第10話

 ミルキーウェイから『賢者の石ハンドブック』を貰った俺は、来た道を戻っていた。

 イボガエルのおかげで無駄な時間を使ってしまい、腹が減ってきたからだ。


 ミルキーウェイもミルキーウェイで、部屋で一緒に食事をしましょうと、人さらいのように俺を連れて行こうとするので、振り切って逃げてきた。


 次のお目当てである食堂は、『下僕ペットレイヴ候補生寮』の近くだったから、すぐに着いた。

 食堂は、塔ひとつを丸々使った広々とした空間だった。


 しかしその空間の大半を使っているのは、賢者フィロソファー候補生。

 ホテルの高級ラウンジのような眺めのよい高所にあり、大理石のテーブルに料理を広げ、革張りのソファで寛ぎながら食事を楽しんでいる。


 その吹き抜けの眼下には、従者サーバトラー候補生の食堂。

 庭園があり、木のテーブルや椅子ではあるものの、いちおう食堂のテイにはなっている。


 そして、壁に囲まれた刑務所の食堂のような、狭苦しいスペースが下僕ペットレイヴ候補生の食堂。

 俺がその部屋に入り、配給カウンターの列に並んでいたら、ヤジが飛んできた。



「おい! そこのチビ! ここは下僕ペットレイヴ候補生の食堂だぞ!」



「お前は無宿生ノーランだろうが! 無宿生ノーランの食堂はアレだよ!」



 いかにもガラの悪そうな上級生が指さしていたのは、部屋の隅にある犬小屋だった。

 餌皿と、輪っかを作った縄がそばに落ちている。



「お前なんかにゃ首輪は勿体ねぇから、そこにある縄で首でもくくってろ!」



「そしたら俺たちの食い残しを、その餌皿に入れてやらぁ!」



「野良から飼い犬になれるなんて、すげえ昇格じゃねぇか!」



 ギャハハハハハ! と笑いの渦に包まれながら、俺は列を離れて食堂から出る。


 付き合ってられなかったのもあるのだが、そもそもヤツらが食べている飯が全部マズそうだったからだ。


 それは下僕ペットレイヴ候補生だけじゃなかった。

 従者サーバトラー候補生も、それどころか、賢者フィロソファー候補生が食べていたものも、ぜんぶ……!


 その理由を、俺は知っていた。

 いや……正確には、シトロンベルから貰ったというべきか。


 この世界の食べ物は……肉、魚、野菜、そして穀物に至るまで……。


 すべて『毒』といわれるものが入っているんだ……!


 地質なのか水質なのか、それもと空気に問題があるのか、原因はわからない……。

 しかし錬金術による『毒抜き』していないものは、食べることができないんだ。


 たとえば木になっているリンゴを、取ってそのまま食べてみたとしよう。

 しかしそれは毒入りのままなので、食べてもマズいうえに腹を壊し、量によっては最悪死に至る。


 そしてその『毒抜き』ができるのは……。

 そう、この世界では賢者フィロソファーだけなんだ……!


 俺が初めてこの島に降り立ち、市場を見学したとき、売っている食料の鮮度のなさを疑問に思った。

 その時は知らなかったのだが、そのあとにシトロンベルに抱きついてから知ったんだ。


 錬金術による『毒抜き』において、鮮度と味を保ったまま毒を抜くためには、複雑な練陣れんじんと高価な触媒を必要とする。

 しかし鮮度と味を犠牲にする、手抜きの『毒抜き』であれば、適当な練陣れんじんと安価な触媒で可能となる。


 だから……だからだったんだ……!

 庶民の手に届く食材は、すべて……腐りかけまでに鮮度が落ちていたのは……!


 賢者フィロソファーに多くの人がひれ伏す理由が、ようやくわかった。

 ヤツらは戦闘力の高さや、知識の深さもさることながら……。


 食べ物の『毒抜き』ができるという特権で……。

 この世界を、支配していたんだ……!


 たとえば前世では、海沿いに住んでいる人間は新鮮な海の幸を、山に住んでいる人間は豊富な山の幸を、おのおのが食べられるのが特権だった。

 近代では流通技術の発達により、差がほとんどなくなってしまったが、それはあくまで良い方向に平等になったんだ。


 しかしこの世界は、その希望すらもない。

 一部の特権階級が利権を独占しているために、この世界のほとんどの人間が、食べ物本来の味を知らずに死んでいく。


 しかし文句を言うこともできない。

 賢者フィロソファーに逆らえば、そのマズい食べ物すら与えられなくなってしまうからだ……!


 俺は、なんともいえない気持ちで校庭を歩いていた。

 腹は減ったが、あんなエサ同然の飯を食べる気にはなれなかった。


 しかし、日はもう暮れてしまった。

 このまま歩いてばかりもいられないので、今日の……いや、これからの寝床を探すことにする。


 無宿生ノーランは、塔の中以外の学園の敷地内であれば、どこで寝てもいいらしい。

 校庭の隅にあるベンチとかが良さそうだったが、寝ているところをイタズラされそうなので、校庭を出て、南側にある山のほうへと行ってみた。


 この『オリエンス賢者学園』はかなり広くて、校舎の敷地の外には森や山、さらには湖まであるんだ。

 と、いっても遠くに行きすぎると通学が面倒になるので、山のふもとにある森の入り口あたりを寝ぐらにすることにした。


 地べたで横になるのは嫌だったので、大きめの木に登り、太い枝に腰掛けて幹によりかかる。

 よく見たら枝には、リンゴが鈴なりになっていた。


 こんなデカいリンゴの木なんてあるのか……。

 なっている実はどれも、高級なフルーツパーラーで扱われそうなほどに大きくて形もよく、真っ赤でツヤツヤ。


 でも、人間どころか鳥や虫すらも手を付けたような跡がないってことは、ぜんぶ毒入りなんだろうなぁ……。

 こんなに美味そうなのに……。


 俺は誘惑に負けそうになったが振り払い、空腹を紛らわせるために読書をすることにした。


 今日習った『発火ファイヤリング』の魔法を、かなり押さえ込んで発動すると、松明くらいの明かりができた。

 それを空間に浮かび上がらせれば、ランプのできあがり。


 でも燃やしっぱなしだと、どんどん魔力を消費して疲れてしまうらしい。


 本来は何かを燃やして使うのが一般的らしいが、薪を集めるのが面倒だったので直火のままで使う。

 魔力が尽きて消えてしまったら、その時はその時だ。


 それと精神集中をしていないと火は消えるらしいのだが、これも賢者の石の力なのか、本を読んでいても火は消えることはなかった。


 俺は秋の夜長に読書をするように、しばし『賢者の石ハンドブック』を読みふける。

 その内容は、これまでの歴史で存在した、賢者の石の伝説などを集めたものだった。


 まず前提として賢者の石は、その純度と大きさにより、発揮できる力が変わるらしい。

 また石を身につけている者が、石とともに様々な経験をすることにより、石の純度はより高くなっていくらしい。


 そしてその大きさや純度に比例するように、それを求める者の間での争いは大きくなっていくらしい。

 リバーサー先生も言っていたが、たった1グロムの賢者の石を巡って、世界大戦が起こったことも本には書いてあった。


 さらに、本当かどうかは定かではないらしいが、賢者の石には以下のような力があるそうだ。



 ・第三者の身体に触れると、その触れた者の思考が読み取れ、その者の記憶や、身に付けている技術なども取り込める


 ・すべての精霊を従えることができ、大気中のわずかな精霊力を増幅できるので、触媒なしに魔法が使える


 ・精霊が意思をくみ取ってくれるようになり、詠唱なしで心で思うだけで魔法が使えるようになる


 ・身体能力が向上する


 ・他者と仲良くなれるきっかけが作られる


 ・意識を集中する、または危機を察すると、すべてのものが遅く見えるようになる


 ・術式陣と触媒なしで錬金術が可能となり、触れるだけで食べ物の毒を取り除ける



 他にもまだまだあったが、ひとまず読んだ範囲ではこのくらいだった。

 というか俺は、ある項目を見つけてしまったので、本どころではなくなっていたんだ。


 すかさず手近に垂れていた枝から、リンゴをひとつもぎ取った。

 「毒よ消えろ!」と心の中で念じると、リンゴは俺の手の中で、


 キラリン……!


 とワックスで磨きあげたかのように、さらに輝きを増したんだ。


 これは……もう、毒はなくなったのか……?


 俺は、ええい、ままよ! とリンゴにかぶりついた。


 ……シャリッ!


 小気味よい音のあとに、口いっぱいに甘い蜜の味が広がる。



「う……うんめぇ~!!」



 俺は思わず口に出していた。

 リンゴがこんなに美味いと思ったのは、1周目の人生でもなかったことだった。

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