第5話

05 聖鈴のシトロンベル

 俺の2周目の人生は、始まって数時間ほどでファーストキスを終えた。


 そのお相手の少女は、彗星のような色のロングヘアをしていた。

 つむじの水色からはじまって、毛先に向かって流れる紫色のグラデーション。


 ふんだんに光を受けて輝き、願い事をしたら叶うんじゃないかと思えるほどに美しい。

 サイドを金色のベルのついたリボンで結っており、頭を動かすたびに涼やかな音がする。


 瞳は深いマリンブルー。

 見つめているとなんだか引き込まれ、深海に沈んでいくような気分にさせられる。


 それが不気味とか不快とかではなくて、不思議と気持ちいい。


 それとは真逆に、鼻と口は小さめで控えめ。

 そのおかげで顔全体の均整がとれており、ようはかなりの美少女。


 紺色の高級そうなローブを身にまとっているので、きっと育ちもいいんだろう。

 身につけている物はどれも上質っぽかったが、派手ではなく、当人にも嫌味に感じさせないだけの気高いオーラがある。


 俺の1周目の人生にこんなお嬢様がいたら、間違いなく一目惚れしていただろうな。

 助けてやったのをキッカケに、なんとかお近づきになろうとしただろう。


 しかし彼女は、その可能性をいきなり真っ向から否定してきた。



「え? 私が身投げしようとしてから止めた? 冗談はよして、誰が死んだりなんかするもんですか! ……まぁ、ちょっと嫌なことはあったけど」



 聞くところによると、彼女は賢者学園に入学するそうだ。


 入学式がある今日、飛行船を使ってこの島に訪れたらしいのだが、紹介状を無くしてしまったらしい。


 賢者学園の階級は、学年とは別に以下の4段階に分けられているのだが、紹介状がない場合は最下級からのスタートとなる。

 下から順番に説明すると、



1:無宿生ノーラン

 入学の際、紹介状がなければこの階級からとなる。

 学生寮には入れないので、昇格するまでは寝るところを確保しなければならない。

 昇格するためには、『3:従者サーバトラー候補生』から首輪を授かる必要がある。


2:下僕ペットレイヴ候補生

 賢者フィロソファーの下僕となるべく、教育を受ける候補生。

 昇格するためには、めちゃくちゃ厳しい試験にパスするか、『4:賢者フィロソファー候補生』から首輪を授かる必要がある。


3:従者サーバトラー候補生

 入学の際、紹介状があればこの階級からとなる。

 賢者フィロソファーの従者となるべく、教育を受ける候補生。

 厳しい試験をパスすることにより昇格できる。


4:賢者フィロソファー候補生

 これが賢者学園のメインとなる階級。

 賢者フィロソファーになるため、ありとあらゆる高等教育を受けることができる。



 この階級は、そのまま世間に出てからも適用される。

 簡単に言ってしまうと、


 賢者 > 従者 > 下僕


 というヒエラルキーになるんだ。


 さて、なんで俺が賢者学園のことにこんなに詳しくなったのかというと、俺自身よくわかっていない。

 彼女に抱きついたときに身体に電流のようなものが走ったのだが、そのあとから急に知識がついたんだ。


 賢者学園への入学は前述のとおり、紹介状のありなしでスタート地点が大きく変わることになるのだが、これがまた曲者。

 俺もリュックをまるごと盗まれたように、賢者学園の入学式の日は、紹介状を狙った盗難が多発するんだ。


 理由としては、飛び級ができるこのチケットは『高く売れるから』である。


 ちなみに紹介状には、紹介者の名前も、紹介する者の名前も書いてはいけないことになっている。

 紹介者の名前で、待遇に別が出ないように……ということらしいが、それが裏マーケットを醸成している理由のひとつとも言えるだろう。


 賢者学園の入学式が行われる今日、この島の飛行船の発着場は、まさにそのための漁場であった。

 俺もまんまと、その被害にあってしまったというわけだ。


 幸い女神サマが紹介状をリュックではなく、服のポケットに入れておてくれたおかげで最悪の事態は免れた。

 いま目の前で落ち込んでいる彼女も、盗まれないようにと細心の注意を払っていたそうなのだが、気がついたら無くなっていたらしい。


 紹介状がなければ、最下級である『無宿生ノーラン』からのスタートとなってしまう。

 自殺するほどではないものの、それくらい落ち込んでしまい、崖っぷちに佇んでいた……というわけだ。



「パパみたいな大賢者ハイ・フィロソファーになりたくって、この島に来たっていうのに……まさか紹介状をなくしちゃうだなんて……」



「お前、大賢者ハイ・フィロソファーの娘なのか。だったら紹介状なんてなくても、そのパパに頼めば従者サーバトラーどころか、賢者フィロソファーで入学できるだろうに」



 賢者学園は、大国の王族などの権力者、大貴族などの富豪……。

 そして大賢者ハイ・フィロソファーと呼ばれる偉大なる賢者の口利きがあれば、いきなり賢者フィロソファー候補生として入学できる。


 本来はありえないことなので、その制度はおおやけにはされていない。

 上流階級のみが知る、秘密の裏口ってヤツだ。


 そのおかげで、とても賢者とは言いがたいボンクラ賢者フィロソファーが、数多く社会に輩出されてしまうのだが……。


 しかし彼女は、その多くのボンボンどもとは違うようだった。

 荒波のような瞳で俺をキッと睨みつけると、リリリンと頭の鈴が鳴った。



「そんなのイヤよ! 私はパパと同じように従者サーバトラーで入学して、その実力を認められて賢者フィロソファーになりたいの!」



「なんだ、叩き上げになりたいんだったら、紹介状にも頼るなよ。別に無宿生ノーランからのスタートでもいいじゃないか」



「そ……それはいくらなんでも無茶よ! だって、下僕ペットレイヴから従者サーバトラーへの昇格試験をパスできる人って、1万年にひとりって言うじゃない!」



 そう。そうなのだ。

 『下僕ペットレイヴ』から『従者サーバトラー』へ昇格するためには、試験をパスするか、賢者フィロソファー候補生から首輪を授かる必要がある。


 試験のほうは尋常ならざる難易度で、まず達成は不可能とされている。

 そして首輪を授かるほうも、それなりに難しい。


 なぜならば、賢者フィロソファーの首輪は、従者サーバトラーが渡すものとは違い、結婚指輪以上の効力がある。

 渡した側は主人としての責任が発生し、受け取った側は従者としての義務が発生するんだ。


 下僕ペットレイヴに属するのは下流階級とされているので、上流階級である賢者フィロソファーから見れば、飼うにも値しない野良犬同然とされている。

 そういった身分の理由から、賢者フィロソファー従者サーバトラーへは首輪を渡しても、下僕ペットレイヴに渡すことはまず無いと言っていい。


 世間に、「そんな下賤の者を従者にした自分は、その程度の人間です」と知らせているようなものだからな。


 でも彼女の場合は育ちがいいから、首輪を貰える可能性はじゅうぶんにあるだろう。

 しかし賢者フィロソファーとの首輪の関係は永遠なので、受け取った時点で階級が従者サーバトラーに固定される。


 となると賢者フィロソファーにはなれなくなるので、彼女の場合は、超高難易度の試験をパスするしかない。


 ちなみに試験がどれくらい難しいかというと、前世で例えるならば、100年連続で金メダルを取るほうが簡単だと思えるほど。

 だから「昇格できるのは1万年にひとり」などという、皮肉めいた表現をされているんだ。



「ああ……紹介状を再発行してもらっても、今日の入学式には間に合わないよぉ……。私もう14歳だから、これ以上入学を遅らせるのは嫌だし……。パパに見栄を切った手前、助けてもらうのも嫌だし……。ねぇ……私はもう、無宿生ノーランで入学するしかないのかなぁ……?」



 半泣きですがりつかれて、俺は子供相手にドキッとしてしまった。

 事故とはいえいちど抱きついて、俺に対するパーソナルエリアが狭くなってしまったのか、やたらと顔が近い。


 ざわめく海のように潤んだ瞳が、俺の視界の大半を占め、風になびいた長い髪が俺の鼻にかかり、甘い芳香にくすぐられる。

 頭のベルまでも、リン……と悲しそうに鳴り、五感すべてに訴えかけてくるかのようだ。


 ……やれやれ、しょうがねぇなぁ……。



「なぁ、紹介状を無くしたって言ってたが、本当にそうなのか? もう一度カバンをよく探してみたほうがいいんじゃないか?」



 俺は、身体をくっつけてくる彼女が膝に抱えていた、ショルダーバッグを指さす。



「ほら、カバンの横のポケット……奥に見えてるのは紹介状じゃないのか?」



「もう……そんなこと言われなくたって、カバンならひっくり返して何度も何度も探したわよ。ポケットも底が抜けるくらい見て……」



 彼女はまるで信じてなさそうに、膝の上の荷物に目を落とす。

 そして、



「えええええっ!?」



 リリリーン! とせわしなくベルが鳴り、目覚めるかのように瞼がカッと持ち上がる。

 浮かべていた涙があっという間に蒸発しそうなくらい、大きな瞳をまんまるに見開いていた。



「あ……!? あったあ! あったあったあった! あったぁぁぁぁぁーーーっ!? うそっ、うそっ、うっそぉーーー!? どうして!? どうしてぇーーーっ!?」



 さっきまでの落ち込みようがどこへやら、狂ったように大騒ぎしている。

 彼女はいっけん大人しそうなお嬢様に見えるが、たぶんこっちの元気なほうが、本当の姿なんだろうな。


 よほど感極まってしまったか、ギュッと抱きしめられてしまった。

 嬉しそうにベルをリンリンと揺らしながら、頬ずりまでされてしまう。



「あ……ありがとう! ありがとうありがとうありがとう! 見つけてくれて、本当にありがとう! あと少しで私、無宿生ノーランになるところだったわ! でも、どうしてわかったの!?」



「なーに、なくし物ってのは、探さないほうが見つかるもんなのさ」



 俺はもうちょっと、柔らかさと匂いを感じていたかったが、彼女は弾けるように急に身体を起こした。

 そして、リーン! と奮い立つ。



「そうだ、こうしちゃいられないわ! 入学式はお昼からだけど、早めに行って校舎を見学するつもりだったの! あなたはどうするの?」



「俺はもうしばらく、このあたりをブラついてから行くよ」



「じゃあ、あなたも賢者学園に入るのね! 私は、“聖鈴せいりんの”シトロンベル・イーンシーニアス! あなたは?」



 シトロンベルと名乗った少女は、その場でせわしなく足踏みしながら、リンリンと尋ねてきた。

 現金なもので、もうすっかり元気百倍だ。



「俺は、葬……いや、セージ・ソウマだ」



 危うく前世の名前を名乗りそうになってしまった。



「セージちゃんね! “二つ名”はないの?」



 『二つ名』というのは、賢者フィロソファーが名乗ることできる渾名のようなもの。

 名前の一部として正式に認められるのは賢者フィロソファーになってからだが、賢者フィロソファーを目指す者は縁起を担いで、なる前から名乗るのがこの世界では一般的だ。



「ああ、まだないんだ。お前のは、パパに付けてもらったのか?」



「うんっ! いいでしょー!? じゃあ私、もう行くね!」



「ああ。紹介状、もう無くさないように注意しろよ。それと……」



 最後に「俺は男だからな」と付け加えようとしたのだが、シトロンベルは疾風のような勢いで走り去っていってしまった。

 爽やかなベルの音だけを残して。


 あーあ、会ったばかりの女の子に、貴重な紹介状をやっちまったよ……。


 でも、まーいっか。

 残りは99枚もあるから、問題ないだろう。

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