



「せ、セージが中にいたぞっ!?」



「し、シトロンベルさんだけじゃなかったんだ!?」



「でも、シトロンベルさんは助かったようだぞ!」



「よ、良かった……! シトロンベルさんになにかあったら、あの御方がお怒りに……!」



「でも……セージはなんでこの炎の中で、立ってられるんだっ!?」



 俺はヤツらの疑問には一切答えず、ゆっくりと歩み寄っていく。

 俯かせていた顔を、おもてに向けた瞬間、



 ギィィィィィィィィィーーーーーーーンッ!!



「ひっ……!? ひいいいいいいいいーーーーーーーーーーっ!?!?」



 ヤツらは、鋭く光るナイフで心臓を抉られたかのように、真っ青に凍りついた表情で這い逃げていった。


 俺は知らず知らずのうちに、ヤツらを恐怖のどん底に落としていたらしい。


 いや、それどころか……。

 あれほど猛威を振るっていた炎も、俺の前では道を開け、跪くように小さくなっていた。



「お……鬼っ!? い、いや……悪魔だっ……!!」



 誰かがそう叫んだ途端、



 ……ドッ……!!


 ゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーンッ!!!!



 俺が初めて『発火ファイヤリング』の魔法を使ったときのような業火が、俺の背後で吹き上げ……。

 ログハウスもろとも、残っていた炎を木っ端微塵に消し飛ばす。


 ……俺は、どうやら……。

 1周目の人生でも起こりえなかった感情を、抱いていたらしい。


 本気の……。

 どいつもこいつも、ブチ殺してもかまわないと、思えるほどの……。


 マジモンの、怒りを……!!

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