第9話

09 イボガエルざまぁ

 ちょっと天然入っている女神の相手だけで手一杯だってのに、さらに面倒くさいヤツが話に加わってきた。


 突如現れたイボガエル……いやアクマアクネは、ひとりで勝手に息巻いて、ひとりで勝手に転んでいた。

 首を下にしたへんな三点倒立のポーズのまま、俺を睨みつけてくる。



「ゲコッ! やっと見つけたゲコ、このチビっ!」



「どうでもいいけど、なんで急に語尾に『ゲコ』って付けるようになったんだ? 声もなんか変だし……オリエンテーリングの時はもっと普通のしゃべり方だったろ」



飛竜ワイバーンから落ちたショックで、喉がおかしくなってしまったゲコっ! って、そんなことはどうでもいいゲコッ! おいそこの女! ゲコが今からこのチビをボッコボコするから……ゲコォォォォォォォォォォーーーーーーーーーーーーーーッ!?!?」



 タンカを切っている途中で、ミルキーウェイをチラ見したアクマアクネは大仰天。

 粘着ハウスに捕まったゴキブリのように、バタバタ暴れて這いつくばっていた。


 そしてひたいを地べたにこすりつけはじめる。



「いいいいいっ!? ”斎妻いわいづまの”ミルキーウェイ様っ!? 未来の良妻賢者ワイフ・フィロソファーとも呼ばれるあなた様が、なぜこんな所にっ!? そうとは知らず、大変失礼、失礼いたしましたゲコ! お許しを、どうかお許しぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーーっ!!」



 再登場してから全然じっとしていないアクマアクネ。

 今度は俺に飛びかかってきて、グイグイ頭を押してきた。



「おい、チビっ! 下僕ペットレイヴのクセして頭が高すぎるゲコっ! 賢者フィロソファー様の前では投地するゲコっ!」



「やめろっ! 俺は下僕ペットレイヴじゃねーよ!」



 嬉しくない揉み合いをする俺たちに、苦笑いのミルキーウェイ。



「ふたりともケンカはダメよ、メッですよ。ちょっとお話をしたいから、大人しくしていてね」



「ゲッ、ゲコォォォッ!? ミルキーウェイ様ほどのお方が、こんな下賤のチビにお言葉をかけるなんてありえないゲコっ!? そのうえお話だなんて、ゲコォォォーーーーーッ!?」



 さっきから驚きっぱなしのアクマアクネ。

 ひたすら耳障りな悲鳴とともに崩れ落ち、べしゃりと尻もちをついていた。


 コイツがいると話が進まないので、俺は先を促す。



「コイツはほっとこう、ミルキーウェイ。で、俺に何の用だったんだ?」



「ゲコォーーーッ!? なんたる無礼な言葉遣いゲコっ! しかも呼び捨てとはっ!? 口を慎むゲコォーーーッ!」



「うん、ちょっとホイホイあげたいものがあって……」



 そう言いながらミルキーウェイが出してきたのは、レースでできた白い首輪だった。



「首輪さんがなくて、無宿生ノーランさんのままだってフムフム聞いたから……わたしがササッと首輪さんを作ってきたの」



 ちょっとはにかんだように笑う彼女。

 俺の足元では、ドスンバタンとイボガエルが暴れていた。



「ゲコッ!? ゲコッ!? ゲコォォォーーーッ! 今まで決して首輪を授けてくださらなかったミルキーウェイ様がっ!? 賢者フィロソファー様ですら、ミルキーウェイ様のために従者サーバトラーになりたいとおっしゃるのに! しかしそれでも決して首輪を授けてくださらなかったミルキーウェイ様がっ!? なんで、なんでこんなチビに首輪をぉぉぉぉぉーーーーっ!?」



 俺はシンプルに「いや、いらない」と断る。



「ゲコォォォォーーーーーーーーーーーーッ!? それを断るだなんて、なんたる無礼、なんたる愚か者ゲコォォォォォォォォーーーーーーーーーーッ!?」



「でも、このままだとセージさんは、お外でブルブルおねんねすることになっちゃうのよ? お願いだから、ハイハイ貰ってほしいの。そうしたらセージさんも、ここでゴロゴロンしてる従者サーバトラーさんと同じになれるのよ? キレイキレイできるお風呂さんにも入れるし、スヤスヤできるお部屋さんにも入れるのよ?」



「ゲコォォォォーーーーーーーーーーーーッ!? 賢者フィロソファー様が、こんなチビを名前呼びぃぃぃぃぃーーーーーっ!?」



 俺はシンプルに「こんなのとは一緒になりたくないな」と断る。



「誰がこんなのだゲコッ!? それにミルキーウェイ様がこんなにおっしゃっているのに、断るなゲコォォォォォォォォォーーーーーーーーーーーーーーッ!!」



「うぅん、困ったわ……。あっ、ピッカリいいことを思いついちゃった。だったらセージくん、今夜はわたしのお部屋さんにスタスタ来るといいわ。とっても広いから、ノビノビできるわよ」



「ゲッ!? ゲッコォォォォォォォォォォォォォォォーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!?!?」



 ひときわデカイ絶叫を響かせるイボガエル。


 うるさいなぁ……と足元を見やると、ヤツは死にかけのカエルみたいにひっくりかえっていた。

 脂汗をダラダラ流し、顔のニキビ汁と混ざってひどい醜さだった。



「まっ……まさか……! まさかまさまかさか、まさかゲコッ……! ミルキーウェイ様が、こんな無宿生ノーランのチビを、部屋に招き入れるだなんて……! いままでどんな賢者フィロソファー様でも、決して入ることのできなかった、この学園の『聖域』と呼ばれるほどの場所に……! ゲコッ! ゲコオッ!? ゲコォォォーーーーッ!?!?」



 コイツは俺たちの話を聞いているだけだというのに、ひとりで勝手にうろたえ、ひとりで勝手に追い詰められているようだった。

 ハァハァと荒く息をし、カエルみたいにぽっこりした腹を上下させながら、茫洋とした瞳で俺たちを見つめている。


 それほどまでにミルキーウェイの言動が信じられないらしい。

 まぁ、無理もないか。


 そもそも賢者フィロソファー候補生にとっては、下僕ペットレイヴ候補生なんて道端に捨ててある鼻紙同然。

 無宿生ノーランはそのさらに下の存在なので、こうしておしゃべりすることはかなりの異常事態といえる。


 それだけじゃない。


 本来は首輪というのは、泣きついてすがりついて、身を尽くしてようやく貰えるものだ。

 オリエンテーリングの狂宴を見ていれば、その価値のほどがわかるというものだろう。


 しかも賢者フィロソファーからの首輪ともなれば、お姫様と結婚指輪を交わすくらい難しいのに……。

 こんな義理チョコみたいにあっさり、しかも賢者フィロソファーのほうから渡すなんて、この世界ではありえないことなんだ。


 そのうえ断られたからって、なおも食い下がって部屋に招こうとするだなんて……。


 光景だけ見ているとイボガエルのほうが異常に見えるが、世間的におかしいのはミルキーウェイのほうなんだ。


 まぁいずれにしても、俺には興味ない。

 イボガエルの正気をさらに失わせることになってしまうが、それこそ俺にとっては道端の鼻紙だ。



「ミルキーウェイ、気持ちは有り難いが遠慮しておく。今日は外で寝るよ」



「ゲッ!? ゲッコォォォォォォォォォォォォーーーーーーーーーーーーーーーーッ!?!?」



 ……ブクブクブク……!


 ついには口の端から泡まで吹き始めるイボガエル。

 ミルキーウェイは困り果てたように眉根を寄せている。



「うぅん……じゃ、じゃあ、わたしにできることは、なにかないかしら? ホイホイなんでも言って、ねっ?」



 特になにも無いのだが、ここまで言われると無下にもできない。



「それなら、図書館の場所を教えてもらえるか?」



「図書館さん? ご本さんをスラスラと読みにいくのね?」



「ああ、賢者の石について調べようと思って」



 するとミルキーウェイは、さも意外そうな顔をした。



「えっ? 賢者の石さんのご本さんであれば、リュックさんにタップリ入れてあるのに……あ、イエイエ、セージくんの持ってるリュックさんには入っていないの?」



「リュックもくれてやったんだ、街の悪ガキどもにな」



 「ええっ……」と、まるで自分が被害にあったみたいな反応をするミルキーウェイ。



「せっかくいろいろ持たせてくれたのに、悪いな、ぜんぶやっちまって」



「え? ええっ? は、ハテハテ、なんのことかしら? わたしとセージさんはさっきバッタリ会ったばかりだから、よ、よくわからないわ」



 バッタリって、お前が追いかけてきたんじゃないか。

 でも、まーいっか。


 懲りない天然女神サマは、さも名案が思いついたかのように、胸の前でぽんと手のひらを合わせていた。



「あっ、またピッカリいいこと思いついたわ。だったらセージくん、わたしのお部屋さんにスタスタいらっしゃいな。賢者の石さんのご本さんがタップリあるのよ。無宿生ノーランさんだと図書館さんのご本さんは借りられないけど、わたしのお部屋さんにスタスタ来れば、いくらでも……」



「まっ、またしても、部屋へのお誘いゲコォォォォォーーーーーーーーーーーーーーーッ!?!? 幻聴だと思っていたのに、ウソではなかったゲコォォォォォォーーーーーーーッ!?!?」



 イボガエルはとうとう海老反りになって、ビクンビクンと痙攣しはじめる。



「ミルキーウェイ。お前はそう言って、なんとか俺を部屋に招き入れて、なし崩し的に泊めるつもりなんだろう?」



「ギクギクっ!」



 わかりやすいうろたえ方をするミルキーウェイ。



「じゃ、じゃあ……! せめて、せめてこれをあげる!」



 切羽詰まった様子で、彼女が俺の手にしっかりと握らせてきたのは……。

 『賢者の石ハンドブック』という、ポケット辞典のような小さくて分厚い本だった。



「これがあれば、賢者の石さんのことは、大体わかるから……! お願い! お願いだから、これだけは貰ってほしいの! ねっ!? ねっねっ!」



 女神サマはとうとう両手をあわせ、両目をきつく閉じ、肩をすくめて俺を拝みはじめる。


 ……なにもかもがおかしかった。

 そもそもお前は、拝まれる側の立場だろう。


 今は人間の姿をしているようだから、仮に百歩譲ってとしても、今やっているのは『おねだりポーズ』だ。

 それは物をもらう側がするポーズであって、物をあげる側がする事じゃない。


 それはかなりの破壊力があったらしく、イボガエルはついに壊れてしまった。



「ゲッ……ゲェェェェェェェェェェーーーーーーーーッ!?!? 未来の良妻賢者ワイフ・フィロソファー様が……! 賢者フィロソファー候補生様たちの『すべての嫁』といわれ、この学園の生徒たちの『すべての母』と呼ばれた、”斎妻いわいづまの”ミルキーウェイ・フルムーン様がっっっ……!! 陰で不可侵条約まで結ばれているほどの、この学園の絶対聖母アブソリュート・マドンナが……!?!? のっ、ののの、無宿生ノーランのチビにっ……! おっ、おねだりポーズをするだなんてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?!?」



 ……どばしゃーーーんっ!



 大地から迸る断末魔と、黄色い液体。


 俺はミルキーウェイの腕をとって、とっさに彼女と避難した。


 見ると、そこには……『死の魔法デス・スペル』をくらったかのように、動かなくなったイボガエルが。

 白目を剥き、身体の穴という穴からへんな液体を漏らしながらノビていた。

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